聖剣を巡り――
なぜ――そういう考えが頭を埋め尽くす中で、半ば反射的にリデスの剣を離し、聖剣を掴む。瞬間、周囲に立ちこめる粉塵が一気に上空へと舞い上がり、視界にシュウ達の姿が見え、
「……咄嗟に、投げ捨てたか」
彼の声――ナーゲンに接近し、手刀を放った彼がいた。
ナーゲンはそれを自身の剣でどうにか防いでいた。けれど地面に僅かながら血を零しているのを目に留め、先ほどの魔法や攻防で負傷したのは明確に理解できた。
「賢明な判断だな。もし手放さなければ、私に奪われていた。やはり一筋縄ではいかないようだ」
シュウは語ると同時に手刀を引き、後退する。一方のナーゲンは、追おうとしなかった。聖剣がない以上攻撃しても無意味だと断じたのかもしれないし、怪我により無理だと判断したのかもしれない。
対するフロディアは無事……なのかわからないが、少なくとも出血等は見られない。
「だが、これで残りはフロディアだけとなったわけだ」
シュウはなおも語る――その時、一つ気付いた。
彼の後方に控えていた黒騎士の姿が、無い。
すぐさま周囲を見回す。ルルーナやマクロイドも警戒を露わにし、気配を探っている。
「そしてフロディアは私の魔法に警戒しなければならない以上、深追いすることはできない」
なおも続けられるシュウの言葉……まるで最初から黒騎士などいなかったような態度に、誰もが警戒する。
「つまり、私に進んで食らいつく人間はいなくなったわけだ。無論、傷を無視して戦うことは可能だろうが、先ほどの攻防で理解しているはずだ……手負いの攻撃が通用することは、ないと」
決然としたシュウの言葉……語る口の端には笑み。
「腕の一本でも犠牲にすれば私に刃を当てられるかもしれないが、通用する可能性が低い以上、君達がそんな愚を犯すとは思えないし……さて」
と、シュウは視線を巡らせ――俺を捉えた。いや、正確に言えば俺の握る聖剣を、視界に入れた。
「レン君、その聖剣をこちらに渡してくれ。そうすれば、私は退くことにするよ」
「レン、聞く耳持つなよ」
マクロイドは言いながら、満身創痍の状態で剣を構える。
「マクロイド、君は隙あらば特攻しそうな気配だな」
「魔王の力とはいっても、魔力を感じる……つまり魔力が消えれば、その厄介な防御能力も消えるんだろ? なら、お前が魔力を失くすまで戦い続ければいいだけの話だ」
「その間に、君達の誰かが死ぬことになるぞ?」
「覚悟の上だ」
強い口調でマクロイドは言うと、前傾姿勢となる。合わせるようにルルーナやカイン……怪我をした面々全員が構えた。
「……レン君、これから死地に向かおうとする彼らを止めるべきじゃないか?」
「言ってろよ。後悔させてやるぜ」
あくまで強気のマクロイド……いや、死を覚悟して踏ん切りがついた、と言うべきだろうか。
もし特攻を開始したら、誰かが死ぬ……そしてシュウは魔力を維持できなくなり、多少の犠牲と共に誰かの剣がシュウに当たり、倒すことができる――と、マクロイドは考えているようだ。
けれど、この策は不確定要素が多く目論見通りいくとは思えない。そもそもシュウの魔力がどのくらい残っているかで結果は大きく変わる。十分な余力を残しているとしたら、マクロイド達がやられ、終わるだろう。
だが……そうした手しかないのも事実。
「さて、どうする?」
シュウが俺の握る聖剣に視線を送りながら尋ねた。なおも笑みを見せ……俺を、恐怖させる。
この場にいる面々の無事を考えれば、渡した方がいいだろう。退くという確証はないのだが、彼は約束を守り退いてくれる気がする。
けど、聖剣を渡すことが正解だとは思えなかった。
「……嫌です」
端的に告げる。それに、シュウは予想通りだったのか嘆息する。
