怒りと予感
俺は迷うことなくどうにか麓まで辿り着く。魔族は俺の移動速度が上回ったためか、それとも余裕のつもりか……走り始めた時の圧倒的気配を消し、途中でいなくなってしまった。
けれど俺は足を一切緩めることなく……山を下りた。
「――リミナ!」
直後、道に座り込んでいるリミナを発見。周囲にはセシルを始めとした試験者や、マクロイドやルルーナの姿もある。
「大丈夫か!?」
「……どうにか」
小さな声で彼女が返答する。そこで次に口を開いたのはセシル。
「驚いたよ。まさか道からじゃなくて空から降って来るとは。天使にでもなったの?」
「セシル、冗談は――」
「わかっているさ」
彼の声音は、ずいぶんと重い。
「リミナさんが墜落直後に伝えたよ……色々と面倒な奴だったけど、死なれて良い感情は持てないな」
……怒りを紛らわすための冗談だと、俺は察した。そこでマクロイドに視線を移す。彼は険しい顔をした状態で、なおかつ目に怒りを溜めているのがはっきりとわかった。
「心配するな、我を失っているわけじゃない」
俺の視線を気にしてか彼は口を開く。それなら、良いのだが。
「で、当該の魔族は?」
「……途中でいなくなった。撒いたんじゃないと思う」
「わざとレンを逃がしたと?」
質問は、以前と変わらない赤の鎧を着たルルーナから。俺は小さく頷き、
「相手は表に出たくなかったなんて言っていたけど……バレて以後、現状を楽しんでいる雰囲気だった。だから俺をわざと逃がし――」
「一足先に報告させ、迎え撃つ準備をさせたわけです」
声は、山道から。ゆっくりとした足取りで――名前もわからぬ女性魔族が下りてくる。
「その役目は、吹き飛ばした彼女が果たしたみたいですが」
魔族は俺達を見回し告げる……現在、マクロイドやルルーナを始め、精鋭が彼女と相対している。アクアやカインの姿は見えないが、後方に控えているはずだ。
そこで魔族は周囲を見回す。誰かを探しているような素振りだが――
「英雄ナーゲンはどこにいるのですか? 一度お目通り叶いたかったのですが」
「戦いが終盤に差し掛かり、一度山に戻ったよ」
答えたのはルルーナ。それに魔族は肩をすくめて答えた。
「魔族封じの魔法がきちんと発動しているかの確認でしょうね」
「……ほう、わかっているのか」
「この山に魔石を配置しているのは承知済みですよ。もっとも、場所まではこの忌々しい魔法のせいで上手く捕捉できませんから、破壊する気にもなれませんが」
至極面倒そうに魔族は語る……目の前の驚異的存在の力を抑えるとなると、魔族封じの魔法は相当強力なものなのだろう。
「では、私の要求を伝えましょう。あなた方が集めた武具の中に、私達魔族にとって縁のある物が存在します。それを渡して頂ければ、このまま帰ることにしましょう」
「断る」
マクロイドが即答し、怒りをたぎらせ剣を向ける。
「……素直に渡して頂けるとありがたいのですが。確か魔族の血を持つ騎士がいたはずですね? その人物に探させているのでしょう? 渡すだけなら簡単でしょうに」
「……なるほど、そういう役目を担っていたのか」
小さな声でマクロイドが呟く。ノディのことを理解した様子であり、
「どういう事情であれ、魔族を増長させるような真似はできんな」
さらに決然と告げ……魔族は、ため息を漏らした。
「ま……交渉の余地がないことは理解していますよ」
言うや否や、彼女の周囲に影の刃が地面から生まれる。それはまるで生き物のようにうねり、轟く。
「ならば、あなた方が首を縦に振るようにしてみせましょう」
「……後悔するなよ」
マクロイドは言った瞬間一歩前に出て、魔族と真正面から対峙する。さらにルルーナが右に回り、他の人物達も移動を開始する。
この場にいるのは、マクロイドにルルーナ……そして左にセシルが回り、さらに近くにいたロサナが、マクロイドの後方を陣取る。
