従士となる宣言
以後、リミナの意識は毒によってもうろうとし始めた。
自分が今起きているのか夢を見ているのかさえわからない。気付けば木目の天井が見え、かと思えばあの悪魔と戦っている。郷里に帰る光景が目に入ったかと思えば、激痛と共に漆黒の闇に放り込まれる。
次第に全てが混ざり合い、木目の天井の奥に悪魔が見え出しリミナに迫ろうとする。必死に体を動かし回避しようとした時、今度はレンが目の前に現れ剣を向けてくる。
心の中でもう嫌だと呟くこともあれば、全てを受け入れ死を待つような感情を抱く時もあった。やがてそれも混ざり合い、夢の中で意味のない叫びを上げる。そして悪夢から抜け出したいと思う。
そうした夢と現実が混在する光景は、永遠とも呼べるほど長く続いた――気がした。
けれど次第にそれが落ち着きを取り戻し、ふいに目を開けた時、見慣れた天井が正常に見えた。
リミナはそれを黙って眺める。天井を突き破って悪魔が来ないとも限らなかったのだが、しばらくしても変化が起きないため、意識が正常に戻ったと悟った。
「……私、は」
首を動かす。部屋の中には誰もいない。加えて太陽の光が窓から注いでいる。傾き具合から見て、朝方だろうか。
そこで、はたと気付く。体がほとんど痛くない。首や腕を動かしても、だるさだけで他に何も感じなかった。
「毒が回って、ほんの一時正常に戻ったとか?」
呟き――口も正常に動いていると気付く。リミナは天井を見ながらこれはどういうことなのか疑問に思う。
その時、部屋の向こう側から扉の開く音が聞こえた。誰かが家に入ってきたらしい。扉を注視すると、やがてそれも開いた。現れたのは医者。
「……目が覚めたか」
医者はリミナを一瞥すると安堵の息を漏らした。
「体の方はどうだ?」
「……痛みとかはありませんが」
「そうか。どうやら解毒できたようだな」
解毒――その一言で、リミナは目を見開いて驚く。
「解毒……したんですか?」
「ああ」
頷く医者。瞬間、リミナの頭に治療の件が浮かぶ。
「あの……私、お金とかは」
「前払いで支払ってくれる人がいたんだ。それによりどうにかできた」
医者は答え、リミナは再度驚く。こんな人間に大金を支払う人間なんて――
「……まさか」
リミナは決闘した勇者を頭に浮かべる。そんな、あり得ない――
「そう、彼だ。勇者レンが君を助けた。純度の高い魔石を所持していて、それを換金して資金を作った」
医者からは、信じられない言葉が返ってきた。
「なぜそうしたかは私も理由は聞かされていない……当然、話はするだろう?」
問いにリミナは即座に頷く。
「わかった。それでは少し待っていてくれ」
彼は言うと、すぐさま踵を返し部屋を出た。
「……俺の、気まぐれだよ」
――やってきたレンが、リミナに告げた最初の言葉はそれだった。
「これだけ関わった以上、死ぬのを見るのは忍びなかったということだ」
理由を語る彼だったが――リミナは到底信じられなかった。
「そんな馬鹿な話……」
「金額の多さから、君はそう思っているのかもしれないけど」
リミナの言葉を遮るように、レンは語る。
「俺から見れば、屋敷買えるくらいの金を失うより、目の前で人が死んでしまうのが嫌なだけさ」
言って、視線を逸らす。リミナはそこで、態度から理由を尋ねても教えてはくれないだろうと思った。
「……そう」
リミナは答えると共に、小さな息をつく。同時に、彼に対し今までとは異なる感情が湧き上がっていた。
なぜ自分を助けたのかという興味と、何より恩義――敵意を見せていたにも関わらず、大金を投じて自分の命を助けてくれたという、感謝。
「お礼を、しないと」
「気にしなくていいって」
「しかし……」
「本当に大丈夫」
レンは肩をすくめ、笑い掛ける。けれど、リミナとしては納得がいかない。
どうすれば報いることができるだろうか。屋敷を買える大金なんて途方も無い額なので、普通に返せるとは思えない。
なら――リミナは、一つだけ思い当たることがあった。
「……レンさん」
