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彼女の名

 その後何事もなく訓練を繰り返し――統一闘技大会のエントリー登録を明日に控えた夜となった。本戦が始まるわけではないのだが少しばかり緊張し、俺はちょっとだけ眠れなかった。


「明日遠足だから眠れない小学生か、俺は」


 自分の状況にツッコミを入れつつ、苦笑。大の字になって天井を見上げていると、俺は色々と闘技大会のことを考える。

 ラキのこともあるため、大会の裏で謀略的な様相を見せることになるだろう……それに俺が関わるかどうかはわからないが、少なからず覚悟しておいた方が良いだろう。


「ま、なるようにしかならないか……」


 そんな風に呟き俺は目を閉じ、ようやく睡魔がやってくる。眠れそうだと確信して意識を手放し――



 夢を見た。いつものような勇者レンの夢。俺が経験してきた記憶とは異なる、初めての記憶。



 その日の夢は、屋敷の傍にある庭園を散歩していた。この場所自体はこれまで見た夢の中でも見たことがある風景だったので、驚くこともない。

 そして横にはエルザ。時折レンは彼女の方を見つつ会話を行う。内容は、アレスの訓練が厳しいとか、昼食の献立とか、雑談の範疇を越えないもの。


 けれど、今日は少し事情が違った。前方に、見慣れない人影を発見したのだ。

 視界に認めた瞬間、エルザが声を上げる。相手は後ろ姿で、白いドレスを着て、なおかつ澄んだ青空のような色の髪を持つ、女性。


 まさか――胸中驚きながらその人物を見ていると、横のエルザから答えがやって来た。


「お母様!」


 声と共に、女性が振り返る。


「あら、レン君も一緒?」


 そうして髪色に準ずるようなひどく澄んだ声を、俺は耳にした。


 ――女性は瞳の色が黒だったのだが、黒真珠のように艶やかな光沢を持っていた。なおかつ醸し出す空気が非常に穏やかで、見る者を安堵させるような雰囲気をまとっている。

 そして、率直に美人だと思った――微笑んだ彼女の表情はあらゆる人が胸を打つのでは、と思うくらいに魅力的だった。


 そんな彼女は、金属製のジョウロを手に持ち庭園に咲いている花に水をあげていた。周囲にはメイドなんかの姿もなく、彼女一人。


「今日は調子が良いの?」


 エルザが半ば心配そうに声を上げる。それに彼女――エルザの母親は頷いた。


「ええ、今日は屋敷中を散歩して回れるくらいには元気よ」


 少しばかりの苦笑を伴い、彼女は語る――ここに至り、俺は今まで彼女が夢に出て来なかった理由を明確に察する。病弱で、普段はベッドに臥せっているのだろう。


「レン君、こんにちは」


 そして彼女の瞳が、俺を射抜く。夢の中のレンは「こんにちは」と返し、口を開いた。


「付き添いの人は?」

「あら、レン君も心配しているの? そんなすぐに倒れてしまうわけじゃないわよ」

「でも、以前俺達の目の前で倒れたことが……」

「あれは、まあ」


 と、ばつが罰悪そうに視線を逸らす彼女。


「……あ、レン君。昼食はどうするの? 屋敷で?」

「お母様、誤魔化さないの」


 エルザが両手を腰に当て母に言及。すると彼女はさらに形勢不利と悟ったか、


「あ、そういえばラキ君はどうしたの?」

「お母様」

「いつも三人でいるから気になっただけよ……それで、ラキ君は?」

「村を離れて遠出しているよ。明日には帰ってくると思う」


 レンが言うと、彼女は「そう」と答え、


「それじゃあそろそろお昼だし、昼食にしましょうか。そういえば今日の献立はエルザの好物である――」

「――やはり、ここだったか」


 次いで聞こえたのは、背後からのアレスの声。振り向くと、多少ながら息を切らせた普段着のアレスが、エルザの母親を見据えていた。


「部屋を訪れたらいなかったため、心配したぞ」

「大丈夫よ、自分の体調は――」

「よく理解している、だろう? だが、もう少し気を使ってくれ」


