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まずは名前と状況を把握する

 大いに混乱する中、とりあえず部屋を出た。現状を確認するためには、先ほどの人に訊く必要があると思ったからだ。


「……大きな音がしましたが、何かありましたか?」


 女性の声。見ると、背を向けながら首だけこちらを窺う姿。俺は「何でもない」と答えつつ、部屋を見回した。


 先ほどまでいた部屋よりは大きかったが、それでも手狭だと感じる空間。女性の正面には鍋や窯があり、ここはキッチンが併設されるリビングなんだろうと見当はついた。

 キッチン以外では端に洋服を入れる棚と、中央に四人掛けの四角いテーブルが一つだけ。俺はその一席に座り、調理をする女性の姿を眺める。


 彼女は少しばかり機嫌が良いようだった。まあ、俺が目覚めたというビックニュースがあったのだ。その態度はしかるべきものだろう。


「はい、できました」


 やがて彼女は言うと、鍋から木の(わん)に何かを入れ、傍らに置いてあったパンと共に差し出した。

 椀の中はどうやらスープのようで、野菜や煮込んだ肉が覗き見える。立ち込める香りが鼻腔をくすぐり、食欲をそそる。


「どうぞ」


 彼女は自分用の椀をテーブルに置きつつ、告げる。俺はお言葉に甘えて一口すすった。


「……美味い」


 感想が、自然と漏れる。対する女性は笑った。


「こうして落ち着いて食事をするのは、久しぶりですね」


 女性は言いながら、俺と同様にスープに口をつける。

 その間に、無い頭を必死に回転させて、現状を整理する。


 まずここが現実かどうかは……女性に訊いてもわからないと思うので、パス。続いて頭に浮かんだ問題は二つ。目の前の女性について。そして――俺自身について。


「あの、さ……」


 機嫌の良い彼女に水を差すようで悪かったのだが、尋ねておかなくてはならない。

 こちらの声に女性は「はい」と丁寧に答え真っ直ぐ俺を見る。


 あまりにも純粋な眼差しで、二の句が継げられなくなる。俺を勇者だと信じ込んでいる様子――いや、彼女にとって実際勇者なんだろうけど。

 気勢が削がれ、どうしようか悩む。ここで浮かんだ選択肢は三つあった。


 ①適当に雑談をして、話の流れで状況を把握する。

 ②記憶喪失のフリをして、情報を聞き出す。

 ③女性に全てを打ち明ける。


 そこまで考えて、とりあえず③は無いなと思った。というか、正直に話すという行為を信じる可能性は低い。俺が「勇者じゃなくてただの高校生です」などと言った日には、病院に担ぎ込まれるかもしれない。


 とすると①か②なのだが……①は不安要素しかなかった。なぜか――俺に話を広げられるような話術スキルがないからだ。

 とはいえ②は相当女性を落ち込ませるだろう。目の前で天真爛漫な笑顔を輝かせる女性を見てちょっと気が引けるのも事実だが――すげえ綺麗だな、この人。


 いかん、じっと見ていると思考が一瞬で持っていかれる。うん、仕方ない。そう割り切って口を開いた。


「あの、さ。怒らないで、欲しいんだけど……」


 ややトーンを落とし告げる。女性は何かを感じ取ったのか、笑みを消し心配そうな顔を見せた。


「どうしましたか……? やはり寝ていた方がよろしかったですか?」


 彼女は言うと、申し訳なさそうな顔をする。


「すいません。一人で舞い上がってしまい、勇者様の体調を鑑みることができませんでした」


 反省の言葉を述べる女性――ここで「もう少し寝ている」と答えるのもアリかと思ったが、それでは先に進まない。いずれは尋ねなければいけないし、こういうのは早い方が良いだろう。


