彼女の答え
フィクハと別れた後部屋で本を読み始め……心を落ち着かせながら、色々と頭の中で考えをまとめつつ、夕方を迎える。
陽が段々と伸びているため、夕食をとる段階では外はまだ明るい。で、食べる場合は俺とフィクハは対面で座り、話をするのが恒例となっていた。
「ああ、フィクハ」
ローストビーフを飲み込みつつ、俺は声を発する。
「リミナの食事だけど、今日は俺が持っていくから」
「ん、わかった」
答えただけで、それ以上は何も訊こうとしなかった。俺の声音から、何かしら察したのだろう。
目立った会話はそれだけで、何事もなく食事が終わる。フィクハが食堂を出て、俺はリミナの食事を乗せられたトレイを持ち、一人廊下を歩く。
「さて……」
頭の中でまとめた言葉を、俺は声には出さないまま口を動かし反芻する。
とにかく、自分の考えを口に出さなければ……という考えの下思いついた言葉。少なからず緊張しつつ、俺はリミナのいる部屋に辿り着くと、ノックをした。
「俺だけど、食事を持ってきた」
声を掛け、少しばかり間が生じた後、中から返事が。そこで俺は深呼吸をして、扉を開ける。
「リミナ」
呼び掛けつつ、中に入る。彼女は上体を起こし、ベッドの上で小さく会釈をした。
「昼に続いて、申し訳ありません」
「いや、話もあったからさ」
答えながらベッドに近寄り、俺は食事を差し出す。彼女はそれを受け取ると膝の上に乗せ、ゆっくりとフォークを手に取る。
「昼と比べて調子は?」
「変わっていません。眠ると体調が変化する時もありますが……これなら明日も大丈夫そうです」
「そうか」
「それで、話とはなんでしょうか?」
「食事を終えてからにするよ」
答えると、リミナは目を僅かに細めた。何を言いにきたのか、予測しようとしているのだろう。
俺は小さく肩をすくめ、見返す。その時、彼女の目元が赤くなっているのに気付いた。フィクハが訪れて以降も、泣いていたのかもしれない。
しばし会話も無く視線を合わせ……やがて、根負けしたかリミナはトレイに目を向け、食べ始めた。
食事の間は、双方無言。俺は緊張と、口に出す言葉を頭の中で浮かべイメージするのに必死だった。対するリミナは時折こちらに目を移すのだが、俺の態度から口は挟んでこない。
一度は部屋を出て行こうか考えたのだが……席を立つタイミングを見失う。それにより静寂が少しずつ嫌なものへと変化していく。食器を動かす音だけが響き、俺の背中に嫌な汗が生じる。
やがて――彼女が食事を終え、俺は食器の乗ったトレイを受け取り、近くの机に置いた。
「それで、話とは?」
リミナが訊く。顔は踏ん切りがついたような様子。
「ああ、これからどうするかについてだけど……」
答え、結論を言おうとしたのだが、
「勇者様」
事の核心に触れる前に、リミナから声が発せられた。
「勇者様も色々と考えておいででしょうが……先に、私の意見を述べてもいいでしょうか?」
先手を取られてしまった。俺は頷くしかない。
「それでは……勇者様やフィクハさんから色々と話を聞いてから、改めて考えました。それで……自分の結論は変わらないことを、再認識しました」
「魔力を捨てることは、決定事項だと言いたいのか?」
「はい」
返事をするリミナの声は、ひどく明瞭だった。
「勇者様はこれからフィベウス王国へ赴くことになります……例えばそこで、ドラゴンの血をもらうということは、不可能ではないかもしれません。ですが、これは私の責任によって生じた結果であり、自身の過失です。これ以上誰かを傷つけたり、不快な思いをさせたりするべきではないと思います」
「リミナの、過失?」
眉をひそめ問い返す。リミナはそれに深く頷き、
「勇者様から話を聞いて、少なからずショックはありました」
そう、俺に告げた。
「それを誤魔化して私は何も変わらないとお話しました。けど、シュウさんに事の核心を突かれ、結局自分の本心に蓋をしていただけだと、認めざるを得ませんでした」
彼女の言葉に、二の句が継げられなくなる――どうやら彼女は、俺にしかと伝えるつもりらしい。
「これは、私にとっての因果なんです。勇者様は色々とお悩みになり、私に全てを話しました。それに対し私は誤魔化すことで応じ、結果として毒を受け、ここにいます。本来なら、話して頂いた時点で何かしら意思表明をするべきだったんです。それを、先延ばしにしたから――」
「けど、内容が内容だから……」
俺の割り込むように発言する。しかしリミナは首を左右に振った。
「勇者様……あの屋敷の一件、憶えていますか?」
「屋敷……ああ、俺達二人の騒動か?」
「はい。あの時、勇者様は私のことを従士だと言ってくれました。あの時点で、私達は歩み寄っていたはずなんです。だから、悲しかったと言うこともできたんじゃないかと思うんです」
そう語るリミナだったが――なんとなく、結果論じゃないかとも思える。
あの時、リミナは記憶喪失であっても、従士と認めてくれた勇者レンに対し感謝したはず。その前提が崩れてしまったのだから、真実を聞いて誤魔化してしまうのもおかしくない。
「無論、色々と言いたいことはあるかと思います……ですが、私は目の前にあった戦いを考慮し、全てを押し殺しました。その結果が、現状です」
「それは……」
「シュウさんが全ての根源であるのは理解しています。けれど、あの時油断しなければ……例え本心を見破られていても、平静を保つことができていれば、私はこうならなかったはずですから」
どこか遠い目をして語るリミナ。さらに俺を見て、悲しげに笑う。
「全ては、私の咎です。今だって勇者様やフィクハさんに大変な迷惑を掛けています。これ以上、誰かの手を煩わせるわけにはいきません……最後に魔力を捨てる時厄介となって、終わりにさせて頂きます」
言った瞬間、リミナの口から大きな吐息が漏れた。伝えるべきことは全て言った……そういう雰囲気だ。
「……リミナ、一ついいか?」
やや間を置いて、俺は質問する。一つ、確認しておきたかった。
「俺が勇者レンじゃないと知って、悲しいと言ったよな? 一緒に行動していたことを後悔したりもしたか?」
「そういうことは思いませんでしたよ……現在の勇者様であっても、ひたすら研鑽を積み、勇者としての責務を果たそうとしていました。だから共に行動して後悔したというのはありません」
語りながら、リミナは俺に微笑んだ。
「勇者様が嫌だからとか、元の勇者様じゃないから離れるとか、そういう意味ではないんです。私が多大なご迷惑を掛けたから……責任を取るため、離れるんです。勇者様は、何一つ悪くありません」
「……リミナ」
名を呼び、沈黙する。俺は一連の言葉から、彼女の魂胆を理解する。
自分が悪いという認識。自分のせいで多くの人に面倒を背負わせている。自分のせいで――そういう見解だ。
きっと、俺やフィクハを配慮した故の言葉なのだろう。自分の悲しいという感情すらも迷惑を掛けていると断じ、俺達を解放しようとして、魔力を捨てると決意しているのかもしれない。
「……そうか、わかった」
俺は答える。彼女の意志は固いのがはっきりとわかった。けれど――
「なら、俺の意見を言わせてもらうよ」
今度は俺が話す番だった。