 そう言って、心配そうな眼差しをアレスは投げかける――どうやら見た目は元気そうな彼女も、ずいぶんと体を悪くしているらしい。


「……ごめんなさい」


 沈黙を置いて、エルザの母は謝罪する――するとアレスもまた、謝罪の言葉を口にした。


「こちらこそすまない、ティルデ……部屋に戻ろう」


 アレスが言うと、彼女――ティルデは小さく頷き、歩き出した。やがてアレス達は手を繋ぎ、静かに屋敷の玄関へと歩いていく。


「……相変わらずだな」


 二人を見送りながら、レンは言った。対するエルザは「そうだね」と答え、


「相変わらずお父様は過保護で……二人は、すごく愛し合っているのよね」


 ――手を繋ぎ歩調を合わせる二人の姿に、俺は内心同意する。


 やがて二人の姿が見えなくなった後、レンがふいにエルザへ言った。


「……ティルデさんの言う通り、もうすぐ昼だな」

「なら、屋敷で食べればいいよ」


 エルザはにっこりを笑みを浮かべ俺に言う。こちらはそれに小さく頷き、やがて雑談を交えながら歩き始め――


 夢から覚めた。左半身を下にして寝ているため、壁が俺の目に入る。


「……朝だな」


 呟きつつ俺はゆっくりと起き上がった。そして先ほどの夢を思い返し、女性の名を口にする。


「ティルデ……か」


 呟いた瞬間、どこか懐かしさを抱く……いや、俺は初めて聞く名であるので、こういう感覚はおかしいのだが――勇者レンの記憶が、そうさせているのかもしれない。


 今日の夢を見て、彼女は勇者レンにとっても大切な人だったのだと俺は推測した。それは英雄アレスが過保護になるくらいのことでもなんとなくわかるし、エルザやラキも同様だったに違いない。


「……ともあれ、夢の時点では屋敷で暮らしていたみたいだな。しかし、今は……?」


 良くない方向に考えてしまうが……きちんとあの屋敷にいることを祈ろう。しかし、アレスは亡くなり、ラキが闇に身を落としたと知ったなら――


「まあ、どちらにせよ場所がわからないとどうしようもないな」


 とりあえずこれも他の疑問と同様棚上げにしよう……心の中で断じつつ、俺は着替えようとベッドから出た。


 ――今日は、とうとうベルファトラス統一闘技大会の予選エントリー開始日だ。エントリーは十日後まで受け付けるらしいが、基本初日と最終日が多いらしい。リミナも今日済ませるつもりのようなので、見物がてら付き添いで行こうかと考えていた。


「何より、ラキ達に遭遇するかもしれないし」


 その点は、ナーゲン達も警戒していた。エントリー当初から騒動を引き起こすとは考えにくいのだが、注意するに越したことはない。


「そういえば、他の面々はどうする気なんだろう。結局、訊かなかったな――」

「おーい、レン」


 と、そこでノックも無しに部屋を訪れる人物が一人。見ると、フィクハだった。俺は寝間着姿の状態で、彼女に応じる。


「ああ、おはよう」

「……今の今まで寝ていたようね」

「そうだな。で、何?」

「いや、リミナさんのエントリー登録で闘技場に行くんでしょう? 私もそれに付き合おうかと思って」

「……何で?」


 疑問を呈すと、フィクハは小さく肩をすくめ、


「私も予選から出場しようと思ってさ。だから、一緒に登録しに行くの」


 ――フィクハも、か。何やら考えている様子だが、そう決断したのならとやかく言うつもりはない。


「そうか。他の面々は?」

「グレンも同じような意向みたいよ。というわけで、四人で会場に行くことになるわね」

「そっか」


 とすると、予選参加者は三人になるのか。


「他の面々は着替えて食堂にいるよ」

「わかった。俺も着替えるから先に行っていてくれ」


 俺が言うと、フィクハは「了解」と短く答え部屋を出た。


「さて、と」


 気を取り直し着替えを始める。そして新たに勇者レンの記憶から出された名前と彼女の姿を思い出しながら――準備を進めた。


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