「ああ、どうした?」
「従士になります」
端的な言葉。それにより、レンは目を白黒させる。
「は? 従士?」
「命を救って頂いたお金の分だけ、従士として働きます」
「……いやいや、待て。俺は別にそんな――」
「私としてもこのままでは引き下がれません。あなたのために働きます。レンさん……ではなく、勇者様。よろしくお願いします」
「いや、それは……」
レンは首を振りながら否定しようとする。けれど、言葉が止まった。リミナの強固な瞳に、押し負けたのかもしれない。
その時リミナは、従士になることしか頭になかった。より正確に言えば、それが彼に報いる唯一の手段だと愚直に思っていた――
「……と、こんなところです」
一連の話を終え、リミナが締めの一言を告げた。
「ちなみに従士になると決意した後、勇者様はこっそり村を抜けだそうとしたのですが……私が気付いて追いすがる姿を見て、あきらめたようです」
「……無茶苦茶だな、リミナ」
感想を漏らす。するとリミナも「そうですね」と同意した。
「私、一つこうだと決めたら突っ走ってしまう人間なので」
「それは、俺にも理解できる」
「その時は、従士になることが一番だと思ったんです……振り返ってみれば、ご迷惑だったんでしょうけど」
「でも本当に嫌だったら、面と向かって言ったんじゃないか?」
「かもしれませんね……それで、勇者様」
「ああ」
「話を聞いて、何か思い当たることはありましたか?」
問われ、俺は腕を組み考える。
出会いから決闘までは、特に考える必要も無い。あるとすれば、リミナが毒を受け会話の中で反応を示した部分だ。
「……安直だけど、リミナの言葉に何かを思い出したんじゃないかな」
「言葉?」
「毒の診断を受け、会話をした時。そこだけ様子がおかしかったみたいだし」
「例えば?」
「うーん、そうだな……あ、似たようなケースかどうかわからないけど、アレスの奥さんが有力かもしれない」
「奥さん?」
聞き返すリミナに、俺は頷いた。
「ああ。断片的に夢を見る中で、今の所アレスの奥さんが出て来てない。亡くなっているのかと思ったんだけど、エルザがアップルパイを焼いて母親に食べさせる、という場面があったから、夢の時点で生きているのは間違いない」
「ご病気だったんですか?」
「エルザがこれを食べて元気になるとか言っていたから、健康というわけじゃないだろうな」
「そうですか。でも、病気でしょう? 毒ではなく」
リミナは納得がいかないのか、首を傾げ俺に問う。
「私が言ったこととその件を重ね合わせているとすれば……罪だとか、自分の身に降りかかったとか、そういう言葉が出てくるはずですよね? 例えご病気でも、そんな言葉が出てくるとは思えませんが」
「……だよな」
彼女の意見に、俺は同意せざるを得ない。
「母親の件と関係ないのかもしれないし……この辺りは、何か夢で見たら報告するよ」
「わかりました」
彼女が頷き――会話は終了。
何かがわかったわけではないが……とりあえず、勇者レンの過去に、生き死にに関することがあるというのはなんとなくわかった。その辺り、ラキも関係しているのかもしれない……今後も現れるであろう夢から、判断するとしよう。
「――ただいまー」
ふいに、声がして部屋の扉が開いた。見ると袋を抱えたフィクハと、後方にライラ。
「あれ? もう帰って来たのか?」
「もうって……夕方近いけど?」
言われ、思わず窓の外を確認した。多少ながら光に赤みがあった……そうか、ずいぶん長いこと話していたようだ。
「さて、部屋割りは決まった?」
そこへ、フィクハが言う。げ、しまった。過去の話に時間を取られ、考えるのを忘れていた。
「ん、表情からすると考えていなかったみたいね……ま、ギリギリまで待ってもいいか。なら早いけど、夕食にする?」
「あ、ああ……そうだな」
俺は頷きつつ、先ほどの話を思い返す――同時に、一つだけ結論を出した。彼が何かしら理由を抱え、リミナの命を助けたことだけは間違いなさそうだった。