「なら、仕方ないな――」
告げた直後、マクロイド達が足を踏み出す。さらに負傷したナーゲンも動き、最終決戦とでも言うべき状況に陥る――
次の瞬間、唐突にシュウから魔力が発せられた。そして、
突如頭上から、光の雨が降り注いだ。
「勇者様――!」
リミナの声と同時に、俺は本能的に後方に下がった。リミナやノディも下がり、直後――
雨が、俺達の真正面を貫き、盛大な爆音と粉塵を生じさせた。
「な……!?」
俺は瞠目しつつ、俺達三人以外の面々が巻き込まれてしまったのを理解する。声を上げようとしたが、もうもうと立ち込める土煙の中に立ち上がろうとする人影を発見したため、言葉を止め、
「さすがに今のは、効いただろう?」
シュウの問い掛けが明瞭に聞こえた。同時に、
「風よ」
フロディアの声。砂埃が全て上空へと昇り……姿を見せたシュウが告げる。
「魔王の力を多少ながら含めた魔法……完全に防ぎきることができたのは、フロディアだけか」
彼の言う通りだった……魔法に巻き込まれ、フロディアとナーゲンを除いて誰もが膝をついていた。動くことがほとんどできないのか、全員が荒い呼吸を伴いシュウを見据えている。
その中でフロディアは……無事のようだった。いや、より正確に言えばナーゲンが咄嗟に庇ったのだと思う。フロディアの前に、彼が超然と立っていることから、そう推測した。
「……くっ」
僅かに呻くナーゲン。同時に、彼もまた膝から崩れ落ちた。
「油断のしすぎだな……いや、気付いていたとしてもどうしようもなかったか」
シュウが述べると共に、彼の影が突如地面から伸びた。それが次第に形を成すと……黒騎士が出現する。
「その悪魔の魔力を利用し、詠唱も無く魔法を使用したというわけか……」
淡々とフロディアは語り――膝を屈するナーゲンを抱え、後方に大きく退いた。そして彼の言葉に、シュウは「そうだ」と答える。
「魔石などで無詠唱魔法を使用するだろう? それの応用だ。こいつが消えた時点で、予想するべきだったな……まあ、取り込んだ時点で魔法はいつでも使用できたため、勝敗は決していたのだが」
シュウはフロディアに視線を送りながら話し……次いで、俺に視線を向けた。
「さて、レン君。もう一度交渉だ」
彼がにこやかな顔をして口を開く。
「現状を見て、最早君達に勝ち目がないのはわかるだろう。唯一残ったフロディアさえも、私の広範囲魔法を警戒しなければならないため、満足に戦えない。つまり」
と、彼は俺に指を差した。
「残るは君と、従士。そして騎士の彼女だけだ……それでも、戦うかい?」
シュウは問う――俺の背筋を凍らせるような鮮やかな微笑を伴って。
「もし聖剣を渡してくれるのなら、これ以上戦いはしないさ……私も、この場にいる面々の底力には警戒している。総力戦となっても勝算はあるが、あまりリスクを冒したくないのも事実でね……この辺りで、手打ちといかないか?」
「……あんたは」
声を、零す。何かを問おうとしたわけではなかった。けれど口に出した後、次の言葉が自然と漏れた。
「英雄としての自覚は……どこにも、ないのか?」
正直、答えが返ってくるとは思っていなかった。けれど、
「自覚、か……まあ、今の私はそうだと言えるな。こうして魔の力に浸された時、抵抗があったのは事実だよ。けどね」
シュウはそこで、先ほどまでとは異なる微笑を浮かべた。どこか悲しげなで、まるでラキが見せたような――
「最後に私を後押ししたのは、たった一つ。私の記憶の中にある、憎しみだ」
「憎しみ……?」
「そう、憎しみ。私は――」
そうして、彼は俺へ決然と告げる。
「――私の中に眠る記憶が、英雄アレスを憎んだんだ」
聞こえたのは、俺にとって理解できない言葉だった。