しておかなければならない事
次の街まであと少し、という所まで来てリミナやオルバンが目覚める。
「あ、リミナさん。一つ確認しておきたいんだけど」
その折、御者台と車上を隔てる天幕を開けながらフィクハが声を上げた。彼女は首を前に戻しつつ、問い掛ける。
「その状態で、結界とか使える?」
「結界、ですか?」
「次の街は首都へ行くまでの中で一番大きくて、人が多いの。で、場合によっては刺客が近づいてナイフとかでブスッと」
物騒極まりない話をしている……狙われている以上、仕方ないとは思うけど。
「で、常に結界を維持できるかどうか」
「ああ、そういうことですか。私は大丈夫です。熱はありますが魔法の維持はどうにか」
「なら、安心ね」
呟いて、フィクハは車上にいる俺達を見回した。
「次の街へ入った時結界を使用し、維持すること。人通りが昨日の街より多いから危険だし……あとは、そうだね」
と、何やら考え込む仕草を見せる彼女。
「例えば、吹き矢とかも危ないから」
「気付かない内に針が刺さる、なんて可能性もゼロではないですね」
これはオルバンの意見。彼は嘆息しつつ、さらに続ける。
「ただ、敵は私達の力量を見て結界を張っていると解釈するでしょうから、露見して捕まってしまう可能性のあることはしないと思いますが」
「でも、関所の役人が協力していたんでしょ?」
今度はフィクハの意見。
「兵士に加え、闘技大会で活躍した人物を雇い入れる程だから……それなりにコネクションがあって、なおかつ資金力がある相手だと思う。だとすればドンパチやったところで揉み消せるかもしれないし、こっちに罪をなすりつける可能性も」
「言われてみればそうですね。ならば、こちらも隙を与えないよう結界を維持し、街中で下手な行動をしない方が良いでしょうね」
「……あの」
そこで、俺は小さく手を上げた。話の流れでどうしても訊いておかなければならないことができたためだ。
「ん? なあに?」
応じたのはフィクハ。俺は少しばかり躊躇いつつ……彼女に声を発した。
「結界って?」
「……は?」
聞き返された。何を言っているんだ、という顔だ。
「え、ちょっと待って。結界を知らないの?」
「なんとなく予想はついているんだけど……えっと、体にまとう膜状の結界だろ?」
「うん、そうだけど――」
フィクハはそこまで答えた後目を丸くし、
「もしかして、使えないの?」
「あ、うん、まあ」
「よく今まで死ななかったね」
そこまで言うのか、この一事で。
視線を転じるとオルバンも驚いている。もしかして、勇者としては必須技術ということなのだろうか。
「あ、一つだけ補足を……」
そこでリミナが口を開く。
「勇者様は使えない、というわけではありません……手に魔力を収束させるなど戦闘態勢に入った時、無意識の内に使用されています」
「なるほど……ちなみにリミナさん。その辺については教えなかったの?」
「私の友人が色々とレクチャーしていた時があったので……使用されているのを見て、てっきり把握されているものと……」
――リミナの友人であるクラリスに指導してもらった時、教えてもらったと思い込んでいたようだ。しかし、俺の記憶には一切ない。
きっとクラリスは制御訓練に終始したため、こうした事態となったのだろう。あるいは、俺が無意識の内に結界を使っていたので、大丈夫だと高をくくったのかもしれない。
「レン殿は今まで知らなかったのですか?」
やや疑わしげにオルバンは問う。あ、そうか。記憶喪失について話していなかった。
「……えっと、事情がありまして」
俺は彼と目を合わせ応じる。すると、
「事情?」
目を細め、彼。なんだか信じられないという面持ち。
……変に誤魔化すと話がこじれそうな雰囲気。まあ、味方でもめ事を起こすのもアレだし、話すことにしよう。
「えっと、説明すると――」
俺はオルバンに記憶喪失の件を話す。
「……ということなので、体に経験は眠っていますが、頭で理解できていないというか」
「ほう、なるほど……それは少し興味深いですね」
と、なぜか彼は好奇心を秘めた目でこちらを見た。
「頭では把握していないにも関わらず、魔法が発動している……どういう状態で魔法を使っているのか、調べてみたいですね」
「……あの?」
「ああ、一つ言い忘れてた」
今度はフィクハが口を挟む。
「その人、私と同じように魔法使いにも関わらず剣を振っていて、騎士になった変わり者だから」
「あ……そうなのか」
「そういうよしみで勇者と騎士にも関わらず話をするようになって、今回信用における人ということで無理言って同行をお願いしたの。見ず知らずの騎士と一緒に行くのは怖かったからね」
「そうは言うものの、私に英雄シュウのことは話しませんでしたね」
「少なからずシュウさんを信奉していたでしょ? だから話そうか悩んで、何事も無ければそのまま通そうと思っていたの」
「なるほど……けれど、それは叶わなかったと」
「そういうこと」
フィクハは肩をすくめつつ答える。ふむ、騎士というのも色々いるわけか。
「で、変わった境遇のレン君に興味を持ったみたいね」
「レン殿、一連の出来事が片付いたら、色々と教えてもらって構いませんか?」
「……実験体とかは嫌ですからね」
「もちろんです」
にっこりと応じるオルバン……だったが、その好奇な眼差しは某闘技大会覇者と似ている気がして、ほんの僅かだが身震いする。
「怖がってますよ……」
そしてリミナの横槍。途端にオルバンは苦笑した。
「あの、別にとって食うわけではありませんし」
「ああ、はい。わかってます」
――なんか、別の意味で問題が生まれた気がする。けどその辺りを追求するとやぶへびにしかならないので、黙っておくことにした。
「レン君、話を戻すけど」
フィクハは気を取り直して話し始める。俺は進行方向を見据え馬車を操作する彼女へ目を移し、言葉を待つ。
「リミナさんが言う以上、体に経験は眠っていて無意識に使えるのは間違いない。だから言うけど、危険を避けるため街にいる時結界を使用し続けて欲しい」
「使用し続ける、か」
「レン君以外、ここにいる人達はそうしたことができる。悪魔なんかと戦う場合は必須だし、大切な能力だから」
「そっか……ん、ちょっと待て」
ふと、彼女の言葉を止める。
「シュウさんと対峙した時、リミナは結界を維持していたはず。けど、シュウさんは針を当てた……」
「優れた使い手なら、すごく小さなものでも結界を貫通させる威力は出せるよ。それだけ、あの人の魔力と制御能力が優れているということ」
「なるほど。で、俺は上手く制御できないと」
「事情があるのはわかる……色々教えたいけど、時間がない」
彼女が告げた時、前方に街が見えた。昨日訪れた場所よりも遥かに大きく、城壁すら兼ね備えている。
「到着ね……宿を取って、さっさと休みましょう」
「見張りの態勢は昨日と同様でいいですか?」
オルバンが問う。俺とフィクハは同時に頷き、
「ええ。きっと首都に近づくたびに危険度が増すだろうし……お願い」
「わかりました。任せて下さい」
自信を伴った声で彼は応じると、今度はこちらに目線をやった。
「では時間もありませんが、結界についてお伝えしましょう」
「あ、はい。ありがとうございます」
「といっても戦闘において使用されているようですし、口頭で説明を受け頭で理解すれば使えると思いますよ……維持する場合、慣れるまでは多少意識していなければなりませんが」
「はい。わかりました」
「良い返事です。では、説明します。まずは目を瞑ってください。そこから体に眠っている魔力を底から引き出すようなイメージを――」
と、いうわけで街に入るまでの僅かな時間、俺はオルバンから結界に関するレクチャーを受けることとなった――