次に何をするのか確認
食事を終え、リミナが片付けを済ませた時、改めて席について話をすることになった。
「まず、お聞きしたいのですが」
口火を切ったのはリミナ。俺は神妙な顔つきで彼女と目を合わせる。
「記憶がない、というのはどの程度のものかわかりますか?」
「……意識は、はっきりしているよ。あと、リミナの言葉もわかる」
言いながら、頭の中で考える。
ここが仮に異世界だとすれば、なぜ言葉が通じているのかという疑問が生じる。まさか日本語が言語になっているわけでもないだろう。
とはいえ、そこはリミナに聞いてもわからないはず。だから追及はしない。
「そうですか。では……私のことは、何一つ覚えていないのですか?」
「ああ。ついでに俺が誰なのかもわからない。なんというか、人名とか地名とか、そういったものが抜け落ちているらしい」
「なるほど」
リミナは一瞬悲しそうな顔を見せたが、すぐに表情を引き締める。
「しかし、見た目は健康ですし、怪我らしい怪我もありませんね」
「ああ。痛みもまったくないよ」
俺の言葉に彼女は眉をひそめる。当然だろう。
「そうなると……原因はわかりませんね」
「……だな」
同意する。根本的に俺が勇者レン本人ではないので仕方が無いのだが――ちょっと待った。
ふと思いつく。元々の勇者レンの意識というか、自我というか……そういうものはどこにいったのだろうか。
「勇者様?」
リミナが訝しげに尋ねた。顔に出てしまったようだ。
「ああ、ごめん。少し考え事」
そう言ってはみたのだが、リミナはなおも問い質す。
「何か気になることが?」
「いや……」
「もしや、やはり体調が――」
「いや、大丈夫だから」
身を乗り出そうとした彼女に、手で制した。けれど彼女は不安を顔に出し続ける。
そこで一考。誤魔化すことも可能だが、変に角が立つのもまずい。しかし本来の疑問を口にするのもまずい。
なので……話を逸らすつもりで、俺は言った。
「まだ信じられないんだけど、俺って勇者なのか?」
「……はい」
不安げな問いに、リミナは姿勢を正してから答えた。
「私達がいるアーガスト王国では、名前だけならかなりの有名人ですよ」
「そうか……」
有名人。悪い気はしなかった。ただ――
「勇者としての戦い方も、忘れているんだろうな」
俺の言葉に、彼女は沈黙する。
勇者かつ有名人とあらば、騒動に巻き込まれる可能性が高そうだ。その時になって初めて剣を振り回すのは、いくらなんでも危ない。練習をしておく必要があるだろう。
「ごめん。それで話は戻るけど……」
俺はさらに話題を変える。リミナも反応しコクコクと頷いた。
「えっと、現在俺は何をするためにここにいる?」
「とある方からの依頼により、仕事をするためです。ここはその中継地点です」
「仕事、か」
状況をおぼろげながら理解し始める。勇者レンは仕事を請け、旅を始め、いきなり倒れ、ここに運び込まれたのだろう。
「なら、俺はその仕事をすればいいんだな?」
「はい」
「で、その内容は?」
「はい、ここから北にあるジェクン山という場所に赴き、ドラゴンを――」
「待った」
反射的に声を出し、手で制した。ちょっと待て。
「どうしましたか?」
「……今、かなりヤバい単語が聞こえてきたんだけど」
俺の言葉にリミナは首を傾げる。いや、ちょっと待ってくれ。ドラゴン?
