王の依頼
入城してから程なくして、俺達は玉座のある広間の前に到達する。重厚な扉は閉め切られているのだが、奥にドラゴンの王がいると思うと、半ば無意識につばを飲み込んだ。
「では、私はこれで」
ナダクは一礼し、立ち去る。代わりにルーティが前に出て、俺達を先導し始めた。
そして、いよいよ扉が開く。俺の横にはセシルが進み出て、一瞬だけ俺に視線を送った。
何も発さないが――その意味をなんとなく理解した。自分のやり方を真似ろを語っているのだろう。これは、記憶喪失だからという配慮か。
そうこうしている内に扉が完全に開き、広間が姿を現す。ルーティが歩き始め、俺達は追随。足を進めながら、まず広間がどのような構造なのか確認した。
入口から見て左右に廊下があり、なおかつ玉座に繋がるのは赤い絨毯と三段の階段。そして階段奥にある玉座は二つ。左側に男性、右側に女性が座り、双方とも穏やかな顔をしていた。
左手の男性――つまり王は、赤い法衣と王冠を被った、見た目で四十前後といったところ。特徴的なのは翡翠のような綺麗な目と、相反するような豪胆な顔立ち。ひげなどが一切ないのだが、俺は法衣のまま戦斧を振り回す姿を想像した。
そして右にいる女性――王妃はこちらも赤い法衣を着て、なおかつ燃えるような赤髪を肩くらいまで伸ばしている。見た目上はかなり若い。二十代と言っても差し支えないくらい程皺が無く、なおかつ肌が白くシミ一つない。
ただ、どちらも玉座にいるせいか、こちらを圧するような無言の気配を放っている……途端に、緊張の度合いが強くなった。
「お連れ致しました」
階段数メートル手前で立ち止まり、ルーティは告げる。さらに片膝をつき、頭を下げつつ臣下の礼をとった。
合わせるようにセシルが同じような所作を見せる。俺もやや慌ててセシルを真似しつつ、次の変化を待つ。
「ご苦労だったルーティ。連絡以後、問題はなかったか?」
太い声が広間に響く。その声は精悍でありながら、それでいて澄んだ残響をもたらした。
「はい。障害は一切なく」
「そうか……敵はどうやら、レン殿達の武功に恐れをなしたな」
名指しされて少しばかり体を震わせる。王がそれに気付いたかどうかわからないが――彼は、緩やかに続けた。
「それではルーティ、少し休んでおけ」
「はっ、ありがとうございます」
ルーティは応じると速やかに立ち上がり、俺達の視界から消えた。靴音が響きそれが遠ざかると……王の声が、俺達に向けられた。
「依頼という形で呼んだにも関わらずこのようなことになってしまい、申し訳なく思う……レン殿、顔を上げてくれ」
言われるがまま、俺は王と視線を合わせる。相変わらず視線だけは穏やかで、俺達を安心させるよう配慮している風に見える。
「自己紹介を先にしておこう。私の名はジルグス。この国の王であり、横にいるのが妻であるパールだ」
王の言葉と共に王妃がこちらへ小さく頭を下げた。
「さて、ここへ来るまでに一つ騒動があった。このような事態に至った経緯はいずれ解明するとして、まずはここに呼んだ経緯について説明しようと思う」
告げた後、王の視線が僅かに揺れた。セシルを見据えたようだ。
「セシル殿……そしてオルバン殿も聞いてくれ。話によるとセシル殿もある程度関係者……そして、オルバン殿もナナジア王国の代表者として聞いて欲しい」
「よろしいのですか?」
オルバンが確認を取る。王はそれに頷き、
「これは英雄アレスからの依頼の範疇を超えているが……嫌な予感がするからな」
嫌な予感――もしや、英雄アレスの身に何かあったというのだろうか。
「それに、オルバン殿から勇者フィクハにも伝わるだろう……英雄シュウと協力した方が良い案件かもしれない。その辺りの判断は、君達に任せよう」
――何も知らない王はそう語る。対する俺達は表情を変えないまま、無言。
「では、話させてもらおう……その前に、三人ともその姿勢は辛いだろう。立ち上がってもらって構わない」
王が言った直後、まずセシルがすっと立ち上がった。続いて俺と、後方にいるオルバンが立ち上がる気配を感じる。
そして王へ目を合わせた瞬間、話し始めた。
「事の始まりは数年前。英雄アレスは突然私達の下を訪れ、私達の保有する『聖域』へ入りたいと申し出た」
ルーティの言っていた、ドラゴンにまつわる神聖な場所のことだろう。
「最初、私としては訝しんだ。その場所に入り何の用があるのか……しかし、アレスは頑なに事の詳細を話すことをしなかった」
「結局、聞けずじまいだったと?」
俺が尋ねる。王は即座に頷き、
「とはいえ、魔王を倒した英雄……多少悩んだが『聖域』へ入ることを許可した。決定的な理由としては、彼の顔がどこか鬼気迫るようなものであったから、としか言えない」
鬼気迫る……だとすると、そこに入ることに必死だったということなのだろうか。
「彼は何も言わなかったが、胸中で推測はしていた。もしかすると、魔王に関わることだったのかもしれない」
魔王――普段ならば笑い飛ばすところかもしれないが、魔王を倒した英雄が動いていたとなると、そのような結論になってもおかしくない。
「そして、彼が赴き……以後、私達は姿を見ていない。風の噂で見たという情報は入って来たが、もしそうなら『聖域』を出た後一言挨拶があってもおかしくない。彼は礼儀正しい人間だ。その程度のことはするだろう」
「……王は、英雄アレスに何かがあったと?」
不安げに、俺は尋ねた。すると王は難しい顔をした。
「嫌な予感がしたというのは、その部分に当たる。しかし彼が『聖域』で命を落とすとは考えられない。『聖域』は厳重に結界で封鎖され、特にドラゴンに対しては入れない領域となっている。そして――」
と、王は一拍置いてから、さらに語る。
「温和な魔力が滞留しており、モンスターが出現することもない場所なのだ」
「と、なると……?」
「彼は森を出た後すぐさま旅に出たと考えるのが自然だ……それほど焦っていたのか、それとも他に理由があったのかはわからない」
王はふいに右手であごをさすった。ヒゲがないにも関わらずその感触を確かめるかのような動作。
「詳細については本人に訊かなければわからない。けれど、そのヒントは『聖域』に眠っているはず。私達は英雄アレスのことを気にしつつも、指示を受け君を招いた。これが、今回の依頼についての全容だ」
「その『聖域』へ行き、英雄アレスの不可解な行動理由を探ると?」
「そうだ。とはいえ収穫があるのかどうかもわからない。私達の言う『聖域』とは、聞こえはいいがうっそうと茂る森が延々と広がるだけだ。そこは私達ドラゴンが生まれた場所と語られ守って来た場所なのだが、特別な力が手に入るわけでも、宝があるわけでもない。よって、入り込んでも手掛かり一つ見つからないかもしれない」
「……わかりました」
俺は静かに頷く。ここに来ても、まだ英雄アレスの所在どころか旅の目的すら把握できない。
けれど勇者レンが彼を探していた以上、やらなければならないと、強く思う。
例え、俺が別人であっても――そこだけは明確だ。
「お請け、致します」
「ありがとう。頼む」
言葉に、俺は反射的に頭を垂れた。合わせてセシルなんかも頭を下げ――ひとまず、依頼については一区切りとなった。