驚愕と、もう一人
「勇者様?」
硬直する間に、再度リミナから呼び掛けられる。そこに至り俺はようやく我に返り、
「あ、ああ……ごめん。不思議な文字だと思って」
「ですよね。異国にはこんな不思議な言葉があるんですね」
リミナは興味深そうに言いつつ、ルールクへと目を移す。
「英雄シュウは異国の人だったのですか?」
「詳しくは聞いていないぞ」
そうした会話を耳にしつつ、俺は再度文字に目をやる。
間違いなく、日本語で書かれている。羽ペンか何かで書かれているせいか線が細めで、結構達筆。習字に見立てたのか、流れるように言葉が刻まれている。
これが本当に英雄シュウの書いたものだとすれば、彼もまた何かしらの理由でこの世界にやってきたということだろうか。もしくはこの世界に似たような言語があるのか……けれど、そんな偶然の方があり得ないように思える。
俺というケースがある以上、彼もまた同様に日本からこの世界に来たというのが自然か。
「勇者様?」
そこで、リミナに問い掛けられる。またも考え込んでしまった。
「ああ、ごめん」
再び謝る……が、リミナは俺の様子が変だと気付いたらしく、首を傾げ、
「どうしましたか?」
尋ねた。けれどどう答えていいのかわからない。
「どうも、気になってしまったようだな」
ルールクが横槍を入れる。ニュアンスは違う気がするが、言っていることは大体正解。
「ま、その辺りは本人に訊いてみればいいんじゃないか?」
さらにルールクは語り、英雄シュウについて説明を加える。
「距離的にはここから三日くらい南に下ったところに住んでいる。噂によると、大きい屋敷らしい」
「英雄なら、そのくらい当然でしょうね」
少しばかり目を輝かせてリミナが答えた。行くつもりだったので、さらに楽しみが増えたようだ。
「二人は英雄シュウに会いに行くつもりなのか?」
「あ、はい」
俺はルールクに答えたのだが……ふと、アポなしでいいのかと思う。
「直接に行って会えるものなのなんでしょうか……?」
「さあな。忙しい身とは聞いているし、場合によっては留守かもしれないな」
その辺りは運も絡んでくるだろう。とはいえ、俺としても会うべき理由が出てしまったので、最悪屋敷に戻ってくるまで待っても――
「ごめんください」
と、そこで唐突に後方から声が聞こえた。
振り返ると、入口に革製の鎧を着た、茶髪の男性。ちょっとばかりツリ目で、口を結んでいる様子から小難しそうな印象を覚える。
「ん……? うわ、イジェトじゃないか」
「何か文句が?」
答えた人物は、一目見て傭兵か何かと思った……のだが、腰に差した剣が、やけにキラキラしている。もしかして勇者か何かなのだろうか。
俺は彼をじっと観察し――相手、イジェトは気付いてこちらに目を向ける。
「ああ、どうも」
会釈するイジェト。挨拶はそれだけで、彼はすぐさま腰の剣を鞘ごと引き抜き、ルールクへと差し出す。
「剣のメンテナンスに来たんだけど」
「ああ、わかったよ」
ルールクは俺のことを一瞥し――こちらはそちらを優先にと引き下がる。なので、彼はイジェトの剣を手に取り、鞘から抜き放ち状態を確認する。
「……おい、綺麗じゃないか。何で来たんだ?」
「念の為だよ。これから大仕事だからね」
端的に答える彼は、肩をすくめつつなおも続ける。
「近々大きな戦いがあるんだよ。俺もこの国の勇者として、出ないといけないからさ」
――彼は勇者であり、何か厄介事があるらしい。ルールクは「そうか」と答えると、彼を一瞥した後剣を鞘に収め、
「異常はないな」
言って、突き返した。
「ところでイジェト。その装飾なんとかならんのか」
「装飾?」
「剣をここに持ってくるごとに、装飾の光具合が増えている気がするぞ」
「気のせいだよ」
答え、イジェトはふいに俺達へ視線を送った。
「……珍しいね。一見さんはお断りじゃなかったっけ?」
「古馴染の客だ」
ルールクはなんだか口を尖らせ答える。イジェトは「そう」と気の無い返事をしつつ、カウンターに置かれた五本の剣に目を向けた。
「剣を選んでいた最中なのか――」
と、彼は突如口を止めた。一点を剣を凝視し、なぜか顔をしかめる。
その様子に、俺は眉をひそめた。何やら驚いている様子だが。
「……なぜ、その剣がある?」
そして問う。対するルールクも剣を見やり――途端に「ああ」と呟いた。
「これのことか?」
そう言って無造作に掴んだ剣は、最後に持ってきた物。茶色の鞘に収められたそれは、見た目の上ではごくごくシンプルな剣。
「お前よく気付いたな」
「当たり前だよ。何度俺がそれを要求したと思っている?」
「知るか、そんなこと」
辟易した態度でルールクは応じると、唐突に俺へその剣を放り投げた。
「……っと!」
すぐさまそれをキャッチ。そして、
「それならいけると思うんだが、試してくれ」
まるでイジェトへ見せつけるかのように言い放った。同時に、あることに気付く。
えっと、二人の間に何があったかはわからないけど……これは、色々とまずい状況なんじゃないか?
