彼女の実力と、一つの問題
――車輪の音が、長い間耳に響いている。ただ車上に揺られ続けるだけのこの時間は、俺にとっては苦痛以外何物でもなく、数えきれない程あくびをした。
景色を見ることができれば気も紛れたのだが、守秘義務だの秘密だの色々と言われた結果、四方を天幕に囲まれた狭い空間に居続けることを余儀なくされた。時間はわからないが、おそらく昼は超えているだろう。ちょっとばかしトラウマになりそうだった。
退屈しのぎに周囲を見回す。正面には、退屈そうに座るクラリス。彼女もまた俺と同じようにあくびをしつつ、眠らないよう首を小さく振っている。
横にはリミナ。じっと一点を見つめ、考え事をしている様子で――ふいに、俺に首を向けた。
「どうした?」
訊いてみる。すると、
「いえ……何でもありません」
そう言ってそっぽを向く。どうしたのか……追及しようとしたのだが、
「もうすぐ着くわよ」
言葉を掛けられ、そちらへ視線を移した。
御者台に近い――先頭側に、四人目の人物であるラウニイがいた。店で着ていた黒のローブではなく、茶褐色の旅装姿。ついでに言えば、煙草を吹かすパイプは持っていない。
「さすがに、疲労しているわね……ま、馬車移動というのは気疲れするから当然といえば当然ね」
「まったくです」
俺が本音を漏らすと、ラウニイは笑う。彼女は慣れているのか、平気そうだ。
「屋敷に着いたらシャキっとしてね。げんなりした顔じゃ、いくら勇者レンであっても不安に思うだろうから」
「……わかっています」
頷くと、ラウニイは「ならばよし」と答え、再度俺に笑い掛けた。
ラウニイが準備を済ませてから一時間くらいして、俺達の前に馬車が到着した。彼女の号令の下それに乗り込み、辟易しながら移動を続けている。
この途上で俺に関する話もきちんと伝えた。王子に相まみえる時も、この話をするだろう。だから手始めにラウニイにも説明した。けれど彼女の感想は「あ、そう」で終わってしまい、なんだかこちらが拍子抜けする羽目になった。
「しかし……ラウニイさんも大変ですね」
笑いを収めた彼女に対し、俺はふいに言葉を零す。
「大変? 何が?」
「見た所馬車には慣れているみたいですけど……わざわざ同行してもらうとは」
「そりゃあ、私も仕事をするわけだし、当然でしょう?」
「なるほど、仕事……って、仕事?」
ラウニイの言葉を聞いて。俺は目を白黒させた。
「ラウニイさんも戦うんですか?」
「ええ、もちろん」
てっきり俺達を屋敷まで案内するだけだと思っていたのだが……まさか護衛までするとは。
「あの、店は大丈夫ですか?」
「臨時休業の看板は設置したし、大丈夫よ」
「そんな簡単に休んでいいんですか?」
問い掛けると、回答はクラリスから返ってきた。
「ちょくちょくこの人は休業しているよ。ひどい時は二ヶ月くらい休んでいるし」
「……何のために?」
「旅行とか行くのよ」
趣味全開の答えがラウニイから来た。
「そこまで休んじゃうと、店の中も埃だらけでね……そこから掃除とかやっていると、さらに一週間くらい休むのよ」
「……そうですか」
ずいぶん呑気な商売だと思いつつ、俺はさらに質問する。
「それで……技量の程は?」
ひゅん。
「――え?」
尋ねた瞬間、顔の横を何かが掠めた。同時に聞こえたのは、床板に何かが落ちる音。
振り返って確認する。俺の横を通ったと思しきそれは、小さなナイフだった。
「今の……」
「わかった?」
問われる。俺は顔を硬直させ、何をしたのか推察する。
ナイフを投擲したらしい……だが、一切見えなかった。俺に気付かれないよう放ったのか、それとも恐ろしい速さで知覚できなかったのか――どちらにせよ勇者レンの経験を持ったこの体でも把握できなかった以上、優れた使い手であることは、わかる。
「……わかりました」
「うむ」
ラウニイは言いながらなぜか胸を張る。
「これでも店をやる前は冒険者をやっていたのよ。それなりに腕もあるから安心しなさい」
彼女は姿勢を正しつつ告げると、手のひらを俺に見せつける。それが軽く振られると――手品のように一本のナイフが出現する。
「私の得意分野はこれ……ま、暗器に近いかな。投げる以外には、接近戦なんかもできるわね」
「魔法も、ナイフを用いて?」
ナイフを見ながら訊くと、彼女は手を振りそれを消しながら答えた。
「ええ。このナイフには魔石が埋め込まれていて、私の魔力を付与することで活性化させ、効果を発揮する」
「なるほど」
先ほどの攻撃といい、経験豊富なのだろう。俺はそれ以上言及はやめて、別の話題を口にする。
「で、ラウニイさん。一点危惧していることが」
「危惧?」
「俺の能力です……その、記憶を失ってからモンスターとの戦いばかりで、対人戦をやったことがないんです」
――馬車に乗り込みいの一番に考えたのは、そこだった。
「さすがに人間相手に全力を出せば……無茶苦茶になりますし」
「そうね。さらに言えば、屋敷だって無事じゃすまないでしょうね」
ラウニイは付け加えるように話す。そこもまた懸念材料と言えるう。
なので、何かしら対策を――話そうとしたところで、ラウニイがおもむろに手を突き出す。
「対策は、これで良い?」
――その手には、報酬でもらうはずの金細工のブレスレット。
「レン君の言ったことは、私も認識しているわ。だからこれを貸与という形で渡しておく。ある程度魔力を抑えれば、大丈夫だろうから」
「いいんですか?」
「屋敷を壊されるよりはずっとマシだから。あ、途中で護衛を辞めたら返してね」
きっぱり言われる。俺は苦笑しつつ「ありがとうございます」と礼を述べ、ブレスレットを受け取る。
「剣をいつも握る腕につけて」
言われ、俺は右腕にはめた。身に着けただけでは、何も変化がない。
「試しに魔力を込めてみなさい」
指示され、俺は魔力を右腕に集めようとする――
ガタン。
「ん?」
その直前、馬車がいきなり止まった。さらに外から人の声が聞こえる。
「あ、到着したみたいね」
ラウニイが言う。少しすると馬車は再び動き始めた。そこで彼女は御者台側の天幕を少しズラし、外の景色を覗き見る。
「うん、屋敷の敷地に入った。ゴールね」
「やっと、到着ですか。疲れた」
クラリスは息をつき、俺に視線を送る。こちらも彼女の言葉に心から同意し顔をやる。目が合った瞬間、くたびれた笑みを見せあった。
次になんとなく、リミナの表情を確認する。彼女もまた同じだろう――そう思い見た先には、俺とクラリスを交互に見ている、不安げな彼女がいた。
「……リミナ?」
声を掛けると、彼女はすぐさまはっとなり、慌てて頷いた。
「そ、そうですね。疲れました」
――なんだか、無理矢理話を合わせた感じだ。
俺はクラリスを一瞥する。彼女はリミナの反応を見て、やや困惑気味。昨日彼女が予想した想像を、リミナがしているのだと理解できる。
どうするかな……考えていると、いよいよ馬車が到着する。思案している暇はなさそうだった。
「さて、いくわよ」
意気揚々とラウニイが告げる。俺はリミナのことが気に掛かりつつも、彼女の言葉に頷いて馬車から出る準備を始めた。