征伐の始まり
――夜の帳がすっかりと下りた目の前の森を、俺は注視しじっと佇む。背後には草原があり、風によって森と共に草木が擦れる音を鳴らしている。
横に立つリミナも無言で警戒――当然だ、ここは敵の本拠地なのだから。
「さて、そろそろかな」
俺の真正面にいるシュウは森を見ながら呟き……続いて彼の隣にいるミーシャが口を開いた。
「シュウ様。もし今、敵が出現したら――」
「情報によると、敵は残らず引きこもっているらしいよ。ま、こちらの工作が効いているということだろう」
シュウは明るい口調で彼女へと返した。
――いよいよ、俺達はアークシェイドという組織の壊滅作戦を行う。全身に緊張が走り、様々な不安を抱えながら無言でシュウの動向を見守る。
空にある星や月は恐ろしいほど明るく、魔法の光が無くても物の輪郭がはっきりと見える。目が慣れた今なら前にいるシュウ達の表情がわかるほどであり、密かに作戦を行うには不向きといっても差し支えない夜だ。
けれど、今日俺達は集まっている。既に騎士や勇者達もこの周辺にいるはずだ。
「さて、レン君。馬車の中でも話したが、改めて作戦をおさらいするよ」
そこでシュウが俺へと口を開く。
「包囲完了の連絡が来たら、行動を開始する。まず私が魔法を使用し本拠地を囲っている結界を解除。その後土地の魔力を利用し結界を構成。さらに魔力に反応した各国の面々が結界を生み出し……私がそれを束ね、目の前にある森を封鎖する」
言いながら、彼は前方にある森を指差した。
地図上で確認した所、草原の真ん中にぽつんと円形に森が存在している。なぜこんなところに――という疑問が最初あったのだが、話によるとこの周辺には特殊な魔力が存在しており、それを利用し本拠地を隠しているらしい。
シュウの解説では、彼らは土地の魔力を利用し、この世界とほんの少しズレた空間を生み出し、そこに本拠を置いているとのことだ。
「で、結界を構築してからが戦いの始まりだ。現在、幹部達が本拠に入ったという情報はあるから、気付いている可能性は低いと思う……だが結界を解除する間に見張りの者達が動き出すだろう。私は魔法に集中するから、そこだけはレン君、援護を頼む」
「わかりました」
俺は頷き、周囲を見る。乗っていた馬車すらなく、ここには俺達しかいない。ナナジア王国を含め他の人達は別所にいるらしく、会うとすれば戦いの時だ。
「で、改めて結界を作り出し周囲を包囲した後、攻撃を開始する……期待しているよ」
「はい……ちなみに、後詰めとかはないんですか?」
「近くにある駐屯地から騎士や兵士が来ることにはなっている。けれど結界を張ってそれを解除するわけにはいかないため、余程のことがなければ後からやってくる人達に出番はない。ま、この辺は戦ってみないとわからないし、状況報告を聞きながら臨機応変に対応するよ」
そこまでシュウが説明した時、月夜の中で一羽の小鳥が飛んでくる。小さく白いその鳥は空で一度旋回した後、俺達へ向けゆっくりと下降してくる。
「お、っと……」
シュウは小鳥に手を伸ばし、それは彼の指先に止まった。観察すると、小鳥の足首に小さな紙が巻かれているのがわかる。
彼はそれを手に取り小鳥を離す。俺が飛んでいく様を眺めていると、シュウが声を発した。
「準備はできたようだ……それじゃあ、始めるとしようか」
彼の言葉に、俺は視線を戻し静かに頷く。
「ではレン君。森の中に入り結界ができるまで警戒していてくれ」
「わかりました」
答え歩を進める。横のリミナも同じように移動し、俺達は森の中へ一歩入った。
同時に剣を抜く。暗い前方を見据え、耳を澄ませ異常がないかを確認する。次に――後方からシュウの声が聞こえた。魔法の詠唱を始めたらしい。