ルルーナの横にはアキやレックスが近寄り、さらにセシルの近くにはいつのまにかカインが辿り着いていた。
さらに、俺の横には様子を見て近づいてきたフィクハやグレン……おそらく、後詰めのためだろう。さらに試験を行う側にいた闘士もセシルやルルーナの近くへ進む。
盤石の態勢に見えなくもないが……先ほどの光景が蘇り、不安に襲われる。
勝てるのか……なぜだか、シュウと遭遇した時のような絶望感に捕らわれる。以前のように黒騎士はおらず敵は単独。影の刃は怖いが、マクロイド達には防ぐことができるかもしれない……けれど、そう思っても不安は消えない。
魔族は包囲されていく現状に対し、微笑むのみ……影の刃を地面から出し入れし、様子を窺う構え。
「……これは、驚いた」
そんな中、魔族がマクロイドへ声を上げた。
「あなた方、一目見て私の攻撃範囲を理解しましたね?」
「お前、魔族封じの魔法により探り探り影を操っているだろ? そのせいですぐにわかったぞ」
マクロイドが言及。それはどうやら図星だったようで、魔族は「ええ」と軽く応じた。
「なるほど……やはり歴戦の戦士達は一味違いますね」
「言ってろよ」
マクロイドの視線が鋭くなる。姿勢を整え、今にも躍りかかるような雰囲気。
そして、他の面々も戦闘態勢へ――
「全員、影は強力だ。危ないと悟ったら迷わず退け」
そこでルルーナが語る。全員の表情は一切変わらない。そればかりか言い出したルルーナ本人が退きそうにない気配を見せる。
やはり、死人が出たことで気持ちが高ぶっているのか……俺は制止するべきではと、一瞬思った。ファーガス達の光景が脳裏に焼き付いて離れず、ネガティブな考えしか浮かばなくなっている。
いや……それはもしかすると、予感なのかもしれない。けれど決心できず、押し黙り――
「覚悟はいいか?」
マクロイドが問い掛ける。それに魔族は事もなげに応じる。
「ええ、いつでもどうぞ」
どこまでも変わらない調子で答えた彼女に対し、周囲の空気が重くなる。誰もが彼女に対し殺気をぶつけている。
もしかすると相対したことで並々ならぬ存在だと悟ったのではないか――先ほど深淵のような魔力を感じたが、それを彼らが理解したのかもしれない。
思いながら、俺は何気なく魔力を探った――すると、先ほどのような魔力を感じ取ることができなかった。
眉をひそめ、魔族を見据える。その時、ゆらめく相手の目がこちらを射抜いた。視線が重なり、その表情が僅かだが笑みを見せる。
どことなく含みを帯びたもので――まさか、先ほど俺に示した魔力は、わざと見せたということなのか?
「再度、警告しておきましょうか」
魔族が殺気立つ面々に臆することなく、話し始める。
「私の攻撃範囲……『領域』に敵意を抱き入ったものは、容赦なく滅します。そして、もし私に従うのであれば、私は慈愛を持って応じましょう」
「……魔族から、慈愛なんて言葉が出るとは思わなかったな」
斜に構えたセシルが言う。途端、魔族は笑い出す。
「ここで滅された魔族達は、そのように従っていた者達だったのです。だからこそ慈愛をもって接し、力を与えようと今回の襲撃を計画した」
「……お前は、何者だ?」
訊いたのはルルーナ。その声音は死ぬ前に名くらいは聞いてやろう、という空気を漂わせていた。
けれど、魔族は肩をすくめる。
「名など、語る必要などないものですね。それとも、これから倒すべき相手の名前くらいは憶えておこうという思いですか?」
「貴様が高名な魔族なら、魔族達に告げれば気勢を殺ぐことができると思っただけだ」
「なるほど、実益を兼ねているのですね。しかし――」
そう言って、彼女はクスリと笑う。
「全て無意味ですね。あなた達は私に勝てないのですから」
――その言葉の瞬間、マクロイドが攻撃を仕掛けた。




