異世界の事
その日は屋敷に戻って以後、何かあるわけでもごくごく普通の日常が流れ――無論、セシル達に噂話の件を話し――朝を迎えた。
太陽が上がる前の時間、俺とリミナは屋敷の門を出る。ちなみに朝食は、ベニタが昨夜の内に作っていたサンドイッチを頬張った。
向かうのは街の入口にある馬の係留所。昨日の段階でリミナが通行証なども受け取っているので、このまま向かうことができる。
「勇者様、二人旅というのは久しぶりですね」
「ん……言われてみればそうだな」
俺はふと思い返し……シュウの屋敷へ行く時が二人旅の最後であったのを思い出す。
「シュウさんの屋敷を訪れる時以来だな……それ以降は仲間がいたし」
「ですね……ただ旅というほどのんびりできそうにありませんが」
確かにフォーメルクという場所に着くまで一日と少し。なおかつ移動手段は馬なので、周囲の景色を見ながらゆっくり移動、などというのは無理だろう。
そんな風に考えている間に目的地へ到着。リミナが書状を提示し馬を二頭借り受ける。
「では、行きましょう。道案内は私がしますから」
「ああ」
頷くと俺は馬にまたがり、いよいよ陽が出始める中ベルファトラスを出た。
「今回出会う人物は勇者様と同じ境遇……どういう人物でしょうね」
門を出てすぐリミナが呟く。俺は小さく肩をすくめ、
「勇者と言っている以上、剣とかを振って戦う人物を勝手に想像しているけど……フィクハみたいな事例もあるしな」
「はい……ところで、勇者様」
リミナは窺うようにやや上目遣いとなって、俺に問い掛ける。
「詳しく訊いていませんでしたが……勇者様の暮らしていた世界とは、どのような場所だったんですか?」
「俺の世界?」
「はい。少しばかり興味が湧いたんです」
「ん……そうだな」
俺は手綱を操作しつつ考える……いざ説明するとなると、難しいな。
「まず、魔物とか魔族とかそういう存在はいないし、魔法も無い」
「魔法も……ですか」
「その代わりと言ってはなんだけど、色々な技術を生み出し、世の中を便利にしていた。雷の力を使ってスイッチ一つで明かりを使えるようにしたりとか、燃料を使って馬よりも速く走ることのできる乗り物とかが存在していた」
「便利に、ですか」
「これは俺の住んでいた場所の話だけどね」
「今回の人もその場所から来たと考えてよいのでしょうか?」
「どうだろうな……もし同じ場所からだとしたら、何か意味があるのかも」
答えながら考える。俺とシュウは日本からやって来た。で、今回の勇者も同じ場所からだとしたら……それは理由があるのか、はたまた偶然なのか。
「俺達は『星渡り』について調べたわけじゃないからどうとも言えないな……一連の事件が解決したら、改めて魔法を解析しても良いか」
「で、誤って魔法を使ってしまい、異世界へ飛ばされるというわけですか」
「……それは、キツイな」
零しつつ苦笑する俺。そこでリミナはさらに質問を重ねる。
「そういえば、シュウさんは『星渡り』の魔法を調べたんでしょうか? あの方の技量なら魔法の仕組みを解析し、入れ替わってしまった精神を再び戻すことも可能じゃないかと思うのですが」
「考えられるとしたら、シュウさん自身魔の力に侵されそうする気もなかった。もしくは一度魔法を使うと二度は使えないとか」
「……二度と使えないとなると、勇者様は帰れませんよね」
「そうだな」
さっぱりした口調で返答し――リミナは少しばかり驚いた様子だった。
「……勇者様」
「ああ」
「その、帰りたいと思ったことは、あるんですか?」
どこか不安げに問い掛ける彼女……俺は、これまでのことを思い返す。
そもそもこの異世界に来たのが突然で、さらに勇者レンの訳ありな友人と出会い、さらに同じ境遇の英雄と出会い……元の世界に帰ろうという考えは、なかった気が――というか、勇者レンのことが気に掛かり、帰ることに目を向けなかったと言った方が良いかもしれない。
現状『星渡り』という名前は判明しているし、シュウの屋敷を調べれば詳細だってわかるはずなので、帰る手段を探すことだってできるだろう。けれど……フロディアなんかにも話したが、帰るにしてもこの世界で起こった問題を解決してからだ。
「……実際の所、是が非でも帰りたいという思いはないかな」
だからリミナに、俺はそう答える。
「最初は記憶喪失云々で誤魔化すのに精いっぱいだったし、その間に自分が何をするべきなのかを考え、強くなろうと思いそっちを優先したわけで……」
「そう、ですか」
リミナは歯切れの悪い口調で応じる。何か、思うことがあるようだが――
「……気になることがあるのか?」
尋ねてみると、リミナはこちらを一瞥し、
「……いえ」
首を左右に振った。態度からは何か言いたいような雰囲気だったが……無理に訊くようなことでもなかったので、
「そうか」
と答え、言及は避けた。
「とりあえず今は、シュウさん達を倒すことだけを考えよう」
「……はい」
やや間を置いてリミナは答える。やはりどこか引っ掛かる態度。
この件について、踏み込んだ話をした方がいいのだろうか……多少悩んだが、無理に訊かず自発的に話し出すのを待とうかと思った……まあ、以前のように戦闘に影響が出るようなことはないと思うし。
「リミナ、話は変わるけどフォーメルクという場所に行ったことはあるのか?」
話が途切れたのをきっかけに話題を変える。するとリミナは頬をかきつつ、
「初めてです……実を言うと、海を見るのも初めてです」
「あ、そうなのか」
「はい。なので、少しばかり緊張しています」
「何で緊張するんだ?」
「海というのは恐ろしい場所だと聞いていますから」
……どこ情報なんだ? それ?
「一面水に覆われ、踏み込めば足のつかないような奈落に引きずり込まれるとのことで……」
「……表現はアレだけど、間違ってはいない気もするな」
神妙な顔つきとなって呟く俺。けどまあ、捕捉しておいた方がいいかも。
「まあ、過度に警戒するような場所ではないよ。ほら、山だって眺めているだけでは何もしてこないだろ? それと同じで見ている分には綺麗だよ」
「とすると、入り込めば危険なんですね」
「……泳げない人にとっては危険かもしれないけど、そんなに険しい顔しなくても良いと思うよ」
「私は泳げないので、気を付けないといけません」
……なんだか余計警戒させてしまった気もする。まあ、間近で海を見たなら変わるかもしれないし、とりあえずこれ以上の言うのはやめよう。
しかし、海か……そんなに思い入れはないし、俺だって泳ぎが上手いわけではないので、海に行って思う事も少ない――とりあえず海水浴シーズンだし、話題だけは出すことができるけど……そういえば、この世界に水着ってあるのか?
「一面水だとすれば、まずは凍らせて足場を作るのが適切でしょうか」
「……何で海の上で戦うという話になっているんだ?」
「念の為です」
生真面目に語るリミナ。それに俺は苦笑しつつ……ふと、思った。
英雄達が魔王復活を防ぐために戦い、さらに新たな異世界来訪者が俺達の前に姿を現す――そして、噂レベルではあるにしろ悪魔などが動いているという状況……戦いは、新たなステージに突入したと判断していいだろう。
そして俺は、英雄アレスの剣を持つ中心的な役割……立場を認識するとほんの少しだけ体が震えた。それを俺は抑え、手綱を握り直し馬を進め続けた。
次回から新しい章となります。