車椅子の王子
馬車の外に出た時、真正面には青と白を基調としたシックな雰囲気の屋敷が佇んでいた。
三階建てに加え、横に広い構造をしている。馬車正面には玄関があり、両開きの大扉が内と外を隔絶させていた。
王子――王家の人間が住むにしては、思ったより派手さがない気がする。屋敷であるため質素とまでは言わないが、それに近い雰囲気を抱いている感じもある。
「私について来て」
ラウニイが先頭に立ち、俺達に指示をした。それに従うように彼女の後ろを歩き出す。隣にはクラリス。後方にはリミナ――そこまで認識した時、玄関の大扉が開いた。
中からは侍女や執事がこちらを迎えるように両サイドに控えていた。その演出に僅かながら肩に力が入る。どうにも格式ばった対応に、慣れていない俺としては戸惑うしかない。
「ほら、あんまり固くならない」
横からクラリスの声。そちらを向くと、彼女もまた体に力が入っているようだったが、微笑むくらいの余裕は見せている。
「一番の主役がそんなんじゃ、示しがつかないよ」
「わかってるけどさ……」
言った直後、いよいよ扉を抜ける。ラウニイが床に敷かれた赤い絨毯に足を踏み入れた時、両脇の人物達は一切乱れなく頭を下げる。
「おおう……」
「はいはい。驚かない」
クラリスの言及。俺は小さく頷くと、姿勢を正して歩き始めた。
ラウニイは玄関ホールを真っ直ぐ歩き、正面にある階段へ進んでいく。俺達は黙って追随し、階段を上り切った。
さらに彼女は廊下をズンズンと進んでいく。きっと訪れたことがあって、王子の部屋を知っているのだろう。俺は特に発言することもなく足を動かし続ける。
その間に廊下を見回す。左手に窓があり、右には理路整然と扉が控えている。構造自体はシンプルみたいなので、迷うようなことはないだろう。
やがて、ラウニイは立ち止まった。そこには他の物と見た目の変わらない、茶褐色の扉。彼女はそこにノックすると、中から「どうぞ」と返答がきた。
「入るわよ」
一言告げて扉を開けると、彼女は先導して部屋に入る。続いて俺が入り――中を見て、呻きとも感嘆ともつかない息が漏れた。
美しいと思えるくらい、きっちり左右対称の部屋だった。高い天井の中央には魔力の明かりが灯る大きいシャンデリア。そして左右の壁一面には天井まで届く巨大な本棚が並ぶ。
真正面には、大人が七、八人は座れそうな大きなソファ。その奥にガラスのテーブルが一つと、さらに奥に多少の空間を開けて、青く染色された執務机が鎮座していた。
「ようこそ、皆様方」
そして、机を挟んで男性と、脇に立っている執事らしき男性が一人。彼らの背後にテラスへ続くと窓があるのだが、逆光ではないので姿がよく見える。
「どうも、フェディウス王子……直接会うのは、半年ぶりくらい?」
「そうですね、ラウニイさん。あなたは変わらないご様子で」
「そっちもね」
友人と話をするようなラウニイ。俺は彼女の態度に驚きつつも、じっと彼――フェディウス王子を見据える。
第一印象は温和、温厚……そういう単語が似合う人物。年齢はきっと俺と同じくらい。リミナと同じような青い髪に加え、スカイブルーの澄んだ瞳。さらにどこか中性的な雰囲気を持つその顔立ちは、柔和な笑みを湛え俺達を迎えている。
そして傍らに控えている人物は、黒色の執務服を着込んだ、銀髪の男性。年齢は二十代中ほどか、後半くらいだろう。その腰にはサーベルのような柄が見えており、無表情のままフェディウス王子を見守るように立っている。
「ラウニイさん、その方々が当該の?」
フェディウス王子は話しの矛先を俺達に向ける。ラウニイは即座に頷き、
「ええ。白銀の魔力を伴いし……勇者よ」
「勇者、ですか。そこは初めて聞きましたね」
彼は感心したような面持ちを見せつつ、手でソファを指した。
「皆さん、長旅でお疲れでしょう。まずはお座りください」
「……はい」