「……ルールク」
俺の考えを裏付けるように、イジェトが低い声で口を開く。
「あの剣、彼に譲る気か?」
「譲るんじゃなくて販売だ。魔力の多寡を勘案すれば妥当な品だ」
「……そう」
イジェトは間を置いて応じると、緩やかに俺へと顔を向ける。
「ルールク、仮に俺が彼を倒したら、使用者としてはこっちの方がふさわしいと思わないか?」
そして、提案してくる。おい、これ完全に決闘フラグじゃないか。
「お前、そんなにこの剣欲しかったのか?」
ルールクが訝しげに問う。すると、
「その剣の素性を知れば誰もが欲しいと思うよ」
「……おお、言われてみれば、そうか」
二人のやり取りを聞いて、俺は剣と彼らを交互に見る。名のある剣のようだが……?
「どういった剣なんですか?」
尋ねたのはリミナ。それにルールクはあっけらかんとした口調で、
「いや、リデスが魔王との戦いで使ってた剣を直したやつだ」
とんでもないことを言い放った。
俺とリミナはまったく同時に剣を見てぎょっとする。おいおい、何でそんな物が――
「リデスは戦いが終わった後、損傷したその剣を俺に渡したんだよ。で、もしよければこれを直して才ある勇者にでもあげてくれと言われ、あんたに」
「お、俺……?」
目を見開いたまま応じる俺。ありがたいと言えばありがたいのだが……魔王との戦いにまつわる逸品ということで、返答に窮する。
いや、よくよく考えれば英雄アレスに関する品を持っている時点で、こうした剣だって驚くに値しないような気も――いやいや、こんな剣を使うなんて恐れ多い気もする。
「魔力を聞いた時、それに耐えられる武器って言ったら、現時点でそのくらいしか候補が無かった。リデスが使っていた剣だが、俺としては頓着ない。あんただったら素性も確かだし名声もある。受け取ってくれればいいさ」
「お、お代は……?」
「そんなにするもんじゃない。リデスも特別扱いするなと言っていたからな。安くしとくよ」
そう言って笑うルールク。俺としては望む物が手に入ったと喜ぶべき、かもしれない。
しかし、横から来る怖い視線は、トラブルが起きると容易に予想できた。
「え、えっと……」
それにより俺はどうしようか迷い、手をこまねく。そんな反応にルールクは、
「もらってやってくれ。レンなら、その資格がある」
とどめの一言を告げてしまった。
「……レン?」
即座にイジェトが反応。対する俺は誤魔化そうかと口を開きかけ、
「巷で有名な御仁だよ」
追撃がルールクからやってきた。
彼の口を塞ぐべきだった――後悔と共に、俺はイジェトと視線を合わせる。
「そうか……ならば」
言葉と共に、イジェトは剣を突き付けた。
「その剣を賭けて、決闘を申し込もう」
――途端に俺は天を仰いだ。こういう事態は、どこに行こうと付きまとうらしかった。