ミッション・2
いいか。作戦はこうだ。
まず、我々(あたし一人だけど!)が居るのは目標の後方、僅かに距離をとった位置だ。ここからだと我々は目標の視認ができるが、目標からは我々を視認できない。
だが! だからと言って油断はするな。銭湯もとい戦闘ではたった一でも油断したらそれは即失敗に繋がる。常に気を引き締めておけ。しかし、緊張はしすぎるな。それもまた失敗の元だ。今回の任務は失敗したら次は無く、最悪状況は今よりも悪くなる可能性が、濃厚だ!
失敗は許されない。適度な緊張を持って気を緩めず、万全を期していけ。
――Go Charge!
あたしは一人作戦会議をどこぞのミリタリー映画を見すぎたイタい子供みたいに開始すると、知識の薄さからまさしくみようみまねで進行し即座に終わらせた。
最期の掛け声は、まぁカッコイイかなと。
ともあれ、ミッションスタート。
先ほどもあたしの脳内大佐が言ったように、後方に回っているからと油断してはいけない。これだけ広いお風呂なうえに、カナエちゃんは今一人だ。これはカナエちゃんがふにゃけているからこそバレていないだけであって、本来なら容易に気付かれてしまう状況なのだ。
静かな大浴場。ほんの少しの物音でさえ良く響いてしまう。
抜き足差し足忍び足、という泥棒だか忍者だかの文句を持ってしてもこのお湯が張られたお風呂の中では音が出てしまう。今回のポイントは、いかにしてこの音を消せるか、だ。
考えろ。考えるんだ椎本苑!
とか臨場感たっぷりに自らの思考を鼓舞してみるが、実際気をつけていればそこまで音は出ない。それにあたしは潜水に近い状態だ。気付かれるはずが無い!
あたしは自身たっぷりにそう確信する。勿論、慢心などしない。些細なことで状況が覆ったりなどと言うことは珍しいことじゃない。奴ら「そんなはずでは」は、こちらが気を抜くと即座に牙を向いて襲ってくるのだ。
潜水し、ゆっくりゆっくりと相手に近づくあたしは、獲物に忍び寄る人食いサメ。そう、ジョーズなのよ!
再び脳内で例の曲が流れる。
さぁ、カナエちゃんの白くて薄い背中が見えてきた。あとはもう一気に、がばーっ、と襲い掛かる――じゃなくて、えっと、抱きつく? だけよ!
あたしは舌なめずりをしつつ、一気に浮上。ザバーッと盛大に水音がたつがもはや関係無い。今さら気付いたところでもう襲い。逃げたところで意味は無く、あわや美味しいカナエちゃんはジョーズ・ソノちゃんにその柔肌を晒すだけ晒して食べられれちゃうのさ。
カナエちゃんがビクリと肩を震わせてこちらを向く。いきなり背後から現れた異常事態に、こちらが嬉しくなるくらいビックリして、目を一杯に見開いている。
「ふははー。逃げようたってそうは問屋が卸さない。てか遅いー」
逃げようと立ち上がったカナエちゃんに背後から思いっきり抱きつき動きを封じる。抵抗するかと思われたカナエちゃんはそこまで抵抗せず、ちょっとだけ拍子抜け。あたしは抱きついたままお風呂に再び浸かりなおす。その際、桶に入れていたカナエちゃんの髪が桶から出てしまい、ホラー映画かクラゲのようにお風呂に髪が浮く。背後から抱きしめているあたしに亜麻色の髪が何本かくっついて、すこしくすぐったい。
「うわ。カナエちゃんお肌すべすべ。いいなぁ」
あたしはちょっぴり、けれど決定的な敗北感に落ち込みそうになる。
髪から覗くカナエちゃんの耳は、お風呂のせいか少し赤くなっている。肌が白いからそれが余計にわかる。
もしかしたら、恥ずかしがってる?
あたしはカナエちゃんに抱きついているが、カナエちゃんからすると抱きつかれているというより、抱き抱えられていると言う感じかも知れない。
あたしはカナエちゃんをちょうど抱っこでもするようにしている。膝を立てているあたしの脚の間に、カナエちゃんの身体が収まっているのだ。そして、あたしの腕がカナエちゃんの首にかるくまわっている。
うう。なんか……こうして冷静に見てみるとあたし、かなり恥かしいことしてない?
真っ赤になってるカナエちゃんを見て、あたしまで恥かしくなってきた。
態勢が態勢だけに、お互いの身体が密着してるし。あたしのささやかな胸は、巻かれているタオル越しにカナエちゃんの背中に押し付けるようになっている。
……まぁ、ちっちゃいから苦しいなんてことは全くないんだけど。
自虐したからだろうか、恥かしさが薄くなった。代りに、空しくなってきたけど……。
「ねぇ、カナエちゃん」
あたしは自分を落ち着かせると、ゆっくりとカナエちゃんに話し掛ける。
「こうしてると、落ち着かない?」
ぴくり、とカナエちゃんの身体がかすかに震えた。
多分だけど、カナエちゃんはあたしのことをもう怒ってはいない。それでも、こうして怒っているかのように振舞っていないとダメなのだろうと思う。
カナエちゃんは素直じゃない。
どうしてなのかは知らないけど、カナエちゃんは喋れない。それは言語障害とかじゃなくて精神的な問題だという。
いつからなのかは知らないけど、きっと、どういう理由であれ喋れないということはかなり辛いことだろうと思う。
相手に意思が伝わらない。
奇異の視線。
周りと同じに扱われないという寂しさ。
それはどれだけ惨めな思いにさせることだろう。
きっとそれは虚勢を張らないといけないくらい……。
確かにあたしのしたことはカチン、とくるものだったろう。多分あたしがされてもちょっと怒る。けどそれは、“ちょっと”のことなのだ。ちゃんと謝れば許してもらえる程度の。
カナエちゃんはきっと、何でもいいから感情を一つのことに縛っていないと、寂しさに押し潰されてしまいそうなんだと思う。
あたしがここに来てから一週間くらい。たったそれだけの時間でも十分にわかることがある。たとえば、カナエちゃんにとってモミジちゃんは居なきゃいけない大事な存在なんだとか。
カナエちゃんとモミジちゃんはいつも一緒だ。まるで中のよい双子の姉妹みたいに。あるいは新婚の夫婦みたいに。
きっと、カナエちゃんのことをきちんと理解してあげれるのはモミジちゃんだけなのだろう。確かなことはあたしにだってわからない。けど、カナエちゃんはそう考えていて、他の誰よりもモミジちゃんを信頼していることは確かだ。
そのモミジちゃんが何故だか今は傍にいない。それもこの時間になっても。
それはカナエちゃんにこの上ない不安と寂しさを与えてしまう。
けど、カナエちゃんはその代りに誰かにすがるということをしない。不安だろうが寂しかろうがそれを隠してしまう。あたしがここに来た最初の日の夜のように。
あたしは、それを絶対に良しとはしない。それは何処までもあたし一人の勝手な思いだが、知ったことか思う。あたしは、知っていることを知らん振りできるような器用な人間じゃあないし、そんな人間には絶対になりたくない。
そう、だからイヤだったら抵抗してくれればいい。そこに本気で嫌がっているという感情が見えたら、あたしは多分諦めて――他の手を模索する。
「カナエちゃん。あたしはね、カナエちゃんのこと好きだよ」
カナエちゃんがビックリしたように首だけで振り返る。その瞳がなぜかひどく揺れている。