悪魔の毒
――次にリミナが目を開けた時、木目の天井が見えた。見覚えがあり、借りた家であると理解すると、全身から痛みを感じた。
「う……」
呻きつつ、首を動かそうとする。けれど強烈な倦怠感に襲われ、身じろぎすることすらままならない。
そこでリミナは歯を食いしばり腕に力を入れた。痛みが生じたが、緩慢ではあるものの思った通りに体を動かすことはできた。
「……無理するな」
そこへ、男性の声。見ると、部屋の入口にレンが立っていた。
直後、リミナは力が抜け、ベッドに倒れ込む。
「……これは」
「毒だよ。悪魔の」
リミナの言葉にレンが短く応じた。
「今、医者が準備を進めているところだ。もう少し待ってくれ」
「……そう」
リミナは天井を見ながら、自嘲的に笑い呟く。
「よくよく考えれば、毒を持っている可能性はあったね……失念していたわ」
「わかっていようが、どちらにせよこうなっていた。仕方ないさ」
レンは答える。それに対しリミナは首を動かし、彼を視界に捉えた。
「治療費は?」
「今は自分の容態だけ心配しろよ……ま、手持ちがなかったら働いて返せばいいんじゃないか?」
「そうね。ちなみに」
と、リミナは痛みを紛らわすように告げる。
「今日の戦いで売れそうな魔石は使ったから、お金になりそうな物はないのよね。貸してくれない?」
「断る」
即答だった。それにリミナは小さく笑う。
「自分のことは自分でどうにかしてくれ。ここまで運んできただけでも感謝して欲しいくらいだけどな」
「そうね、ありがとう」
素っ気ない礼をリミナは言う。
「お礼は再戦までにするよ」
「……戦意があるくらいだから、大丈夫そうだな」
「ええ。心配掛けてごめんなさい」
「悪魔の仕業だと見当はついていたから、そう心配していないさ。見た目重篤だけど、すぐ治るだろ」
――彼がそう言うのには理由がある。魔王との戦いで悪魔と交戦し、毒により命を落とした人間は数多くいた。だからこそ多くの人が命を助けるべく研究し、そうした毒に対する解毒技術も向上している。
よって、適切な処置を受ければそれほど時間も経たず完治する――そういう風にレンは思っているはず。リミナも同じように考えていた。
「一応、快方に向かうまで村には残るぞ。後で死んだと聞いたら嫌な気分になる」
「そうなったらゾンビになってあなたと所に行くよ」
「……嫌な宣言だな」
コメントにリミナは笑う。けれど同時に、決着がつかなかったことを悔いる感情もあった。
楽観的な見方が大きく転じたのは、その日の夕方になってからだった。
「これは……」
医者である初老の男性が、小さく呻く。リミナはその声に加え、始終険しい顔をしている姿を見て、なんとなく察することができた。
「治らないんですか?」
リミナが問うと、医者は難しい顔をした。
「治らないというわけではない。しかし、一つ大きな問題がある」
「問題、ですか……?」
「うむ。君は毒の治療に際し、魔法が使われているのは理解できているね?」
医者の問いに、リミナは小さく頷く。
「はい、知っています」
「そしてその魔法は、主に特殊加工された魔石を用いて使用される。無論、他にも薬を作る設備なども必要だが」
「ええ、そうですね。それで、問題とは?」
「現状の設備や魔法では治すのは難しい。さらに外部から人を呼ぶべきだ。場合によっては。転移魔法を使い都市の医者を呼ぶ必要がある」
転移魔法――大事になってきたとリミナは思った。
「なるほど……なら、どなたかに行ってもらう必要がありますね」
「そうなのだが……この毒に対する魔法のために、魔石の使用が認められるのか」
リミナは首を傾げた。認める認めないというのはどういう意味なのか。
「いや……そもそも、取り扱う魔法商が持ってこないだろう」
「それは、なぜ?」
「値段だ」
