リアクションに困る
男性恐怖症。孤独恐怖症。高所恐怖症。暗所恐怖症。閉所恐怖症。先端恐怖症。血液恐怖症。……恐怖症って、結構な数存在するんだね。
いきなり何を列挙してるんだ? とか思うだろう。あたしも最初これを聞かされたときは? マークを乱舞させた。
や。別に恐怖症というものを知らないわけじゃない。
特定の一つの物から他人には不可解な理由で、精神的、生理的に異常な反応を起こす精神疾患の一つ。英名フォビア。小さい時はフォアグラとキャビアの融合体と信じて疑わなかった。懐かしく甘苦い思ひ――ちょっと待て。この原因も兄貴じゃなかたっけ……。
や、まぁ、とりあえず、あたしだって恐怖症がどんなものかはきちんと理解している。ちなみにあたし的症名、精神脆弱病。あるいは、獲物の素質。
「……えーと。カナエちゃんはそれを全部持ってると」
あたしは現実逃避なんだか認識なんだかよくわからない思考を終えると、頭を押さえてそう確認を取った。
「はい」
モミジちゃんがマジメにそう頷いた。カナエちゃんはその後ろで俯いた。……いや。カナちゃんは最初からほとんど俯いてたな。
さっきの七個の恐怖症は全部カナちゃんの持ち物。つまりはそう言うことらしい。初めて見たよ、こんなセブンス・グランギニョル・ホルダー。
「それにですね」
「まだあるの!?」
おいおい。幾らなんでも多すぎやしないか。そんなに幾つも持っていても何もいいことないって。豪華な粗品と交換なんてイベントは何処にも無いよ!? てか普通の生活すらままならないんじゃないのかな。そんなことを思ったが、モミジちゃんの口から出た言葉は、そんな軽い考えを吹き飛ばすほどショッキングなものだった。
「カナは、喋れないんです」
「……え?」
喋れない?
「はい。病気とかではなく精神的な問題で」
生ぬるい環境で育ったあたしには、そのことはすごい衝撃だった。人は喋る。これは、あたしの中では絶対だった。確かに、声が出ない人がいるのは知っている。言語障害とかそういうの。けど、そんなのは稀で、液晶の向こう側のことだった。けれど、そうじゃなかった。ほんの少し、環境が変わって、関る人も変われば、こんな身近に居た。……しかも、なんか色々オマケ付きで。
あたしは今どんな表情をしているのだろうか。
モミジちゃんは目を伏せている。
カナエちゃんは傍らに置いていたホワイトボードに何事か書いている。聞いたことがある。喋れない人は筆談とか言うのをするらしい。
きゅっきゅっ、というホワイトボードをペンが走る音が止まった。カナエちゃんはそれをあたしにも見えるように、掲げる。カナエちゃんの書いた文字は見た目の可愛さとは違い、やたら達筆だった。
いや、それより――
『そんな顔するな。こっちまで気が滅入る』
――――……。
台無しだった。感傷的な空気や、なんか色々なものが。とにかく台無しだった。
あたしはものすごい勢いで瞬きし、目をこすり、目を瞑ってぱっと見る。等々の行為を繰り返して何度も確認した。けれど、目の前の達筆な文字の男らしい台詞は変わらない。
ギャップとかの問題じゃねぇな、これ。
モミジちゃんもそれを見て、若干ばつの悪いような表情をする。
室内をものすごく微妙な沈黙が支配する。
きゅっきゅっ、という音が再びする。カナエちゃんがまた何かを書いていた。
『黙るなよ』
「いやいや、自分が原因だって認識しようよ!」
あたしは堪らず立ち上がってそう叫んでいた。これは責められることじゃないだろう。
目の前の恐怖症ホルディング音声不能少女の容姿を詳しく述べてみようか。あたしなりに。
亜麻色の長く、ゆるいウェーブのかかった柔らかそうな髪。大きな鳶色の瞳。高い鼻梁。外国の血が混じっていると思われる整った顔立ち。染み一つ無い真白い肌。まるで、ビクスドールのような。そんな美少女。
そんな子が。そんな子が、あんな「何処の書道家でせうか?」と思わず礼儀正しく訊ねちゃいそうな達筆すぎる文字を書き、挙句男らしい話し方(?)をするなんてっ……!! あたしの気持ちがわからない奴はもはや人じゃない。鬼畜で畜生だ!
『人の所為にするのは、よくないの……』
「今さらそんな可愛げなこと言って誤魔化せると思うな!」
一転して丸っこい女の子らしい可愛い文字と可愛らしい口調(?)でそう言うカナエちゃんに、あたしはそう突っ込みを入れる。
カナエちゃんはビクッ、とした後に再びモミジちゃんの後ろに隠れた。服の裾を掴んで涙目でこちらを窺っている。チクショウ、なんか可愛いぞ。
「あ、く、うぅ……」
思わずあたしはうろたえてしまった。これはしかたないことだと思う。
「す、すいません。カナは強がるくせに小動物並みに臆病で……」
モミジちゃんが苦笑しながらそう言った。思ったのだが、モミジちゃんは元気そうな印象を与えるくせに、やたらと礼儀正しく苦笑が似合うな。というより、慣れすぎてる。悟りを開いたような、達観したようなそんな感じ。中二なのに。
「ほら。カナ、いつまでも隠れてないで」
そう言って頭をなでるモミジちゃんに、カナエちゃんは口をパクパクさせる。おお! 読唇術か!? はじめて見た。すごいなぁ。こういうスキルには正直に尊敬の念を覚える。
「……大丈夫。ソノ先輩は食べないから」
「ちょっとまてい」
あたしは肉食獣か! 失礼な。それともあれか。どこぞのオオカミさんと同じ意味合いか!? だとしたら膝を詰めて話し合う必要があるな。
モミジちゃんとカナエちゃんはあたしのツッコミを軽く無視した。なんか手馴れてる感じがするのは気のせいか? 邪推せずにはいられないのだが……。
モミジちゃんの言葉に安心したらしく、カナエちゃんはペンを手にホワイトボードにまたまた何かを書きだした。今度は何を言う気だ。もう何書かれても驚かないよ。あたしは慣れが早いのが数多い自慢の一つなのだ。
『仲良くしてやろう』
…………ほほう。してくださいでも、してねでも、しようねでもなく、してやろうときたか。モミジちゃんを見ると流石に表情が引きつってる。カナエちゃんは不安そうにこちらを窺っている。その様子は、この言葉を書いた奴と同一人物とは思えない。
あたしはふっ、とやさしく微笑んでカナエちゃんに近づく。カナエちゃんはモミジちゃんの後ろには隠れてこそいないが、左手がぎゅっと服を掴んでいる。あたしの出方とかよりも、誰かと一緒にいて触れ合っておかないと不安なのだろう。
あたしはそんなカナエちゃんを安心させるようにそっと、カナエちゃんの頬に手をやる。
「よろしくね、カナエちゃん」
それを見て、モミジちゃんはほっとしたように微笑み、カナエちゃんはへにゃ、っと笑った。
「――けどね? してやろうとは何事か!?」
あたしは優しい笑みのまま、カナエちゃんの白くてやわらかなすべすべの頬を引っ張った。うわ。おもしろかわいい。ちょっとラブリー。
……ちょっと気持ちよかったのは内緒だ。