危機と記憶
俺は右腕に意識を傾けながら、相手の動きを観察する。最初の攻撃は単なる振り下ろし。それは受け流して回避する。
「ほら! どうした!」
マティアスが腕輪が破壊され消極的になった俺に対し、挑発的に叫ぶ。
「さっきの勢いはどうした!」
なおも叫ぶと、今度は一瞬視界から消えた――いや、これは演習で行った戦法。
視線を落とす。そこには沈み込んですくい上げるような一撃を放とうとするマティアス。先ほどよりも速く、避けられないと判断した。
「――おおっ!」
俺は声を上げ、先ほどの感覚を思い出しつつ魔力を込めた。直後、相手の剣戟を受ける。
結果どうにか抑えきった――が、やはり漆黒の刃に剣が食い込むことは無い。通用していない。
「それじゃあ駄目だね」
マティアスは評すと――押し返した。こちらは数歩たたらを踏み、体勢を崩す。
彼は即座に攻勢に転じる。先ほどとは異なる単純な剣戟で、どうにか弾くことができた。けれど、
「はあっ!」
マティアスは一歩大きく踏み込んだ。しかも大振りで、明らかに隙も生まれる。咄嗟に剣を当てようとしたのだが――すぐに効かないと気付いて後退した。
剣閃が、俺に迫る。それを捌きさらに後ろに足を向ける。同時に右腕に意識を集中させるが、やはり先ほどのように上手くいかない。
相手に攻撃が通用しない以上、俺に残された手はほとんどない。こうなればコレイズやカインが援護に来るまで時間稼ぎをする他ないのだが、
「さすがに、時間稼ぎをされるのはまずいな」
マティアスからのコメントが来た。きっちり読まれている。
「力押しで行こうとすれば、さすがにそっちも逃げるだろうしねぇ……さて、どうするか」
ふいに彼は立ち止まり、俺を見据えながら呟く。
その時、雷鳴が聞こえた。先ほどよりも音が大きく近づいているのは明らかだった。直に雨が降るだろう……こっちも悠長に戦ってはいられないが、かといって倒せる術もない。
そこでふと、視線を周囲に向ける。マティアスを囲うように警戒する戦士が幾人もいた。けれど俺と同様攻撃が効かないと悟ったか、牽制的な意味合いで剣をかざすだけで攻撃はしない。
膠着状態、と言えなくもないが攻撃の決定権は全てマティアスが握っている。その状況をどうにか崩さなければ、いずれやられる――
「よし、決めた」
今晩の夕食でも決めるかのような軽い声で、彼は言う。
「それじゃあ、覚悟してもらおうかな」
トーンを変えず続け……突如、彼の右腕にある漆黒が轟き始めた。
挙動に周囲の戦士達は強い警戒を示し、距離を取る。俺も反射的に魔力を剣に加え観察する。
漆黒はやがて膨張し始め、腕を二回りも太くした。頭では仕掛けて策を潰すべきだと警告するのだが、動けない。俺には、彼に通用する攻撃がない。
「僕も指示があるからね……この辺りで、それを実行させてもらうよ」
告げた瞬間、彼は剣を掲げるように振り上げた。戦士達が身構え、俺が注視する中それが地面へと振り下ろされ――
直後闇が、地面を伝い爆散した。
「……っ!?」
驚愕し、俺は目を見開く。闇はダイナマイトでも炸裂させたかのような爆音を生み、さらに土砂を巻き上げ周囲にいた戦士を飲み込み始める。
地面から突然噴き上がる攻撃――どう避ければいいかわからない。
「くっ!」
前方が粉塵で覆い尽くされる中、俺はさらに後退する。せめて視界を確保しなければ……いつ何時マティアスが襲い掛かってくるかわからない。
攻撃はまだ続いている。戦士達も退避しようとマティアスの立っている場所から逃げ始める。さらに悪魔を迎撃していた戦士も退避し、あまつさえ悪魔も飲み込む。
