◆Interlude◆
◆Interlude◆
西洋風の邸を模した一軒の館『ヒメル』。
ドイツ語で天国という名を冠したココこそが、この学園の生徒会室である。数ある委員会や各種会議などもここで行われるのが常だ。
四年程前からここを私物化している輩も居るが、それに関して何かを言うものはいない。
生徒会役員とは言え一介の生徒であることに変わりは無く、どれほど未処理の仕事が溜まっているとは言え、勉学をおろそかにしてそちらばかりにかかりきりではいけない。いや、生徒会役員と言う生徒たちの代表であるのだからこそ、模範として振舞う義務がある。
だが、それは常であればの話である。やむを得ぬ事情があるのであれば、時と場合にもよるがそちらを重視することも重要だ。
この日、校舎棟では授業が常の通りつつがなく行われているかたわらで、生徒会室には二人の生徒の姿があった。
「――考え直す気は、やっぱりないないんだな?」
「ええ。これはもう決めたことだもの」
そうか、と生徒会長――澪音はため息混じりに答えた。
「それは、やはり……」
「ええ。これ以上の悪化を防ぐ為……そして、」
「あの時と同じような悲劇を二度と犯さぬ為、か」
その言葉をスイッチとするように、室内の空気が重さを増す。
来客室にでもありそうな長机を挟んでソファに座る二人は、黙り込む。
片や疲労の伺える覇気の無い表情で天井を眺め、片や爪が食い込むほど膝の上に置いた手を堅く握り締め、顔を落として。
出されている紅茶は数十分前までは湯気を立ち上らせていたが、今はもう冷め切ってしまっている。手がつけられた様子は無い。
「……私は、アレはアンタの所為じゃないと思うのだがな」
ぽつり、と天井を眺めたままに呟く。
ぴくり、とその言葉に俯いていた方が僅かに反応する。
「いい加減、引きずるのは止めたらどうだ?」
しばらくの沈黙。
言った方も返事など期待していないのだろう。ただ、天井の木目を数えるようにしている。
「……引きずってなんか、いないわ」
蚊の泣くような、そんな表現がぴたりとはまるような弱々しい声で答えがあった。
いまだ、顔は下を向いている。
「そうか?」
「ええ。ただ、忘れないようにしてるだけよ……」
それを引きずっていると言うのではないか、と思いはしたが、澪音はそれを口にはせず「あっそ」と冷たく返した。
こればっかりは本人の心の問題だ。他人が幾ら口出ししようが、本人が気づかないことにはどうしようもない。鎖は誰かが解いてやるものでなく自らで断ち切るものだ、というのが彼女の理念だ。
本人にその意思が無い以上、他人は手助けすら出来やしない。差し伸べた腕を振り払われては助けることなどできないのだ。
「とりあえず、『この学園の生徒会長』としてコレは一応受理したけど、直ぐに判断が出るとは思わないで欲しい」
返答は無い。
続ける。
「幾ら生徒の自治に重きを置くとは言え、私も一介の生徒に過ぎない。こういう重要なことは理事や学長の判断を仰ぐしかない」
そこで言葉を切り、天井に向けていた顔を前に戻す。
銀縁の眼鏡越しの眼光は常のそれ以上に鋭い。
「特に、アンタの場合は尚更だ。アンタはアンタが思う以上に重要な位置にある」
ま、わかってるとは思うけど、と背もたれに身体を投げてだらけたように言うが、その瞳は目の前の人物から離れない。鋭く、射抜くように見据える。
「わかったわ……」
数秒か、数分か。
暫くの沈黙の後、ようやくそれだけを言うと下げていた顔を上げる。
その瞳はいつも通りの美しさを誇りながらも、常のような溢れ出す英気がまるで感じられない。まるで、何かを諦めきったかのような悲痛な濁りを覗かせている。
その瞳を見て、澪音は顔をしかめる。
「判断が降りたら、直ぐに教えてちょうだい」
ソファから立とうする。
それを遮るように澪音は挑むように口を開く。
「わかってるのか? これが知れれば、彼女はより酷い目に会うことになるぞ。いや、知れればも何も無い。現に今、彼女は僅かとは言え嫌がらせを受けているじゃないか。この状態でアンタがいなくなってみろ、どうなるかがわからないアンタじゃないだろう!?」
言いながら、知らず荒げてしまった自らに苛立ったのか、彼女にしては珍しく煩わしそうに舌打ちをする。
「はしたないわよ」
「茶化すな! わかってるのか? アンタはただ逃げようとしているだけだぞ!」
「ええ、わかっているわ」
「なら――――」
「けどね。だからこそ出切る事もあるのよ」
「なに?」
そこで彼女はようやく沈痛な表情から一転、違う表情を作った。
笑ったのだ。小さく、そして苦く力なく。
一瞬不可解そうに顔をしかめるも、澪音はそれの意味することを察し、かつそれに関する事柄を一つ思い出した。
はっとしたような顔をする澪音に、彼女は、クスリ、と先ほどとは違う童女のような笑みを見せた。
「わたしはわたしで準備があるから、これでもう御暇するわ」
今度こそ立ち上がり部屋を後にしようとする彼女に、澪音はあからさまな聞こえよがしのため息を吐く。
「もしかして、とは思うが……正気か?」
「あら、もう気づいたの? さすが頭の回転が速いわね。面白み欠けること」
「時期が時期だし、現状が現状だからな」
「ええ、正気よ。少なくとも、この方法なら全てがきれいに片付くわ。最後に、わたしが居なくなることでね」
ごきげんよう、と優雅な挨拶を残し、彼女は部屋を出て行った。
一人残った澪音は深々とため息を吐くと、全身を投げ出しソファに体を埋めて、忌々しげにテーブルの中央に置かれた一通の封筒を睨む。
ヒメルの頂にて子羊を見守る任にある澪音はぼんやりと、しかし決然とした意志を持ち、彼女の行いを上手く阻止し、かつ現状の『彼女』の立場を改善する為の神算を廻らす。
授業終了を告げる鐘の音が鳴り響く。
澪音の耳にそれは届かない。