森は木々が風に流れるだけで目立って景色を変えない。ここが本当にアークシェイドの本拠地なのか――なんだか疑ってしまうくらいの平和な光景。
その時、後方のシュウが何事か呟いた。その言葉がなんなのか俺にはわからないまま――彼の周囲に魔力が生まれる。
思わず振り返ろうとした。しかし、
「勇者様」
横からリミナの声がして、動きを止めた。前だけを見るべきだと言いたいに違いない。
だから俺はぐっと堪え、耳を澄ませ前を注視する。その間に魔力がさらに膨れ上がり、やがて森を囲うように動くのを肌で感じ取る。
やがて――ガラスが割れるような甲高い音が響き、前方の森の様子が変わる。景色に変化はない。しかし、正面から多大な魔力が感じられるようになった。
「続いて、結界の構築に入る」
後方でシュウが宣言。俺は無言で頷き――ふと、前方から気配を察知した。
「リミナ、来るぞ」
「はい……見張りの者が状況を確認しに来たんでしょうね」
リミナの返事を聞いた、その時――真正面に黒い人影が見え、それによ草木がガサガサと音を立てるのを耳にする。
「光よ!」
そしてリミナの魔法。彼女の握る杖の先から光が溢れ――正面にいた人影がしっかりと見えた。
黒装束の相手は、顔も目元以外覆面で覆われており――フェディウス王子護衛の時、遭遇した襲撃者を思い出す。
相手の獲物は短剣。光によって反射され白銀に輝くそれを、敵は逆手に持って猛然と駆けてくる。
「――ふっ!」
対する俺は僅かな呼吸と共に真正面から対峙する。そして相手が特攻してくるのを見計らい、俺もまた走った。
敵の目に僅かな動揺が走る。その隙を逃さず、剣を振った。斬撃は速く、対応に遅れた相手は避けられず剣戟によって横に吹き飛んだ。
「よし――!」
声を発した直後、相手は地面に倒れ伏した。斬った場所は出血をしていない。けれど、確実に気絶している。
「加減はどうにかできるな」
「大丈夫のようですね」
リミナは安堵したかのように俺へと告げた。
――ここに来るまでの馬車内で、新しい剣の感触は確かめていた。さらにはシュウの手助けもあって、どうにか魔力を制御できるようになった。
それでも以前の剣と比べればまだまだだが……これは戦っていく内に慣れるしかない。
「創造せよ――浄化の世界!」
そして、シュウの声が響いた。同時に大地から腹を打つような魔力が湧き始める。
俺は思わず振り向き彼を視界に捉える。片膝立ちとなって右手を地面に当てている姿が見えた。それがひどく様になっていると漠然と思っていると――彼の真後ろに薄緑色の、膜のような結界が構成され始めた。
おそらく結界を生み出し、さらに他の面々の結界を束ねる段階にまで到達している――それは森を囲うよう、ドーム状に広がっていく。俺の目には一部分しか見えていないが、間違いなく森を覆うように生み出されたはずだ。
改めて、俺は驚く。これこそが、英雄の力――
「レン君」
魔法を発動し終えたか、彼は立ち上がり俺に声を掛けた。
「私はここで結界の維持に勤める。道中で倒した人達は心配しなくていいよ。ミーシャが魔法を使って動きを縫い止めておく」
「……はい」
俺が頷くと、彼はミーシャへと声を掛ける。
「ミーシャ、倒れている人物に麻痺の魔法を……それとレン君、リミナ君、気を付けて」
シュウが穏やかに言った。そこで俺は思い遣るような彼の笑みをしかと見た。
ここに来るまでに、リミナが従士になった経緯とかも世間話として彼に話していた。だからなのか、シュウは俺達にどこまでも優しい顔を見せている。
「絶対に、死ぬなよ」
「はい、もちろんです」
俺は頷きリミナの顔を確認。それに彼女が頷くのを見て、俺は森をじっと見据え……ゆっくりと、進み始めた。