そう告げ医者の口から――病床に臥せたリミナでさえも呻くような値段が聞こえた。
屋敷一つが簡単に買える程の額――直後、リミナの顔にあきらめた雰囲気が漂った。
「そうですか……わかりました」
「当然ながら、お金は……」
「さすがに、持っていませんね。それに、そんな物を後払いで譲ってくれ、なんて言えません……それで、余命はどのくらいですか?」
問い掛けに、医者はしばし勘案する。
「……五日から、七日といったところだろうか」
「そう、ですか。しょうがないですね」
さっぱりとした口調で語った――その時、ノックの音。
「はい」
医者が応じる。扉が開くと、レンが現れた。
「状況としてはどうだ?」
「ああ、丁度よかった」
リミナは声を上げ――どこか、決意に満ちた顔をする。
「どうした?」
眉をひそめたレンは聞き返す。そこでリミナは、
「悪いけど、村長を呼んできて」
「……あんた」
医者が察したらしく、声を上げた。対するレンは訝しげな表情のまま、佇む。
「村長?」
「ええ。私の毒のことで話があるの」
確信部分には触れずリミナは告げた――しかし言動で察したのか、レンは目を細め問い掛けた。
「……墓でも掘ってもらうつもりか?」
「ええ。できれば郷里に帰りたいけど、この体だとまともに動くのも無理そうだから」
「……悪魔の毒だろう? 何が原因で治らないんだ?」
「屋敷を買えるくらいのお金が払えるか、払えないか」
端的に答えたリミナに――レンは、押し黙った。
「……私は、もう少し打てる手を考えよう」
そこで医者は言うと、部屋を出ていく。残されたのはリミナとレン。
両者はしばし沈黙していたが、やがて口を開いたのはリミナ。
「ごめんなさい。あなたに、迷惑を掛けてしまった」
「……いきなり、どうした?」
「死ぬとわかって、色々考えたの」
リミナは苦笑を伴い告げると、視線を逸らし天井を見上げた。
「自業自得なんだよね。私はずっと自分がすごい魔法使いだと思っていた……いや、そう思い込むことで、自分を保っていたと言って良いかもしれない。自分を凡人だと認めることは……すごく、辛かったから」
語る間に、リミナは自意識の高さを恥じるような思いを抱いた。
「足りないのは実績だけ。だから悪魔と戦い――そういう考えの報いが今、私の身に降りかかっているだけ」
――そう述べた瞬間、レンが小さな呻き声を上げた。
「……どうしたの?」
「いや……」
レンは首を振ろうとしたが、途中でやめて質問を行った。
「納得、できるのか? それで」
「するしかないよ。これは――」
言って、再度苦笑する。
「私が招いて、私が受ける罰だから」
目の前の相手にも迷惑を掛けた。彼にとって負担になるかもしれない――だからリミナはそこくらいはフォローしておこうと、口を開きかけた。
しかし、寸前で止まる。レンが、リミナを凝視していたためだ。
「どうしたの?」
「……どうして、そんな風に言えるんだ」
レンは、どこか呟くように声を発した。視線はリミナへ向いていたが、まるで違う相手を見ているような雰囲気。
「なぜだ?」
「もちろん、死ぬのは怖いよ。心残りもたくさんあるし……郷里の人にも申し訳ない」
リミナは微笑を浮かべる。改めてレンをフォローをしておこうと思い、できるだけ優しく告げた。
「でも、受け入れるよ……だから、あなたは気にしないで」
述べた瞬間、レンはひどく悲しそうな顔をした。次いで目を伏せ、両の拳を握りしめる。
「そんなに思いつめなくてもいいのに」
なおもリミナは言った――瞬間、突如レンは顔を上げ、リミナに背を向けた。
「少し、待っていてくれ」
「え?」
リミナが聞き返した時、レンは部屋を出て行った。
「……何?」
残されたリミナは、一人首を傾げる。最後の態度――リミナは痛みの中でただ疑問に思うばかりだった。




