『彼』は何者なのか
しばしの静寂――その後、最初に口を開いたのはギアだった。
「……やれやれ、最後の最後でこれか」
この状況を一言で表すような口上――俺は苦笑し、小さく息をついた。
「相手は消えたみたいだし、ひとまず部屋を調べる?」
問いにギアは小さく頷いた。そしてリミナはやや不安げに、こちらへ視線を送っている。
「……リミナ、今の俺に答えは出せないよ」
言うと、彼女は目を伏せ「わかりました」とだけ答えた。
「それじゃあ、気を取り直して調べるか」
ギアは言うと、率先して中を動き始める。俺は彼の様子を見ながら、部屋をぐるりと見回した。
廊下と同様に赤い絨毯の敷かれた部屋は、扉から見て両サイドの壁が棚で埋め尽くされていた。さらに扉と反対側の壁際には、書類整理でもするような大きいデスクが一つ。
棚に目をやる。分厚い本や、巻物なんかが詰め込まれている。
金目の物はなさそうだが――こういう考え方をすると、なんだか泥棒している気分になる。
「うーん、武器や道具の類はないのか……?」
ギアは呟きながら、棚から一冊本を手に取る。そこに何か仕掛けられていたら――警告しようとしたが、何事もなくページをめくり始める彼を見て、口をつぐんだ。罠もないようだ。
「ふむ、人間の研究資料だな」
「人間?」
聞き返しつつ、俺は彼に近寄り横から文面を覗き見る。それは、アーガスト王国の歴史と思われる本だった。
「人間に関する情報を集積させた場所、みたいだな」
ギアは言うと本を元に戻した。そして両サイドの棚を一瞥し、深いため息をつく。
「怪しそうな場所がわかればいいんだが……」
見た目上、研究者なら喜びそうな部屋だが……俺達には、魅力がない。
「……ん?」
その時、リミナが訝しげな声を発した。目をやると、棚を凝視する彼女がいた。
「所々、本が抜き取られていますね」
言われて、再度棚に視線を送る。確かに指摘されてみれば、何ヶ所か隙間の空いている部分がある。
「先ほどの人が、取りに来たのでしょうか?」
「何のために……というか」
リミナに応じたのはギア。
「そもそも、あいつはどうやってここに来たんだ?」
「転移術でしょうね」
「ここに直接? できるのか?」
「それほど難しいことなのか?」
俺が尋ねると、返答はリミナから来た。
「転移術を使用する場合、まず到達地点の場所を明確にしておかなければなりません。その状態で魔力を使い移動する……口で言うのは簡単ですが、かなり大変です」
リミナは一度言葉を切ると、棚に視線を向けながら続ける。
「私達が街へ戻る場合の転移術と同じ原理ですが……あちらの場合は地上にあることと、街中に魔石を据え置いているので、多少大雑把でも魔石の魔力に引き寄せられて転移できます。しかしここの場合は地中であり、魔力だって土などに阻まれて地上からは判別できないはず……少なくとも、同じことをやれと言われても、私にはできません」
「かなりのことを、やっているわけか」
感想を漏らすと、リミナは頷いた。
「疑問は他にもあります。彼がここにいたということは、この場所を正確に把握していたということ。現在研究者や勇者がここを攻略している状況で、なぜ彼が知っているのか」
「魔族、という線ならわからないでもないが……」
続けたのは、ギアだった。
「それだとレンに親しげだった説明がつかない。あいつは人間だろうからな」
「彼が魔族と交流のある可能性は……」
「ゼロじゃないが、魔族が敵である人間と関わりを持つとは……いや、待て」
ギアはそこであさっての方向に目をやり、何事か考え始める。
「そういえば、あいつのマント……」
「何かあるのか?」
「あいつが着ていたマントの裏地に嫌な刻印が見えた気がした。見間違いかと思って話さなかったんだが……それなら説明がつくかもしれない」
「何を見ましたか?」
リミナの問い。ギアは彼女に鋭く目線をやると、意を決したように話し出す。
「六芒星の魔方陣と、その中心に十字架の刻印……見間違いじゃなければ『アークシェイド』の奴らだ」
「……なるほど」
聞き慣れない単語。組織名みたいだが。
「解説しておくべきだな」
そこでギアは俺に顔を向けた。
「人間の中にも魔族と繋がっている輩が存在する……仲間とかではなく、完全な打算関係だが……そうした組織の一つが『アークシェイド』だ。魔族の依頼を請け、人間の暗殺なんかをしているらしい」
ずいぶんと物騒な組織だ。けれど、その情報から考えが浮かんだ。
「もしさっきの男性……俺の知り合いっぽい奴が『アークシェイド』だとしたら、魔族から依頼のためここに来たと?」
「そうだ。魔族からの仕事なら、ここに転移できたのも理解できる。遺跡の地図くらいあるだろうからな」
ギアは言うと、顔を険しいものに変える。
「さっきの奴は、決着を付けるとか言っていなかったか? もしそうなら何かしら因縁があるようだが……」
「さっきリミナにも言ったけど、記憶の無い俺には答えを提示できないよ」
「それもそうか……あ、一つ言っておくが奴と知り合いだからって、お前も組織所属だとか言う気はないから心配するな」
「お気遣いどうも」
俺が答えるとギアは笑う。
「ま、奴は消えたわけだし、大丈夫だろう。次会ったらみたいなこと言っていたが、それまでに力を取り戻せばいいわけだ」
楽観的なギアの意見。けれど、俺はそう思えなかった。
リミナを見る。ギアに同意見なのか、こちらと目を合わせ小さく頷いている。
「……わかった」
言葉を押し殺した。なんとなく勇者であるため弱音を吐くべきではない――そんな風に思った。
「で、これからどうしようか?」
話を変えるべく、俺は二人へ尋ねる。
「めぼしい物もなさそうだし、戻る?」
「それも一つの案ですが……」
今度はリミナが口を開いた。
「なんとなく、上の方が気になりませんか?」
「上?」
「あんなゴーレムが……一体だとは限らないでしょうし」
確かに、そうだ。俺達はマジックゴーレムを難なく倒せたが、他の面々も同様なのかはわからない。
「もし戻って犠牲者が出ていた場合……寝覚めが悪いですし」
「そうだな。勇者としては、窮地に陥っていたら救うべきだな」
決定。ギアも俺達に賛同し、来た道を戻り始める。
「はあ、しかし収穫なしか」
通路を歩いているとギアが愚痴を零す。俺は苦笑しつつ、ふと気になった点を訊いてみた。
「なあギア。この場合俺達が一番乗りになるわけだが……お宝はなし。ということは、こっちとしてはくたびれ損?」
「遺跡攻略レースは完全勝利だが、それだけじゃあ味気ないよなぁ」
「そうだな」
同意しつつ、先ほどの男性を思い浮かべる。最深部には到達した。けれど、釈然としない心情が渦巻いている。
なんとかならないものか――考えていると、通路に複数の靴音が響き始めた。大きなこの通路に人影はない。けれど予想はつく。俺達が通って来た通路だ。
やがて隠し通路のある場所に差し掛かる――そこから、学者らしき一団が現れた。