彼女の言葉
「……えっと」
――全てを伝え終えた時、リミナはアークシェイドの件を話した時と同じような顔を見せた。
仕方ないとは思う。その反応に僅かばかり後悔がよぎったが、ここまで伝えた以上後に引けない。
「今言ったことは……信じられないかもしれない。もし嘘だと思うんなら、シュウさんにも話してくれ。あの人なら、俺の言ったことを理解してくれている」
彼もまた俺と同じ立場の人間、とまでは言わなかった。この事実を話す権利は、その人にしかないと思ったからだ。
リミナは反応がない……というより頭が混乱しているのか頬をかきながら俺に視線を送る。
膠着状態――そう思った時、彼女から声が発せられた。
「つまり……その……記憶を失くされたというのは、嘘ということですか?」
まずそこから攻めたか。俺は深く頷きつつ、
「嘘だけど、俺はこの世界の人間じゃなかったから、それほど変わらないかな」
「ですが、体はそのままだと」
「ああ。経験だけは残っている」
「すると、倒れる前の勇者様は……」
「……残念だけど、もうこの世界にはいない」
少し暗い顔をして応じる――のだが、リミナは表情を変えないまま戸惑っている。
「その……」
「混乱するのはわかる」
俺はそう言って、リミナの口を縫い止めさらに話す。
「けど、これは間違いのない事実。だから、俺は――」
一度ゆっくり息を吸い込み、意を決するように告げた。
「――勇者じゃないんだ。勇者の体を借り受けた、別人なんだ」
同時に、リミナの顔を窺う。
表情に変化はない。ただ体の動きを止めたため、困惑の度合いが強まっているのはわかる。
「……体は」
そんな様子に彼女に、俺は続ける。
「体は確かに勇者レンのものだ……けど、俺はあくまで俺であって、以前の勇者レンとは違う」
「……それは」
リミナは首を横に振ろうとした。けれど後が続かず、沈黙してしまう。
そんなリミナを見て、俺は考える。彼女は現在、命を救われた人物とは異なる存在を勇者と呼んでいる。それについては、是正しなければならないのではないか――
「リミナ。だから俺は勇者じゃない……だから」
「私が付き従う必要は、ないと?」
先読みをしたリミナが声を上げる。俺は多少驚きつつ、頷いた。
「そうだ。そこに縛られる必要はないんじゃないかと思う。俺はもう、勇者じゃないし従士である必要も――」
「しかし最初の村……リシュアで目覚めて以降、勇者様は自らの責務を果たそうとしていたではありませんか」
「それは勇者レンの体を借り受けている以上、謎めいた部分は解決しないといけないと思ったからだよ」
答えながら、俺は次の言葉を頭の中で整理してから、言った。
「少なくとも目的が達せられるまでは、勇者レンとして動かなくてはと思っている」
「それが全て終わったなら、どうするんですか?」
「それは……」
言葉が止まってしまう。後のことは、まったく考えていない。
「わからない」
「……わかりました」
リミナは目を伏せ、何事か考え始める。彼女自身頭の中で思考し始めた様子。
俺はそれを黙って見守る。彼女がどう結論を出すか不安のまま、じっと見据える。
「一つだけ、聞かせて下さい」
やがて、リミナは口を開いた。俺は「ああ」と答え、言葉を待つ。
「ご自身は、今も勇者としての責務を果たそうと、しているんですよね?」
「……ああ」
「それは、間違いありませんね?」
「ああ」
そこははっきりと頷く。するとリミナは微笑を浮かべ、
「なら、何一つ変わりませんよ」
そうはっきりと答えた。
「勇者とは行動によって体を成すものです。例え別人であろうとも、意志があれば勇者なのだと思います」
「……リミナ」
確かにそうだと思いながらも、話がズレているのでは、と思った。勇者というカテゴリであれば、彼女の言っていることは間違いない。けれど、それはリミナ自身が俺に従う理由にはならない気がする。
「お話しいただいたことは感謝しています。私に伝えようと悩んでいたのも、理解できます」
「信じてもらえるとは思わなかったから」
「それもそうですね……ですが、なぜ今?」
問われる。そこはシュウが同じ立場の人間であるのを話さないといけないのだが――
「……シュウさんと話をしていて、色々と考えさせられたからだよ」
婉曲的な俺の言葉に、リミナは目を細める。何か考える素振りを見せ、唇を噛みつつ視線を落とし、
「……あの人もまた、同じ境遇なんですね?」
そう問われた。
心臓が僅かに跳ねる。違うと言おうとしたのだが、
「いくつか根拠はあります。ルールクさんの店で見た、英雄達の決意……英雄シュウの文字が、勇者様のいた世界の文字なんですね? だから、ここに訪れ彼に相談したんですよね?」
「……ああ、そうだ」
看破され、俺は小さく頷いた。
「その、こういうのは本人が話すべきことじゃないかと思って」
「そうですね……ともかく、同じ境遇の方と出会ったため話すことにした、ということで良いんですよね?」
「そうだ」
はっきりと答える。そこでリミナは納得し、小さく息をついた。
「わかりました。お話頂きありがとうございます」
「リミナ……」
「私のことを色々と考えてくれているのはわかります。ですが、勇者様がこれから責務を果たすというのなら、私はそれに従うまでです」
強い口調でリミナは語る。俺はその言葉に大きな安堵と、申し訳ない思いが膨らんだ。
俺は君の命を助けた人間じゃない――従士となった理由が根本から崩れ去り、それを口にしようとした。
けれど、リミナは先んじて首を左右に振った。
「それに、今の勇者様は放っておけません。食費の計算だって、まともにできないじゃないですか」
「……そうだな」
正直に言う。途端に、リミナは吹き出した。
「その辺りも、勉強していきましょう」
「……悪い」
告げると、リミナは再度微笑んだ。その顔に俺は少なからず罪悪感を抱きつつも、彼女に感謝し全てを飲み込むことにした。
翌日、俺達はシュウと共に屋敷を出ることとなった。
屋敷の門前には早朝時点で馬車が到着しており、いつでも出発できる態勢となっている。俺とリミナは準備も早々に済ませ、玄関付近で待っていた。
「決戦、ですね」
彼女が言う。俺は「そうだな」と同意しつつも、心の中には色々と疑問がある。
ラキやエンスの存在――彼らが今回どのように動くのだろうか。本拠地に集まってどうにかというのならば、いてもおかしくない。けれど、俺はいないような気がしていた。
ふと、エンスが強硬派を邪険に扱っていたことを思い出す。そんな態度の彼らが来るのだろうか――答えは出ないが、ノーではないかと心の中で思う。
でももし、彼らと遭遇したら……他にも勇者が出るとのことなので、そちらに期待するしかないかもしれない。ただ闘技大会の覇者なんかを相手にしても余裕だったラキは、相当な使い手でなければ戦えないような気もするが――
「お待たせ」
そこへ、後方から声。振り向くと昨日と同じ黒いローブ姿のシュウとミーシャ。
「少しばかり準備に手間取った。さ、行こうか」
「はい」
「覚悟はいいかい?」
シュウが問うと、こちらは当然とばかりに頷いた。
「はい、大丈夫です」
「よし」
シュウは意気揚々と返すと、俺達の横をすり抜けて先導するように歩き出す。対するミーシャはどこか警戒している様子だったが、何も言わなかった。
俺も続いて歩き出す。昨日の件――複雑な感情を抱きつつも、目前の戦いに向けしっかり気を引き締めた。