「何か変なこと言いましたか?」
「ああ、いや……」
俺は濁すように答えつつ、それ以上の追及は避けた。
なんだか嫌な予感がする。体も反応し、背中から嫌な汗が出る。
「えっと……で、そこに行けばいいのか? 距離は?」
「ここから半日程度です」
結構遠いのだろうか。いや、この場合移動手段は徒歩か何かだろう。だから時間が掛かるに違いない。
「わかった……じゃあとりあえず、ここにいつまでもいるわけにはいかないだろうし、出ようか」
「え、今からですか? 倒れて目覚めたばかりだというのに」
リミナの瞳が俺を射抜く。加えて心配そうな顔に逆戻り。
「私としては、もう少し様子を見るべきかと思うのですが」
「本当に大丈夫だって。それに、仕事である以上期限とかはあるんだよな? なら、動かないと」
さっきの話から正直怖かったのだが……それをずっと気にしてここで休むのは、ストレスが溜まるだけだと思い、ならいっそすぐに向かった方が良いと判断した。
「体調が変化すれば、すぐに言うよ」
「……わかりました。勇者様が言うのであれば私は従います。では、支度を整えてください」
「うん」
言われると俺は立ち上がり、眠っていた部屋に戻る。そしてベッドの下から上着と剣を取り出す。
「……ドラゴン、か」
不安に思い口に出してみる。最後まで訊かなかったが、ドラゴン討伐とかそういうのに違いない。ドラゴンとお茶でも飲むなどという展開を望みたいが……そんなアホなことにはならないだろうな。
リミナの一言により、思考がドラゴン一色に染まる。夢か現実ということよりも、目先の危険な存在に意識を持っていかれた状況。
「はあ……」
ため息をつきつつ、着替えて腰に剣を差す――体が覚えていたのか、動作はひどくスムーズに行われた。
装備はこれで全て。一応他に何かないか探し、部屋の隅に巾着のような形をしたザックが一つ置かれているのに気付いた。
「これが荷物かな」
手に取り中を確認する。換えの衣服が綺麗に折りたたまれている他、植物の香りがした。
「薬草か何かかな?」
呟きながらも調べはせず、部屋を出た。
そこには既に準備を済ませたリミナの姿。ローブ姿は変わらなかったが、左手には俺と同じようなザック。そして右手には宝石がはめられた木製の杖を持っていた。
一目見て思う。ゲームに出てくる魔法使い系キャラそのものだ。
「では、参りましょうか」
リミナは言うと、先んじて家を出た。
俺はそれに続き外に出る。途端に太陽の光と、心地よい風。そして草木の匂いが出迎えてくれた。
周囲には農夫らしき人影がある。彼らは俺達に気付くと小さく会釈をして歩き去る。きっと農作業を始めるのだろう。
「では、まずお礼に行きましょうか」
「お礼……ああ、あの家の人に?」
「いえ、元々空き家だったところを村長の許可を得てお借りしたんです」
「へえ、そうなのか」
「はい……あの家です」
リミナが指差す方向には、赤い屋根の家が一軒。周囲の家々はどれも茶色なので、あれが村長の意を表すものなのだろう。
近づいていくと、村長の家から誰かが出てくる。白い髭を生やした初老の男性――間違いなく村長だ。なんと典型的。
「村長!」
リミナが呼び掛ける。すると彼はこちらに気付き「おお」と声を上げた。
「勇者殿、目覚めましたか」
彼の言葉に俺は「はい」と答える。
「お礼にと、思いまして」
リミナが告げる。すると村長は手を振りつつ返答した。
「いえ、勇者殿のお役に立てたとあらば、光栄です」
「何か役に立てることがあれば……」
「お気持ちだけで十分です。勇者殿には役目がおありでしょう。そちらにお向かい下さい」
「……すいません、ご苦労お掛けしました」
俺はできるだけ丁寧に応じる。村長はにっこりと笑みで応じると、その場を離れて行った。
「……またここに、お礼としてお伺いしましょうか」
「そうだな」
リミナの言葉に俺は頷く。
正直助けられたという実感はないが、この村に迷惑を掛けたのは事実だろう。仕事を終えた帰りに、何か持参して来るべきだろう。
「では、出発しましょう」
「ああ」
「何かあれば、すぐに言ってくださいね」
「わかった」
頷き、リミナの先導により歩き始める。
周囲に目を向けると、村人がニコニコと笑い掛けてくる姿があった。
「……勇者、か」
これはきっと、勇者レンの実績なのかもしれない。有名人だからこそ、こうして歓迎される。俺の実績ではないため違和感を覚えたが、慣れるしかないだろう。
そこでふと、頬をつねってみた。もしかしたら痛みもなく夢かもしれない――と思ったのは一瞬。痛かった。間違いなく現実、なのだろう……断定するのにも、まだ抵抗感があるけど。
「どうなるんだろうな」
不安しかなかったが、黙ってリミナの後を追う。
とりあえず、やれるところまでやってみよう……そんな風に決意する俺であった。




