彼女の容体と答え
部屋を出た後、昼食をとる。普段はフィクハと共に食べているのだが、今日は客人と話しこんでいるのか食事の席には来なかった。
そして、俺は料理を作ってくれた人に頼んでもう一つ食事をこしらえてもらう。それを木製のトレイに乗せ、俺は廊下を歩き始めた。
「ちょっと、気温が高くなってきたかな」
廊下を進みながら思う。この世界に来た時と比べ、温度が高くなっている。元の世界と同様この世界にも四季があるらしく、加えて季節の巡りも同じらしいので、これから夏になるはず。もし真夏になったら、クーラーなんてないこの世界だと大変だろうなと思いつつ、廊下を進み続けた。
少ししてとある一室に辿り着く。トレイを片手で持ってノックすると、短いいらえが返ってきた。
「入るよ」
一言告げてから中に入る。真正面、窓の近くに設置されたベッドに、上体を起こしこちらを見ている人物が一人。
「調子はどう? リミナ」
「今日は……良い方です」
微熱があるのか顔を少し紅くしているリミナは、俺にそう答えた。
格好は白い寝間着姿。色合いは普段と同じにも関わらず、まとう雰囲気はあまりに薄く、放っておけば消えてしまうのではないか――そういう風に思ってしまう。
「食事、できそう?」
「はい、大丈夫です」
答えるのを聞くと、俺は彼女に近寄りトレイを差し出した。彼女はそれを足の上に乗せる。
トレイの上にはパンとスープとサラダ。そしてコップ一杯の水があり、リミナはそれらを見た後スプーンを手に取った。
「すいません、わざわざ」
「気にするなって」
暗くなりそうな彼女に、首を左右に振って応じた。リミナは再度謝りつつ、スープをすくい、飲み始めた。
――現在、リミナは毒を受けた当初と比べれば、いくぶんマシな状態であった。とりあえず悪くなるようなことはない。けれど、決して良くもならない。
フィクハが検証三日目で熱を抑える魔法を開発したため、動けないという程ではなくなっている。ただし波があり、屋敷の中を多少歩けるレベルの時もあれば、高熱により寝込んでしまうような時もある。
今は、小康状態といったところだろうか……リミナにとっては何もできず苦しいだろう。しかも、フィクハから提示された案では元に戻るようなことも難しい――
「勇者様」
ふいに、リミナから声を掛けられた。首を向けると、スプーンを置き俺と目を合わせる彼女。
「庭先で剣を振っていた時、フィクハさんに呼び止められたみたいですが……」
「見ていたのか」
「何か、あったんですか?」
沈黙した。あまり良い話題ではないので、口を開くのも食事が終わってからにしようと思っていたのだが。
「……検証の結果が出た」
「楽しい話ではなさそうですね」
見透かしたようにリミナが言う。俺はなおも無言。けれどそれは肯定しているのと同じ。
「話して、いただけませんか?」
「食事を終えてからにしようと思っていたんだけど……」
「構いません」
再度スープに口をつけるリミナ。態度を見て俺は小さく「わかった」と答えた。
「選択肢は、全部で三つ」
前置きして、フィクハから言われた選択について説明した。一年以上待つか、魔力を捨てるか、他者の血をもらうか――
リミナは食事を進めながらそれを黙って聞き続け……全て話し終えた時、か細い吐息を漏らした。
「このまま静観していても、時間が掛かるということですね」
「ああ。しかも治るかどうか一切わからない」
「ですね」
悲しそうに目を伏せる。泣きそうになるのを必死に堪えているのがわかった。
「フィクハさんや、他の方々にこれ以上迷惑は掛けられませんし……手段は、一つしかないですね」
「決めたのか?」
どれを取っても辛い選択だが……言葉を待っていると、リミナは俺に告げた。
「魔力を、捨てます」
決然とした声音。あっさりと下された選択に、俺は驚いた。
「いいのか、本当に?」
「はい」
頷く彼女。瞳の奥に僅かな葛藤が見え隠れしたが、それでも返事をする。
「魔法使いであり続けたいとは考えています。けれどそれにより多くの人が大変な思いをするのなら、するべきではないと思います」
そこでリミナは感情を押し殺すように視線を合わせ、
「勇者様の従士としても、これで最後ですね」
「リミナ……」
声を掛けようとして――何一つ出なかった。けれど同時に、彼女を悲しませない選択を必死に考える。
望みがあるとすれば、ドラゴンの血を入れることだろうか……この世界に来た直後やった仕事で多少の縁もあるので、話はできなくもない。さらに俺達はドラゴンの国に赴こうとしているので、彼女がそうした血を入れるというお膳立てが揃っていると言えなくもない。
けれど、果たしてそれが可能かどうか……そして、彼女が望むのか――俺はそこを訊こうとして、
「勇者様」
リミナの言葉で口をつぐむ。
「私は、誰かの迷惑になるようなことはしたくありません」
それが、彼女の答えのようだ。対する俺は……それでも、訊いた。
「本心は、どうなんだ?」
「先ほどの言葉が、私の本心です」
はっきり答える。けれど本心だとは思えない。スプーンを握る手に力が入っているのがわかる。
そして、追及しても話すようなことがないのもわかる。
「……リミナに、従うよ」
だから渋々頷いた。リミナも合わせるように「はい」と言い、
「段取りが決まったら、教えて下さい」
「ああ。その辺の詳細を聞いたら、また話すよ」
「はい……あの」
と、リミナはおずおずとトレイを差し出す。
「もう、この辺で」
「半分も食べていないじゃないか」
「大丈夫ですから」
やっぱり食事をし終えてからの方が良かったかもしれないと考えつつ、俺は仕方なくトレイを受け取った。
「それじゃあ」
「はい」
声を掛けた後、部屋を出る。半分以上残った食事を手に持ちながら、食堂へ移動を始めた。
「……どうすれば、いいんだろうな」
道中、俺は零す。
元に戻る可能性は、フィクハの吉報を待つしかない。けれどもしできたとしても、年単位の足止めとなる。それはリミナ本人も望んではいないはずだし、取るべき選択ではないと思う。
けど、だからといって彼女から魔法を奪うのも納得がいかない。でも、悲しくてもそれが彼女の選択だとしたら――
「……もう一度、話しあうべきか」
呟くと――真正面からお手伝いさんがこちらへ進んでくるのが見えた。そこで俺は彼女を呼び止め、トレイを返却するよう頼み、元来た道を引き返す。
「きっと、その結論でいいと言い張るだろうけど……」
強情なところもあるリミナなら、結論が決めた以上曲げない気はする。本心ではそれを望んでいないにしても、その解答を受け入れようと考えている。
けれど、それでいいのか――
俺は再度リミナのいる部屋の前に立ち、ノックをしようとする。そこでなんだか緊張したので、一度呼吸を整え改めて音を鳴らそうとした。
だが、ドアを叩く寸前で止まった。なぜか――扉の奥ですすり泣くリミナの声が聞こえたから。
「……リミナ」
呟き、手を下ろす。入れるわけがない。今彼女は部屋の中で拳を握りしめ、歯を食いしばって泣いている……その姿が脳裏をよぎり、俺は気取られないよう踵を返す。
全身に力が入る。この屋敷にいない英雄に対する怒りが、体内で荒れ狂い始めていた。