華
そんな心底どうでもいいことに感動を覚えていると、
「あら? ソノちゃんじゃない」
つい数時間前にお世話になったオオカミさんの声が聞こえた。
フォークを咥えたまま振り返ると、そこには案の定アキラさんがトレーを手に立っていた。
――女の子を数人引き連れて。
「ねぇねぇ、カナエちゃんモミジちゃん。明日、ここの敷地内案内してよ」
あたしは何事も無かったように姿勢を元に戻して二人に明日の相談をする。
なぜか二人ともビデオの一時停止のように止まってしまっている。んが、気にしない。
「あら。それじゃあ、わたしが案内して差しあげましょうか?」
すごく自然にあたしのとなりに腰をおろすと、微笑を浮かべながらアキラさんはそう言った。あたしはあなたに言ってません!
当然のようにアキラさんの後ろにいた女の子達もそれぞれアキラさんの隣や前に座っていく。その数六人。その中にはあの犬少女の姿もある。誰もいなかった寂しいテーブルはいきなり賑やかになった。
「ひどいですぅ。おねぇさまは明日、私とご一緒してくれる約束だったではありませんかぁ」
あまったるっ!
アキラさんの横に座った巻き毛の育ちよさげなお嬢様風少女が、甘えるようにそう言う。
あたしはそれを聞き思わず顔を引きつらせた。しかたのないリアクションだと思う。
「ごめんなさい。そうだったわね。ついつい、忘れていたわ」
「もう〜。私は楽しみにしてましたのに」
「すねないの。ちゃんと約束は守るわ」
すねてみせるお嬢風少女に、アキラさんはそう言うとおでこにキスをした。取り巻き(勝手に呼称)がキャーとか黄色い歓声やら羨望やらをあげる。うるさいったら。
さて、
「それでね。カナエちゃんとモミジちゃんは明日何か予定はある?」
すぐ隣に展開されつつある別世界のことをきれいに無視して話を続ける。けれど、やはり二人は一時停止状態。オオカミさんの登場はかなりショッキングだったと思われる。
あたしは肩をすくめるとパンを一口サイズにちぎり口に放り投げた。ふわっふわで美味しい。焼きたてのようだ。すごいなお嬢様学校。パンも自家製か。強いぞお嬢様学校。なんだか食器類も良く見れば細かな装飾がしてあって金がかかってそうだ。
「あら? ソノちゃんってば、わたしのこと忘れちゃった?」
あたしが無視を貫徹しているとアキラさんの繊細そうなきれいな手が伸びてきて、あたしの顔をそちらに向けさせた。細い指から伝わる温度は少し冷たい。体温の低い人はやさしいとか言うのをどこかで聞いた覚えがあるけど、いきなり信憑性が薄くなった。和紙とまでは行かないけど、シングルのトイレットペーパーくらいには薄くなった。
目の前に、アキラさんの顔がある。息がかかるほど、とはいかないまでも近い。
目の前にあるアキラさんの顔はすごくきれいだ。
粉雪みたいに白い肌。病的とかでなくそれは健康的で。
柔らかく波打つ色素の薄い菫色がかった髪。
長いまつげに髪と同色のけれど濃い菫というよりは紫陽花のような色の瞳。
すごくいい香りもする。フローラルな香り? なんか、頭がくらくらするような……。
カナエちゃんも美人だけど、タイプが違うな。カナエちゃんがひっそり咲くやわらかな百合なら、アキラさんは威をもって堂々とその美しさを誇る薔薇だ。そんな感じ。
とにかく、美人さんだ。最初も思ったが、手足はすらりと細く長い。雑誌とかのモデルよりもスタイルも容姿もよほどいい。はだしで逃げ出すという表現はここで使うのかな?
