最悪の結末
針は一瞬でリミナの首から離れ、地面に落ちた。しかし、
「――かはっ」
短い声と共に、彼女は膝から崩れ落ちる。
「リミ――」
「心配いらない。死ぬようなものは使っていないさ。殺してしまうと、逆上して何をされるかわからないからね」
シュウの声。俺は我に返りすぐさま彼へと視線を送る。
「何を……した!?」
「私が開発した毒針だよ」
毒――言葉を失い、怒りを膨らませながら相手を睨みつける。
「毒、といっても高熱を断続的に出す程度で、重篤になるようなものじゃない。けれど、今後旅をすることはできなくなるだろうな」
「お前……!」
飛び掛かりたい衝動を必死に抑えながら、叫ぶ。対するシュウは、構わず話を続ける。
「君達の腕前なら避けるのは容易かったはずだが……まあ、私が放った一言が堪えたようで、硬直してしまったのが運の尽きだ。保険を掛けておいて良かったよ」
保険――言われた瞬間、嫌な予感がする。まさか、
「君の思っている通りだよ」
その時、シュウは俺に告げた。
「今回の戦いでアークシェイドを壊滅させるために、駄目押しで君を連れて行くことにした。けどもし事が露見してしまった時、隙を作るために二人に軋みを作っておいた方が良いと思ってね」
「保険を掛けるためだけに、あんたは本当のことをリミナに話せと言ったのか……」
「あまり意味の無いことだとは思っていたんだが、最後の最後に効いて良かった」
優しく語るシュウに、背筋が凍る。この人に、俺は騙されたとでも言うのか――
「さて、彼女が倒れた今、ここで戦うのはいくらなんでも無茶だろう? 私は向かってこなければ戦うつもりはないよ。もし来たら……私はそこに倒れている彼女を狙うよ」
「……わかった」
煮え湯を飲むような気持ちで応じる。シュウは「ありがとう」と告げ、こちらから視線を外した。
「……勇者、様」
そこへリミナの声。見ると、座り込んで荒い息をしている姿があった。
「大丈夫か?」
思わず問い掛ける。彼女は小さく頷いたが、
「申し訳、ありません……」
か細い声で告げる。俺はそれに首を左右に振り、
「リミナのせいじゃない。これは、俺の――」
言い掛けた時、視界の端に何かがよぎった。慌てて確認すると、戦う前に現れたような、白い小鳥が一羽近づいてくる。
「ん、来たか」
シュウが呟き、右手を掲げた。それに小鳥が乗っかり、突如光となって消えた。
「どうやら、これでお別れのようだ」
ラキからの、合図らしい――シュウはにこやかに告げると、右手を勢いよく振った。直後、ガラスが割れるような甲高い破砕音が生まれ、彼の背後にある結界が崩壊し始めた。
「君とは何かしら因縁ができたようだし……次出会った時、お手柔らかに頼むよ」
言いながら、彼は踵を返す――勇者の風上にもおけないが、やろうと思えばここで奇襲を仕掛けられるかもしれない。けど勝てる保証がない上、リミナを攻撃するのは明白。見送るしかない。
「……シュウ、さん」
最後に、リミナの小さな呟き。すると彼はそれに反応したか知らないが、一度首をこちらに向け、
「砦の中で戦っている勇者で、フィクハという女性がいる。彼女が私の弟子だから、先ほどのことを話しておいてくれ。あと、真実は話さない方がいい。場合によっては私を支持する者に、無用な疑いを掛けられるかもしれないからね」
一方的に言い残し、同時に彼の足元が発光。それによって包まれたかと思うと、彼の姿が消え、俺達だけが残された――
その後、駆けつけた騎士にシュウが敵を追ったと説明した。彼の言う通り真実を話せば大変なことになるだろうし、信用されるかもわからない。だから話さず、リミナを診てもらうことになった。
森の中を移動するわけにもいかないため、騎士が呼んできたフィクハに頼み、地面に寝るリミナへ治療を行う。彼女は毒なんかに対してもある程度知識があるらしく、俺は治ることに望みをかけたのだが――
