聖域へ
――翌日、陽がようやく顔を出したような時間に、俺達はリミナが眠る部屋に集合していた。
「それじゃあ、話し合った通りに行動するということで」
最初に切り出したのはフィクハ。彼女は目の前で椅子に座る俺を一瞥すると、部屋を一度見回した。
オルバンは扉の近く。そしてセシルは窓際に立っている。ルーティはマーシャ達の護衛によりここにはいない……そういう状況。
昨日の打ち合わせで『聖域』へ行くメンバーを選定した。俺は確定として、後二人は必要だと結論付けた。なおかつ残った二人でマーシャ達の護衛を行なう。
消去法でルーティは『聖域』に入れないため、彼女は屋敷の護衛だとすぐに決定した。なおかつフィクハが俺と共に行くのもすぐに決定。これは「シュウさんと関連していることが確定したから」というのが理由。
そしてセシルとオルバン――この二人がどちらに回るか結構紛糾した。結果として、
「オルバンさん、よろしく」
「ええ」
フィクハの言葉に彼は頷いて見せた。
最終的に、オルバンとなった。理由としてはもし『聖域』から退却する場合、防御能力の高い彼の方が良いだろうということから。
攻撃一辺倒のセシルでは、不安が……いや、彼自身敵を容易に追い払える攻撃力を持っているので五十歩百歩といったところなのだが、最終的にフィクハがオルバンの同行を願ったため、決まった。
「で、最後にもう一つの問題……これね」
フィクハはさらに続けながら、椅子の前にあるテーブルに小瓶を置いた。中には、半透明な赤い液体が入っている。
「とりあえずできたけど……」
フィクハは言った後、チラリとリミナを見やった。
「今日もあまり調子が良くないみたいだし、すぐに飲むのも考えものかもしれない」
「何があるんだ?」
俺が質問すると、フィクハはこちらと視線を合わせ、難しい顔をする。
「この薬は、人間の魔力にドラゴンの魔力を加える効果がある。で、体の構造が変わるわけじゃないけど、大きく魔力が加算されることにより、多少ながら体に負荷が掛かる」
「具体的には?」
「現状微熱に留まっているけど、高熱と倦怠感が魔力をきちんと取り込むまで続くことになると思う……看病してあげないと」
「不本意ですが、マーシャさんにお願いしましょう」
今度はセシル。フィクハはそれに渋々といったように頷き、
「魔力が取り込まれ症状が改善されるまで、どのくらいかかるかわからない。けど、丸一日なんてことはないと思うから、それまでお願いするって伝えて」
「わかりました」
「……すいません」
そしてリミナが皆に謝る。対するフィクハは首を左右に振り、
「誰も迷惑だなんて思ってないよ。気にしないで」
「……はい」
答えつつ、彼女はおずおずと手を差し出した。
「薬、もらえませんか?」
「もう飲むの? まあ、別にいいけど」
フィクハは呟きつつ、薬を手に取り席を立つ。そしてリミナに近寄り手に持たせた。
リミナは小瓶を握りながら上体を起こす。俺もまた席を立ち、ベッドの近くに寄る。
加えて、セシルやオルバンも視線を注ぐ――そうした中、リミナは一度大きく深呼吸をした。
「フィクハさん、このまま飲めばいいんですか?」
「ええ。一気にいっちゃって」
彼女の返答にリミナは頷き、蓋を開け――一呼吸も置かず瓶の中身を飲んだ。
俺は無意識に力が入る。当のリミナは飲み干した小瓶を眺め、一度だけ息をついた。
「飲んだ瞬間、いきなり変化があるわけではないんですね」
「薬が体に浸透するまで時間が掛かるから。効果が出る時間は、薬に内在する魔力の質によって変わってくると思う――」
そこまで言った時だった。突如リミナは右手で胸元を抑え、目を僅かに細める。
「っ……!?」
「え!?」
途端にフィクハが目を丸くし、驚きの声を上げた。
「もう始まったの!?」
「みたい、ですね」
呻くように答えたリミナは、糸が切れた人形のようにベッドに倒れ込んだ。
「頭が、ぼーっとします……」
「結構強力な血だったみたいね……オルバンさん、悪いけどマーシャさん達を! それと、熱を冷ますようなものを持ってくるように言って!」
「はい!」
オルバンは承諾し部屋を出ていく。見送った後リミナは息づかいが荒くなり、天井を見上げながら、ポツリと呟くように言った。
「フィクハさん……」
「何?」
「勇者様のこと、よろしくお願いします」
「もちろんよ。任せなさい」
力強くフィクハは返事をする。
「というか、これだけの面子を揃えている以上、ちょっとやそっとでは負けはしないよ」
「敵だってその辺の予測はしていると思うけどな……」
横槍を入れてみると、フィクハは怪しげな笑みを浮かべた。
「勇者レンや騎士オルバンを倒すのは難しいかもしれない……けれど勇者フィクハならどうにかなる。だから彼女を人質に……とか、考えているだろうね」
「やけに自分を卑下にするんだな」
「功績もロクにないんだから、そう相手が想像するのは当然でしょ」
フィクハは答えたが、決して悲観的な瞳をしていない。
――そういえば、彼女はアークシェイドとの戦いで遭遇した悪魔と互角に戦っている。彼女自身は最前線で戦う人間ではないが、悪魔の攻撃に反応できた以上、十分の力を有していると見ていい。
敵もその点については油断しているかもしれない……付け入る隙があるとすれば、そこか。
「お待たせしました」
そこで、オルバンが部屋に戻ってくる。遅れて布きんを持ったマーシャが姿を現した。
「すいません、朝早くから」
「いえ、お気になさらず」
マーシャは俺の言葉に微笑んでからリミナへ駆け寄り、口で何事か唱えた。
「――冷やせ」
瞬間、僅かに彼女の手先から冷気が生まれるのを感じ取る。そしてマーシャは布きんを冷やし、リミナの額にあてがった。
「さて、バタバタしてしまったけど、行くことにしようか」
フィクハがマーシャと入れ替わるようにリミナから離れつつ、告げる。俺は頷いて承諾し、オルバンも彼女の言葉に「ええ」と答えた。
「セシルさん、よろしくお願いします」
「ええ、任せてください」
窓際に立ったセシルは、フィクハの言葉を受け深々と頷いた。
「レン、気を付けてよ」
「ああ」
「僕と決着つけるまで死なないでくれよ」
「……結局、お前はそこか」
「当然だよ」
セシルはあっさりと答える。俺はそれにため息をつくしかなく……さらに、フィクハまでも笑った。
「面白い関係だね……それじゃあ、行こう」
「ああ」
俺達は廊下に出た。最後尾にオルバンがつけ、突き進む。
「御者は私がやります」
屋敷を出る前に、オルバンは俺達に告げた。
「『聖域』の場所もルーティ殿より把握していますし」
「わかった。お願いするよ」
フィクハが頼み、短い会話が終わる。やがて玄関に辿り着き、外へと出た。
次の瞬間目に入ったのは赤から白くなりつつある太陽の光。それが地面を照らし、新たな一日が始まったのだと強く認識させられる。
そこでふと振り返れば、昨日首都に到着してからずいぶんと慌ただしく動いている。けれど疲労はほとんどない。むしろ膨れ上がる謎に頭は冴え、いよいよ入ることになる『聖域』という存在を、ひたすら思い浮かべているのが実情だった――