声の主
「外が騒がしいと思ったら、やはりか」
声の主は、門の向こう側からやって来た。声に女性の動きが止まり、俺もそちらへ目を移す。
黒髪に黒い瞳を持ち、女性と同様黒いローブを着込んだ三十代半ばくらいの男性だった。精悍な顔つきに温和な表情を伴うその人物は、俺やリミナを見て申し訳なさそうに手を合わせる。
「すまないな、旅の方。彼女は私の助手なんだが、最近ちょっとばかり気が立っていてね」
「シュウ様」
そこへ、女性の声。
「屋敷へお戻りください」
「そうはいかないな。見た所彼らに敵意は無い。矛を収めるのはミーシャ、君の方だ」
咎めるような強い口調で彼が言う。すると、女性――ミーシャは口をつぐみ、
「しかし……」
「ミーシャ」
語気を強くし再び名を呼ぶ。途端、ミーシャは不満顔ながらゆっくりと構えを解き、
「申し訳なかった」
と、俺達へ謝った。
「ああ、いえ……」
俺は手を振りつつ女性へ告げながら、男性を一瞥する。彼はそれににっこりと微笑み、
「私に用があって来たのかな?」
目の前の男性は尋ねた。この人が――
「あ、あの!」
少しばかり興奮気味に、リミナが口を開く。
「す、すいません! 突然のご訪問で……」
「いや、いいよ。基本会いに来た人は通すことにしているし、遠慮はいらない――」
彼はそこまで答えた時、突然口を止めた。何事かと見守っていると、俺に視線を向ける。
「……その剣、リデスが持っていた物だね?」
ちょっと興味深そうに彼が尋ねる。対する俺は握りしめた剣と鞘を交互に見てから、
「は、はい」
「その剣は確かルールクさんの所に置かれていたはずだが……」
彼は口元に手を当てこちらを注視。その所作に俺はなんだか緊張し――
「君、名前は?」
「レ、レンといいます」
「レン? ルールクが剣を渡した以上君は勇者だろう? 確か同名の人で噂になっている人がいたはずだが」
「当人です」
すかさず答える俺。さらに、
「英雄アレスから、剣を教わりました」
もう一人の英雄の名を告げた。
結果、彼――シュウは納得の表情を浮かべ、門を開けて俺達を手招きする。
「そうか。遠路はるばるご苦労だったね。入りなさい」
「あ、はい」
「シュウ様」
そこへ、再びミーシャの声。するとシュウは彼女へ目を向け、
「リデスの剣を持っている以上、信用は担保されているようなものだよ」
「しかし……」
「ミーシャ、お二人を客室にご案内しなさい」
シュウが語る。ミーシャはなおも不服そうだったが――やがて、一礼した。
「お二方、屋敷の中で少し待っていてくれ。実験途中だったんで、それを片付けてから行くことにするよ」
彼女の対応を見てシュウは踵を返す。そうして颯爽と立ち去り、やがて屋敷へと入って行った。
「……あの方が」
少ししてリミナの言葉。俺は同調するように頷き、そこで剣をかなり強く握りしめているのに気付いた。
以前アーガスト王国で謁見した時と同じくらい緊張した。俺は一度息をついた後剣を鞘にしまい、ミーシャへと首を向ける。
「えっと、それで」
「案内する」
警戒の色は完全に解けていないが、シュウの言葉に従い彼女は門へと近寄り手で奥を示す。
「ついてきなさい」
そして命令口調。俺とリミナは顔を見合わせ苦笑しつつ、彼女の後に追随し屋敷の敷地へと入った。
通されたのは一階の客室。朱色に塗られたテーブルに向かう合う形でソファが置かれており、俺とリミナは座る。扉は背後にあり、対面するソファの向こうには窓が見える。
少ししてミーシャが台車を伴いお茶を淹れてきた。態度はやはり変わらなかったが、言葉遣い以外の動作は丁寧であり、俺は礼を告げながら一口飲む。
ミルクティーらしく、口の中で甘みが広がる。飲みながら気持ちを落ち着かせていると……シュウが入ってきた。
「お待たせ」
俺はカップを置き振り返り立とうとする。彼の姿が見え――
「ああ、いいよ。そのままで」
シュウは手を振りつつ俺達と対面に座る。横では台車に用意されたお茶の準備を進めるミーシャ。それらを見ながら俺はソファへ腰を落としつつ、改めて正面の人物を観察する。
温和な表情と様子なのだが、少しすると体に力が入ってしまう。英雄であるのを理解しているためか、それとも彼が無言の内に発する気配がそうさせているのか――
「そう緊張しなくてもいいよ」
態度を見て取ったか、シュウは苦笑を伴い話し始めた。
「あと、さっきはすまなかった。実を言うと君達のように訪れる人も少なからずいるんだが……先日、泥棒が入ってね。それによりミーシャ……助手の彼女も気が立っているんだ」
「泥棒……?」
まさか、という顔でリミナが呟く。シュウはそれにしかと反応し、
「留守中に狙われたため、どうしようもなかった。被害はひとまずなかったから良かったんだけどね」
「はあ……」
俺は相槌を打ちつつ、ミーシャへ目を向ける。彼女はお茶をシュウに出した後、こちらに睨みを利かせながら立っている。もし何かあれば私が――そういう意図があるのを認識する。
確かに泥棒が入ったのならば、注意を払うのは当然だと思う。反面、客にこんなことばかりしていると、トラブルが起きるんじゃないかと思ってしまう。
「ま、その辺の話は置いておこう。で、今日ここに訪れたのは?」
彼が問う。俺はルールクの店で見たサインについて言及しようとした……けれど、リミナやミーシャがいる状況でそれを話すのも――そういう結論に至り、
「以前から、お会いしたいと思っていました……その、挨拶に」
俺はそう口にする。対するシュウは優しい顔で頷いた。
「そうか。アレスの所から来るとなると、かなり遠かっただろう。よく来た」
――口上から、彼は英雄アレスの住む場所を知っているらしい。俺はそれを尋ねようとして……ミーシャを一瞥した。
それがどこなのかを尋ねる場合、当然記憶が無いことを話す必要がある。しかし記憶がないなどと話せば、ミーシャが暴れ出しかねない。リデスの剣でシュウは俺のことを信用しているが、彼女は違う。彼の制止を振り切り俺達を追い返すなどという可能性がある。
無用な混乱を生むべきではないだろう。そう頭の中で算段をつけ、俺は口を開いた。
「本当にすいません。お忙しいと思いますが……」
「いや、大丈夫だよ。アレスのお弟子さんなら私も色々と話を聞きたいと思う。ただ、具体的なことを聞くのは食事の時にでもしようか。あ、それと……今日はここに泊まっていくといい。もし良ければ、ここに滞在してもらってもいいよ」
「いえ、それは……」
俺は首を横に振った……のだが、シュウは「大丈夫だ」と返す。
「ミーシャには強く言っておく」
その発言に、当のミーシャが顔をしかめた。けれど主人である彼に言及できないようで、声は出さない。
「ただ、私も所用があって数日後にはここを離れないといけない。だから滞在するにしても、それまでという話になるのだけど」
「いえ、明日には出ようと思うので」
返事をすると、シュウ少し残念そうに「わかった」と答え、
「なら今日の内に、相応のもてなしをしないと……あ、お隣の君は従士だよね? 杖を見ると魔法使いか」
「はい」
「そっか。ならまず、屋敷の一番の自慢からだな」
言って、彼は笑う――それまでと異なる、子供の様な無邪気な笑顔だった。