「これは……」
険しい顔の彼女。その反応で、治療するのが難しいとわかった。
「治り、そうなのか?」
彼女の隣で問い掛ける。すると、
「……少なくとも、ここでの治療は無理」
息をつき答え、彼女は俺に説明を始めた。
「毒というのは大別にして二種類ある。物理的に体に異変を起こすか、それとも魔力に干渉して体をおかしくするか。それで、この毒は後者……魔力をいじくって体に変調を与えるものみたい」
「魔力に……? それ、治るのか?」
「毒に込められた内容を解析すれば、解毒の魔法は作れるかもしれない。とはいえ、ここですぐというのは難しい……屋敷へ行くべきだよ」
「シュウさんの、か」
俺の言葉にフィクハは頷く。それを見て、近くにいた騎士が声を上げた。
「それでは、馬車を呼んでまいります」
「はい……ですが、砦の方は?」
「大丈夫です。それに後詰めの部隊から偵察に来ていた面々も捕らえたとのこと。おそらく、敵が来ることはないでしょう」
どうやら本拠地にいた人々のほとんどを捕らえたらしい。
「わかりました。お願いします」
「はい」
俺の言葉に騎士は一礼し、その場を後にした。
残されたのは俺とリミナ、そしてフィクハの三人だけ。
「私達は、一足先にここを離れることになりそうだね」
「……そうだな」
フィクハの言葉に俺は頷く……と、そこで彼女の顔が険しいことに気付いた。
「この毒について、何か懸念があるのか?」
気になって言及してみる。けれどフィクハはすぐに応じない。
やはり、深刻なのだろうか……俺が顔を強張らせながら言葉を待っていると、
「……一つ、教えて」
フィクハは窺うように尋ねた。
「どうぞ」
「……この毒、シュウさんのやつだよね?」
問われ――絶句して返答できなかった。
「あの人の弟子をしていた時……この毒を見たことがあるの。作成途中のそれと、今彼女の体にある魔力が、同じような流れをしている」
まさかそんなところから気付くとは……俺は言葉を発せられないまま、小さく頷く。
「でね、毒の内容を確認して少し考えてみた。あの人が負けるはずがないし、もし危なくなったらミーシャが助けを求めてくるはず。そして、あの人がむざむざとこんな毒を奪われるはずがない」
「……それは」
ようやく声が出て、否定しようとする。下手に真実を話して混乱を呼ぶのは――
「喋ろうとしないのはなんとなくわかる。誰にも話さないから……お願い、話して」
彼女からの要求。俺はそこで少しだけ思案し、
「……事実が広まれば、大変な騒ぎとなるし、信用しない人もいるだろうから――」
「わかっている」
フィクハは応じ、言葉を待つ。俺は小さく頷き、説明を始めた。
記憶喪失の件や、俺がどういう人間なのかということは省いて話す。フィクハは相槌を入れながらこちらの話を耳を傾け――
「……そう、わかった」
聞き終えた彼女は、沈鬱な面持ちで俯いた。
「私が弟子入りした時から、きっとそんな調子だったんだろうね」
「だと思う……何か心当たりが?」
「ううん、ない。けど時折フラッとどこかへ行ってしまうことがあったから……何か関係があったのかもしれない」
言って、彼女は小さく息をついた。
「事情はわかったよ。あの人がそうやって言う以上、屋敷には戻ってこないつもりだろうし、一度行く必要はある」
「そこでリミナの治療もすると」
「ええ……私が尻拭いをするから安心して」
どこか冗談めかしく告げる彼女。けれど、言葉の奥で悲しんでいうような雰囲気がある。
無理もない、と思う。彼女にとっては最悪の結末だ。師事していた人物が裏切ったのだから。
「ん、そろそろかな」
考える間に、フィクハが呟く。同時に俺の耳に車輪の音が聞こ始めた――