穏やかな声に当てられ俺は承諾し、ソファへ足を向ける。背後でリミナが扉を閉めた時、俺はソファの中央に座った。
左横にラウニイ。そして右横にクラリスとリミナが座ると、執事が彼――フェディウス王子の背後に回り、移動を始めた。絨毯により物音を発しなかったが――やがて、机越しには見えなかった車椅子に座る彼が姿を現す。
彼はテーブル越しに俺達と向かい合うようにして止まる。ああ、そうか。テーブルと机の間にある空間は、彼の車椅子が入るスペースなのか。
「エンス、ありがとう」
止まった途端、フェディウス王子は執事に話し掛ける。俺は彼が告げたその名を記憶に留めつつ、次の言葉を待つ。
「さて、ラウニイさん。護衛の依頼、お請け頂きありがとうございます」
「礼なら、彼らに言ってあげて」
彼女は俺達に顔を向けながら話す。するとフェディウスは王子はこちらに笑みを向け、
「感謝いたします、勇者殿」
そう告げた。まぶしいくらいの笑顔に、俺は「はい」と応じるしかなかった。
「さて、それでは早速、本題に移りたいのですが……」
「ちょっと待った」
フェディウス王子が切り出した時、即座にラウニイが呼び止める。
「その前に、彼の話からさせて」
「……何か事情が?」
「まあね。今回私はフェディウス王子からの頼みを受け入れて人を探した……結果、彼を連れてきた。彼は白銀の魔力を持つ勇者……なのだけど、ちょっとばかし事情があるの」
「事情?」
「ええ。けれど彼の強さは私が保証するわ」
――なんだか勝手に話を進めているが、大丈夫だろうか?
「まず彼の素性なのだけれど」
だが口を挟む間もなくラウニイは喋り続ける。こうなったら、流れに沿うしかない。
「あなたも名前は聞いたことがあるはずよ。彼の名は、レン……噂に上っている、あの勇者レン」
「レン……あなたが?」
「はい」
そこだけははっきり頷くと、フェディウス王子は僅かながら驚いた顔をした――なおかつ、傍に控える執事のエンスもピクリと眉を動かす。
「そうなのですか……ああ、ミファスの方々を避難させた依頼、聞き及んでいます。その節はありがとうございました」
「いえ……」
どこまでも腰の低い人物だ。一国の王子なので尊大な態度をとるのかと思っていたのだが……完全に当てが外れた。
「それで、事情とは?」
「あ、はい」
答えながら、俺はラウニイに目をやる。こっちが話していいのか――そう視線で問うと、彼女は小さく頷いた。
俺も覚悟を決めた。正直、粗相がないか不安だったのだが――
「……事の始まりから、説明した方がいいでしょうね。始まりは王子が話された、ミファスの方々を避難させる依頼を行っている最中に起きました――」
そう前置きをして、語り始める。原因のわからぬまま自分が記憶喪失となってしまったこと。魔法については体が覚えている――しかし、制御ができなくなってしまっていること。さらに、それをきっかけにして今回の仕事を請けたこと。
記憶が無い上魔法を上手く使えないという時点で追い返されてもおかしくなかった。けれどフェディウス王子は一切口を挟まず、時折相槌を打ち、俺に話しやすい空気を作ってくれた。
「……事情は、わかりました」
俺が話し終えると、フェディウス王子はそう言った。
「あの、俺で大丈夫なんですか?」
疑問を口にする。不安を感じさせる内容のはずだが――
「……その前に、勇者殿。一ついいでしょうか?」
「え? はい、何ですか?」
「昨日耳にしたのですが、ザシル地方の遺跡攻略に参加したそうですね?」
ギクリとなった。遺跡攻略についてはまだ数日しか経過していない。それにも関わらず彼の耳に入っているようだ。
「私は魔法を使うため、そうした情報が早く入ってくるのです……それで、間違いありませんね?」
「は、はい」
「ならば、問題ありません。むしろ、非常に心強い」
優しい笑みと共に、彼は言う。その顔は俺に対し、確固たる信頼を持っているかのようだった。