無差別攻撃――マティアスは思いつきでやったのだろうか……いや、彼は指示があると言っていた。この間に何か仕掛ける可能性もある。
その中俺はどうすればいいのか必死に考え始めた……勝つためには、壁を超える技術が必要となる。腕輪に記憶されていた通りに魔力を込めれば使えるはずだが、上手くいかないのが実情。
けれどこれ以上戦場を混沌とさせないためには、どうにか力を引き出すしかない……焦燥感が内に募り、気持ちだけが逸り剣に力が入る。
その時、ふいに体が傾いた。下を向くと足が石に引っ掛かっていた。つまづいたらしく、俺は苛立ちながら体勢を整える。
直後、足元から魔力が生じた。一瞬悪魔かと思ったが、地面にほんの僅か黒いシミが浮かび上がり……マティアスの攻撃だと理解する。
避けないと――反射的に足を横に向けるが、地面が僅かに隆起し、
瞬間、衝撃が俺の体を包み――意識を手放した。
――次に覚醒した時……俺は姿勢を正し立っており、地面が視界に入り声が聞こえた。
「おい、聞いているのか?」
聞き慣れない声――いや、どこかで聞いたことがあるような気もする。何だ……?
考える間に顔が上がり、視界に一人の人物が現れた。金髪の男性。
「いいか、レン。ここからは重要な話だから覚えておくんだ」
さらに声――真正面にいる人物は言う。
そこでこれは夢なんだと理解した。思考はずいぶんはっきりしているが、体は思うように動かない。そして、見覚えのない景色――
「今までの訓練内容で、基礎は一通り教えた。そして、三人にはもう一つ踏み込んだ技法を教えるつもりでいる」
俺の考えを他所に話は進む。そこで俺は改めて理解する……金髪の男性――荷物の中に隠されていたロケットの中にいた、あの男性。
つまり、英雄アレス。
さらに彼を通して景色が見える。周囲は木々に囲まれており、森の中にある訓練場といったところだろうか。
「現時点では深く解説しない。けれど、技法にとって最も重要なことは教えておく。強くなりたいのなら、それを頭の中にしかと刻みつけるんだ」
――解説が続く間に、俺は少なからず戸惑った。意識はずいぶんとはっきりしており、これが夢ではなく現実かと思うほど。
なぜこんな光景が現れたのだろうか……頭の中でこれは勇者レンが過去遭遇した出来事なのだと本能的に理解している。けれど俺は勇者レンじゃない。こうした記憶だってないはず。
いや、経験と一緒に記憶が頭の中に残っているということか? だとすれば説明はつく。目の前の英雄が話す内容を考えると、タイミング的に出来すぎなのは気になるが――
「僕はすぐにでも訊きたいんだけど」
と、左から声。いくぶん幼かったが、聞き覚えがあった。
同時に夢の中のレンが首を向ける。そこには、ラキが立っていた。格好は布製の地味な衣服で、長剣を右手に握っている。無論、今よりも年齢は低い。けれどあのロケットで記録されていた中学生手前の時よりかは、上かもしれない。
「筋が良いラキは、教えを受けたいだろうな。しかし、駄目だ。この技法は内に眠る魔力をきちんと制御できないと上手くいかない。今はまだ、基礎に励め」
アレスが言うと、ラキは「わかった」と答え沈黙した。現在とは異なる、ひどく純粋な反応。
「ちなみに訊くが、エルザはどうだ?」
そして彼の口から新たな名前――すると、
「私はまだまだだから」
右からひどく澄んだ声……首が向く。そこにはラキと同様の格好と年齢――それでいて、どこか気品を持った金髪の女性。
やはり見覚えがあった。あのロケットの中心にいた、おそらくアレスの娘。
「そうか。では、話すとしよう」
アレスはにこやかに応じると、話し始める。俺は現実でないと認識しながら、神経を集中させ彼の声を聞くべく耳を傾けた。