目覚めたのは見慣れない場所
「夜更かしなんかしていないで、さっさと寝なさい、蓮」
その日、俺はいつものように母親に言われつつ自室に入った。
高校入学もしたというのに、十時過ぎまで起きていたらこの発言だ。俺は内心辟易しつつ、部屋の扉を閉めた。
何でもない一日だった。登校し、授業を受け、昼食を食べ、放課後になったら一目散に帰り、ゲームをして過ごした。それから夕食、風呂と済ませ後は寝るだけ。
気の迷いで勉強しようかなぁとか考えたのも一瞬。十秒もすればその気もなくなり、眠ることにした。一応夜型を自負している俺からすればこの時間はいくらなんでも早いのだが、やることもないのでそうしたのだ。
目を瞑り意識が遠くなる。眠りに落ちる寸前、明日も今日と同じような一日を過ごしていく――そんな風に思っていた。
だから次に目を開けた時――見慣れた白い天井ではなく、茶色の木の板が剥きだしの天井が目に入り、夢が続いていると思った。
「……あれ?」
仰向けに寝た状態で、俺は呟く。多少ながら驚いた後、首が動くことに気付いてまずは左に動かした。ベッドの傍にガラスの窓があり、そこから朝陽らしき暖かい光が差し込んでいる。
今度は右を見る。横になっているベッド以外物が皆無に近い部屋だった。天井と同じように木の板で構成された床に、扉が一枚。太陽の光以外光源はなく、夜になれば真っ暗になると推測できた。
「すごく、鮮明だな」
呟きつつ、今度は黒い前髪に気付き、適当に触ってみる。
――この時点ではまだ、夢だと思っていた。だから覚めるまでゴロゴロしていればいいかと考え、髪から手を離すと天井を眺めた。
窓の外から鳥のさえずりが聞こえてくる。やけにリアルだな――改めて思っていたところに、扉の開く音が聞こえてきた。
「ん?」
首だけ向ける。そこには女性が一人。
「あ……」
俺を見て、彼女は固まった。
女性の姿は西洋ファンタジーに出てくるような白いローブ。さらに濃い青髪と黒い瞳が特徴的な――紛れもなく美人。くっきりとした二重まぶたに、桜色に近い艶のある綺麗な唇。そして鼻筋の通った端正取れた顔立ちと、非の打ちどころのない、まさしく美人。
「え……」
俺は呻き、見惚れてしまった。少ない人生経験で、これほど綺麗な人を直で見たことがなかった。だから、思考も止まる。
「……ゆ」
その間に、彼女の口から言葉が漏れた。
「……勇者様!」
と、言った直後駆け寄ってきて、唐突に両手を出し俺の右手を握った。
「良かった……お目覚めになられたんですね……!」
そう言った時、彼女の瞳は僅かに潤んでいた。
やばい――涙顔までされると、さらに言葉を失うばかりか、鼓動まで速くなる。
「良かった……意識を失って……もう、お目覚めにならないかと……!」
聞きながら、考える――彼女はどうも、俺を介抱していた人間らしい。
「ああ、いや……その」
そんな態度に俺は口ごもりつつも声を出す。
――この時点においてまだ、ただの夢だとしか認識していなかった。だから彼女の口から出た「勇者」という言葉に、この時点では大した反応を示さなかった。さらには彼女の触れる手の温もりを感じた時、驚きよりも恥ずかしさが出た。
恥ずかしさという部分は、彼女も同じだったらしい。我に返ると、慌てて両手を引っ込めた。
「あ、あの……すいません……!」
さらに両手を後ろに回す。なんだかすごく新鮮な反応だと思いつつ、俺は言った。
「心配かけた、ごめん」
状況を理解できていないが、それが適した言葉だろうと判断し言った。
すると彼女の顔からは気恥ずかしさが消える。次に現れたのは、安堵。
「……すいません、取り乱してしまいました」
言うと彼女は姿勢を正し、扉を背にして俺を見る。
「その、お目覚めになられた時のことを考え、お食事を作っていたんです。もしよろしければ……」
「ああ、頂くよ」
笑みで応じる。彼女は笑い返し、
「では、お運びしますので」
「いや、いいよ。起きることはできる」
「ですが……」
「平気だって」
「……わかりました。準備ができたら来てください」
少し心配しながらも、彼女は言い残し部屋を出て行った。扉が閉められると、俺はゆっくりと息を吐く。
「……ずいぶんと、まあ」
面白い反応だった。映画の中にいる気分であり、夢としては当たりだと思った。
俺はベッドの上から窓の外を見る。青空と、正面には原っぱに森が見える。きっとここはどこぞの村で、女性の発言から怪我でもして運び込まれたのだと推測できる。
「付き合ってやるか」
どこか演技をする心持ちで言う。
そしてまずは格好を確認。青い半袖の肌着に、下も同様の色合いをしたズボン。それを確認すると両足を床に置いた。そこで裸足なのに気付いて、スリッパの類がないかを探す。
少なくとも見える範囲ではない。だから一度足を戻し、ベッドの下を覗き見た。そこには俺の装備品らしき青い上着と、ブーツと剣。
「……すごいな、本当にゲームみたいだ」
感嘆の声を出しつつ、手を伸ばしてブーツを手に取る。上着の上には靴下があったので、そちらにも手を伸ばす。
しかし、届かなかった。ベッドの上から意固地になって無理矢理取ろうとした時、バランスを崩し空中で一回転して――
「いてっ!」
背中を床にぶつけた。俺は痛みに一瞬動けなくなり――すぐに、はたと気付いた。
「……あれ?」
痛い。夢なのにぶつけた背中が痛い。
呆然となる俺。おかしいな、夢なのになぜ痛いんだ?
考えて、少しずつ頭が認識してくる。ちょっと待て、痛いってことは……これは現実?
「いやいやいや、あり得ないだろ」
すぐさま首を振って否定するが……先ほどの触れた手の温もりが嫌に思い出される。あれもまた、現実であることを裏付ける事実の一つではないだろうか。
「いや、でも……そんな馬鹿な話……」
単純に、あり得ないと思った。昨日まで高校生としてごくごく普通に生活していたのだ。なのに、翌日起きたらいきなり見覚えの無い場所で、おまけに――
「……勇者?」
先ほど女性から告げられた言葉を、思い出す。勇者。え、俺、勇者?
頭が混乱し始める。背中の痛みと、見慣れない部屋。初対面の女性と、勇者。そして何一つ昨日までと違う世界。
これはもしや悪い夢なのか――そういう風に考えながらも、俺を呼び起こすように打ち付けた背中がズキズキと痛みを発していた。