英雄縁の品
散策の折足を向けた先は、以前シュウに案内されたことのある図書館だった。相変わらず広大なこの場所を、俺は一人歩き始める。
なんだかモンスターすら出そうな雰囲気。ここで戦闘があったら大変だなと思いつつ、ふとシュウと共に訪れた一角へ辿り着く。
「……魔族の力、か」
彼のことを思い出し、さらに裏切った理由を思い出す。
――俺と元の世界の話をした時、彼はどんな気持ちだったのだろうか。俺をただ利用するためにだけ、色々アドバイスをくれただけなのだろうか。そしてリミナと魔法に関する話をしていた時、何かしら謀略の為に動いていたというのだろうか。
考えればキリがないのはわかっているが、疑問がとめどなく押し寄せてくる……何か理由をつけて彼が裏切った理由を作り出そうとしているのかもしれない。この異世界で初めて出会った俺の秘密を理解してくれる人物――それも英雄が、裏切るなど心の奥底では信じたくないのかもしれない。
――あのルールクの店で見た言葉を思い出す。『勇気をずっと胸に』という言葉を書いた時点で、彼の心は蝕まれていたのだろうか。
「……シュウさん」
名を呼び、大きくため息をつく。湧いた疑問を解決するには、シュウに直接訊くしかない。
「どちらにせよ、フィベウスに答えがあるかもしれない、か」
ただそこに行く前にリミナのことはきちんと決めなければならない。だからどのような形であれ、もう一度話をする必要はあるのだが――
「……ん?」
ふいに、本棚の一角に目が留まる。背表紙には『勇者と精霊の冒険』と書かれている本。注目した理由は周囲にある本と比べ、ずいぶんと手垢が付いている気がしたから。
なんとなく手にとって確かめてみる。ハードカバーぐらいの大きさなのだが、装丁が結構ボロボロ。なおかつこれが、シュウのよく読んでいた物だとわかった。
なぜか――表紙の中央にデカデカと名前が書かれていたためだ。
「愛読書、だったのかな」
呟きつつ、現在のシュウではなく、入れ替わる前のシュウが読んでいた本であると悟り、なんとなく表紙部分を開ける。
「……あれ?」
そこにはまたも手書きの文字。しかも日本語。
「日本語ってことは、今のシュウさんも読んだのか」
言いながら目に映ったのは『修』という文字。それだけしか書かれていなかったのだが、文字を見ていると気付いた。
「……シュウさんの、日本語の名前か?」
表紙に名を刻んであったように、彼も読んだ時名を残したのかもしれない。だからなのか俺は興味を惹かれ、ページをめくり始めた。
斜め読みして見ると、至って普通の、王道的な物語だった。主人公は少年かつ農夫で、ある時精霊と出会い冒険をすることになる。旅の途中で様々な精霊達と交流し、その力を身に宿し、やがて彼は世界を征服しようとする魔王と戦うことになる――
「最後は、ハッピーエンドか」
ざっと読んで最後のページを開けた時、そう呟いた。精霊達の力を借り、少年は魔王に一人立ち向かう。結果、魔王を倒し彼は凱旋する、というところで終わっている。
ありきたりと言えばありきたりな話なのだが……こうした物語が、入れ替わる前のシュウを魔法使いとなるべく駆り立てた、とも考えられる。
きっと彼もこうした物語を読んで英雄となる夢想をしたに違いない。その中魔王が実際に現れ、彼は怖くなり――現在のシュウと入れ替わった。
そして、この世界にやって来た彼は物語と同じように戦い、英雄と呼ばれるようになる。
「でも、現在は……」
呟き、俺は本を閉じた。それを棚に戻そうと手を動かし――止まった。
「滞在期間もまだあるし、読んでみるか」
こうして手に取ったのも何かの縁だ。俺は小脇にその本を抱えつつ、図書館を後にした。
部屋に戻って椅子に座り、最初のページを改めて読み始めた時、ノックの音が聞こえた。
「はい」
俺は読むのを中断し、席を立ち部屋の扉を開ける。フィクハだった。
「どうした?」
「ちょっと話が」
「わかった、中に――」
「ここでいいよ。提案しにきただけだから」
彼女は答えた後、矢継ぎ早に話し始めた。
「任務の件だけど……一両日中にはここを出発しようと思う」
「急かされているのか?」
「そういうわけじゃないよ。私の個人的な考え」
すぐにでも向かいたいという雰囲気を伴いながら、彼女はさらに続ける。
「で、二人はどうするのか……突然の申し出で悪いけど。もし血をもらいにいくなら、一緒に行こうか誘おうかと思ったわけで」
「そうか……」
リミナの状況を勘案しつつ、俺は考える。彼女が回復に向かわなければ対応も難しいのだが――
「フィクハさん、リミナが魔力を捨てるとしたら、どうすればいいんだ?」
「その旨を国側に伝え、処置することになるよ。ここでするのか別の場所なのかは、訊かないとわからない」
「決まるまではここにいていいのか?」
「うん。騎士の人も明日には派遣されるらしいから……それが不快じゃなければ」
「そのくらいは平気だよ。むしろこっちがいていいのか気に掛けるくらいだ」
「そういった結論になったら、国に私から伝えておく」
「わかった」
「……で、どうするかは決めた?」
「まだ、まとまってない」
肩をすくめ返事をすると、フィクハは嘆息した。
「リミナさんを悲しませたくないという結論なら、選択は一つじゃないの?」
「そうだな。けど、彼女にどう伝えるかで、本音が訊けるかどうか変わるだろ?」
「なるほど、確かに」
神妙な顔つきで同意するフィクハ。
「ま、なんにせよ納得のいく選択をしなよ」
「ああ、わかってる……あ、それと」
「ん?」
「ありがとう。シュウさんが絡んでいるとはいえ、赤の他人だった俺達に協力してくれて」
「何を今さら」
どこか呆れたようにフィクハは応じた。
「シュウさんが関係していなくても、協力はしていたよ。なぜなら、私は勇者だから」
「そうか……あ、勇者ということで質問が一つ」
「何?」
「女勇者って多いのか? 俺が出会うのはフィクハさんが初めてだけど」
「筋力とか少ない女性からすると、武器を手に取るという選択をする人が単純に少ないだけだと思うよ。その辺は魔法でカバーできるけど、大抵は魔法使いになっちゃう」
「となると、珍しいわけだな」
「そうね。少なくとも私は出会ったことない……それに、もし食べていける腕があったらこんな不安定な職業より、騎士になることを選ぶケースも多いだろうし。さっきのフィベウス王国の騎士みたいに」
「不安定って……」
「当然でしょ? だって傭兵と一緒だもん」
「認可勇者の場合は?」
「国お抱えの傭兵。それ以上でも以下でもない」
「……そう思うなら、フィクハは何で勇者になろうと思ったんだ?」
「秘密」
即答だった。しかも破顔しながら。
「聞きたい? それなら金貨十枚」
――払えなくもないので一瞬金貨を見せようかと思ったが……やめた。
「ああ、そうか。それだけ価値ある情報ってことだな」
「あ、何よその面倒そうな言い方」
「実際面倒だからな」
「むー」
少しばかり頬を膨らませるフィクハ。こういうやり取りはリミナとやったことがなかったので、少しばかり新鮮さを感じつつ、苦笑。それと共に、俺は彼女へ告げる。
「明日までには、決着をつけておくから」
「ん、そう。なら頼んだよ」
俺が言うと、フィクハは踵を返した。
「夕食はいつもの時間だからね」
最後にそう言い残し廊下を歩き――やがて、俺も視界から姿を消した。