「いや、体の方は平気だから」

「本当ですか? もし良ければ私が街まで行って医者を――」

「大丈夫だから。病気とかじゃなさそうだから寝なくても問題ない。それで……」


 俺は一拍置き、深く息を吸い込む。


「その……ここは、どこなんだ?」


 とりあえず、無難な点から質問してみる。すると彼女は、表情を笑みに戻し告げた。


「ここは首都から西方向の、リシュアという農村です」


 何一つ理解できない。俺は「あー」と(うな)りつつ、頭をかき始める。


「どうしましたか?」


 女性が問う。駄目だ、これでは(らち)が明かない。

 俺は覚悟を決め、慎重に、言葉を選ぶように尋ねる。


「わかった……じゃあ、二つ目の質問」


 さも重大な話のように女性の目を見る。ここは女性の名を訊くよりも、自分が誰なのかを質問したほうがいいと思い、言葉を探す。

 けど、じっと目線を合わせたことが裏目に出た。綺麗な瞳が俺をしっかりと見据え、ドギマギしてしまう。鼓動が速くなり、浮かんだ言葉が霧散し、気持ちだけが先走る。


「あ、えっと……その、俺は一体、誰なんだ?」


 緊張の末出た言葉は、考え得る中で最も直球。


「……え?」


 問われた女性は、目をパチクリとさせた。あまりに直接的だったので、逆に理解できなかったらしい。


「ああ、その……」


 見つめられながら、必死に言葉を探す。もうこうなったら記憶喪失になったという設定で突っ走るしかない。


「ごめん……その、朝起きたら何も思い出せないというか……」


 語りつつ女性の顔を窺う。彼女はどうやら俺の言葉を理解したらしく――突然、顔が青くなる。


 え、いきなりそんな顔に……?


「ゆ、勇者様……?」


 震える声で言われ、俺は小さく首を振る。そして、心の中でごめんと謝りつつ声を発する。


「俺って、勇者なのか?」


 直後、彼女はこの世の終わりを見たような絶望的な表情を浮かべた。俺は罪悪感に苛まれ――同時に、動揺した彼女を見て逆にこちらが冷静になりつつ――我慢して相手の言葉を待つ。


「そ、そんな……」


 蒼白となりつつ、彼女は肩を落とし俯いた。

 変わり様に俺は今からでも「嘘です」と言いたかったが、それでは元に戻ってしまう。だから針の(むしろ)に座るような心境の中、相手からの言葉を待つ。


 少しの間、双方が無言となる。彼女は頭の中を整理しているのか何度か俺を見つつ、やがて――


「……もしかすると、私の知らぬところで勇者様の身に、何か起こったのかもしれませんね」


 か細い声を、彼女は発した。


「兆候などはありませんでしたが……」

「俺は、なぜ寝かされていたんだ?」

「旅の途中、前触れもなく倒れたのです」

「きっかけとかは……」

「思いつくことはありません」


 首を左右に振る女性。俺は「そうか」と答えつつ、さらに疑問点を上げる。


「それで……君が俺と親しいのはわかったんだけど。その、君の名前も……」

「……そうですよね」


 彼女はどこか納得した様子で、声を上げる。


「私の名はリミナ。勇者様の、従士としてお付きしている者です」

「従士……そうか。それで、俺の名前は?」

「勇者様の名は……レンといいます」

「レン!?」


 びっくりして思わず聞き返した。まさかの同じ名前。いや、漢字なんかはないに決まっているけど、偶然にしてはすごい。


「あ、あの……どうしましたか?」


 驚いた様子でリミナが言う。しまった。


「あ、ごめん。単に聞き返しただけだよ」


 苦笑しつつ、俺は姿勢を正す。そして、まだ湯気の立つスープに口をつける。


「ごめん、それ以外の事情は朝食の後にしようか」

「……そうですね」


 リミナは優しく答え、食事を再開する。


 そこからはまたも沈黙が生じる。俺は無心で食べながら一度だけ彼女を見た。

 記憶喪失だと知った直後と比べ多少落ち着いたのか、幾分血色が戻っている気がした。


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