けど、
「離してくれませんか? あたしは美味しく食事中です」
モグモグしていたパンを飲み込むと、あたしはそう言いアキラさんの手を軽くはたいて顔から手をどけさせた。
それと同時に、怒りの悲鳴が取り巻きたちから上がる。
うん。やってからミスったと思ったよ。けれどやっちまったもんはもう遅い。後悔先に立たずとは上手いこと言ったもんだね。
「ふふ。ごめんなさいね。けれど、無視するあなたが悪いのよ?」
「無視だなんて。ただ、邪魔しちゃいけないなと思ったんですよ、オオカミさん?」
微笑を浮かべているアキラさんに、あたしは自分でもそうとわかるほどに冷ややかに言った。意図してのことではない。なぜか知らないが自然とそうなったのだ。
なんでだ?
あたしは意外な自分の心理運動に心中で首を捻るが答えなど無いし、答えを出す暇も無かった。
「あらあら。そうなの? けれど、先に声をかけたのはわたしなんだから、気にしなくてもよかったのよ?」
まぁ、それもそうだ。
アキラさんはそこで言葉を切ると、
「それにね」
あたしの顎に手を添え、
「――ここでは上級生には敬意を払う決まりなの。貴女はまだ知らないだろうから、今回は見逃してあげる。けれど」
そう言うとアキラさんは添えた手を頬に移動させ、指でしばらく撫で這わせると、
「――次は、おしおきね」
つつ、と手を離して席を立った。
それに続く取り巻きたち。その目はみな一様に敵意に満ちており、あたしを睨んでいた。
あたしはアキラさんの姿が視界から消えるまで、動けなかった。
……はぁ、すごい迫力。
なぜか知らないけど、美人ってのはすごい迫力を持つものなんだな。今までに味わったことのないような感じがあった。恐怖とも違う……なにかが。
アレだね。さすが薔薇。迂闊なことをすると棘に刺さる。
「はぁー……。すごいですね、ソノ先輩」
大きく溜め息をついてモミジちゃんが唐突にそう口を開いた。その顔はとても真剣なものだった。
なんだろ。
「……なにが?」
モミジちゃんの横のカナエちゃんの目はなぜか若干羨望に満ちている。んん? なんなんだ?
「あのアキラ様にあんなこと言えるなんて」
「そんなにすごいこと?」
たしかに、あの威厳というか迫力というかに、逆らうのはかなり気合がいるとは思うけど……。カナエちゃんが羨望の目を向けるほどのことか?
「十分にすごいことですよ。あの方はここの女王陛下と言っても過言じゃないんですから」
女王陛下って……。いったい、あたしは何処の王国に迷い込んだんだ? いや、自分でこの学校選んだんだから入国か。
なんて、つまらないことを考える。
「ここであの方に逆らう人なんて、アゲハさん以外にはいませんし」
「アゲハさん?」
「ええ。食堂に来てないみたいですけど、ソノ先輩と同じで四年――高等部一年になる方です。ファンからは“悼みの歌姫”とも呼ばれています」
「ファン? 歌姫? なにそれ?」
なんだなんだ。ここではすごい人には二つ名がつく風習でもあるのか。
「えっと。吹奏楽部と軽音部、バンド同好会に所属していて、すごい有名人ですよ」
「ふ〜ん」
もはやあたしの反応は投げやりだ。部活を三つも掛け持ちしてるのもそうだが、なんか色々驚くのがめんどくさくなってきた。いちいち驚いてたら、身が持たない。きりがない。
同じ学年だという話だけど、まともな人だと良いな――。
そこまで思ってから今さら気付いた。
「その人って、寄宿舎生なの?」
「はい。そうですよ。何号室かは知りませんけど……」
そっか。まだ友達が目の前の二人しか――アキラさんは保留――いないから、丁度良いし仲良くなれないかな。
やっぱり、同じ学年で友達が一人もいない状況は心もとない。
そんなことを考えながら夕食は済ませ、あたしたちは部屋に戻った。
そう言えば全然カナエちゃんが会話に参加しないなと思ったら、ホワイトボードを部屋に置き忘れていた。寝ぼけてたしね。
てか、あたしやモミジちゃんも気付いてあげろよ。
――とは思わない。だって、カナエちゃん。全然起きないんだもん。白雪姫でも王子様のキスですぐに目覚めるのに、カナエちゃんは鼻をつまんでも起きなかった。
人を起こすのに三十分も費やしたのは初めてだよ。まったく。