赤ずきん
迷子の迷子の子猫ちゃん〜。
心中で口ずさんでいると、空しさと寂しさと何かいろんなものが程よくブレンドされたテイスティーな気分になってきた。
惜しむらくは、犬のお回りさんがいないことか……。
どーでもええねん。
あーこまった。なんかお日様の色が変わってきている気がするのは気のせいかな?
今何時よ。
「ソ・ノ・ちゃん」
そんな声が聞こえたので、思わず振り返ろうとすると、
「うわっちゃ」
いきなり背後から抱きつかれた。ほんとにいきなりで予想なんてしていない。全くの不意打ち。それも結構勢いがいい。
結果。どうなるかはわかるだろう。
あたしはふんばることすら出来ずに、倒れた。受身すら取れなかったので顔面から。
「いったぁい」
襲撃者はあたしの上でなでるような声でそう呟いた。
痛いのはあたしだ! ああもお、鼻血は辛うじて出てないみたいだけど。すごくいたい。
痛さと怒りに震えていると、甘い香りが鼻腔をくすぐった。なんか、頭がくらくらするような……。フレグランス。
けしからんことに、あたしに突撃してきた無礼者はなかなかあたしの上からどこうとしない。どころか、
「ひゃぁ」
ふっ、と耳に息を吹きかけてきた。思わずへんな悲鳴と共に身体をくねらせてしまった。
「――このっ」
怒りで顔を赤くしながら振り返ると、
「こんにちは、ソノちゃん」
あたしの上であたしに抱きつくようにして微笑んでいたのは、アキラさんだった。なぜかすごい笑顔だ。輝いてる。上機嫌らしい。
って、んなことはどうでもいい。重くは無いけど早くどいて欲しい。
「アキラさん、早くどいてください」
あたしは刺々しくそう言う。しかたないだろう。どう考えても失礼なのはアキラさんで、あたしは完璧に被害者だ。あたしはそれでも敬語を崩さなかった自分を誉めてやりたい。えらいぞーソノちゃん。わーありがとー。棒読みな感じがするのは気のせいさ。
「わたし、重い?」
笑顔から一転。アキラさんはそれはそれは悲しそうなお顔になった。声は湿っぽいし、目には涙まで貯めて潤ませている。この役者め。あたしは反射的に重いといいそうになるのをどうにか堪える。実際重くないし。あたしより身長あるのにどうしてこんなに軽いんだ。理不尽だ。
そんなふうにどっかの誰かにキレてみる。
ああ、てか。ホントにどいてよアキラさん。あたしはこんな所で寝る趣味は無いんだから。
「重くないですよ。いいから、どいてくださいっ」
「い・や」
――聞き間違いかな? いま、いやとか聞こえた気がするデスよ?
「ソノちゃんて胸小さいのね。かわいい」
なぜか上機嫌ルンルンなアキラさんはあたしの胸に手を回し――
「って、何してんで――っん」
思わず、変な声が漏れる。
「あらかわいい声。ね、気持ちいでしょう?」
耳元でアキラさんがあまったるい声でそう言う。たしかに、気持ち良くないといえば嘘になるし、さっきの変な声のことも弁解が難しいが、
「ちょ、やめてください!」
あたしは立ち上がろうとするが、どうしてだか起き上がれない。腕力はないほうじゃないのに。
あたしはそれならと即座に行動を変更。いつまで不可能だったことに挑戦していても仕方ないし、もたもたしてるとオオカミさんに食べられてしまう。それは本気で勘弁。
アキラさんの手を胸からどけようとするが、アキラさんの右手一本にそれを阻まれてしまう。意外と、握力がある。こんなやわそうな外見の何処に? と首を傾げてる場合じゃないなこれ。これであたしは文字通りに手が出せなくなった。
「やだ、ホントにやめて、くださいっ!」
本気の懇願。くそ、なんて弱々しい。
「ねぇ、ソノちゃん? わたしが昨日言ったこと覚えてる?」
耳元で優しげにそう囁かれる。それですら気持ちいと思う、思ってしまう自分に本気で反吐が出る。クソッたれと口汚く罵りたい。誰を? 自分とこの不埒なクソ女にだ。
意図してかそうでないのか。自分でも判別不能だが、心中であたしはそう思った。
「無礼を働けばおしおき。そう言ったわよね」
黙っているあたしに構わず、アキラさんは耳元で若干強めな口調で囁くと、耳をあま噛みしてきた。それに加え、アキラさんは微妙なタッチで、マッサージをするように胸を揉んでくる。
無礼を働いたのはどっちだ!? あたしは心中でそう叫びながら、ひたすらに歯を食いしばった。
「あっ――」
いきなり、ぐいっ、と起き上がらされた。思わず食いしばっていた口から吐息のようにそんな声が漏れた。
座り込むような態勢にされた。
アキラさんは服の裾から手を内部に侵入させると、ブラの下にまで手を入れ直にあたしのささやかな胸を、ゆっくりと愛撫してきた。両手はアキラさんの右手に縛られるようにして後ろでつかまれており、動かそうにも動かせない。耳元から、ぴちゃり、ぴちゃりとしめった嫌な音がする。甘く噛まれたり、優しく舐められたり、ホントに不快。アキラさんはうなじや首筋にも、口をつけ、舌を這わせてくる。
イヤだった。不快だった。あたしはそう感じている。なのに、身体はそれを気持ちいいと感じている。
「――くっ、」
立ち上がろうにも、腰が砕くけたのか足に力が入らない。
抵抗したい。なのにできない。
大声でも出して怒鳴りでもすればやめるかもしれないが、そのときに、口からまた変な声が出そうで怖かった。一度そう思うと、声が出なかった。
腹立たしかった。こんなにも脆弱な自分が。情けない自分が。
悔しかった。何も出来ない自分が。安易な選択をした愚かな自分が。
口汚く罵ってやりたかった。喚き散らしたかった。
けれど、無理だった。恥も外聞もかなぐり捨ててそんな暴挙に出るような度胸など、自分にはなかった。
涙が出てきた。
勝手に栓の緩んだ蛇口からは水が止まらなかった。壊れてる。そう思った。
声を殺す。息を殺す。こんな自分も殺したかった。
思い出される。思い出すな。
中学校でのこと。
病院での診断結果。
蔑むような目。
同情を孕む目。
見下したような目。
出来そこないの壊れた自分。
――不良品。
それでも、そんな自分でも、そういうことをされれば気持ちいと感じてしまう自分が。いやだと思うのに。無理矢理だというのに。諦めたはずなのに。そんな自分が、
――赦せなかった。
「――っ、泣いてるの?」
俯き、涙を流すあたしに気付いたらしい。アキラさんの息を飲むような音と声が聞こえた。
ぎりっ、と口の中から音がした。
口中に鉄の味が溢れた。
気持ち悪い。
ぶちっ、という感触が口の中からした。
気道を通って鼻に錆クサい匂いがした。
気持ち悪い。
閉じた唇から、ぬめった生暖かい感触が流れるのを感じた。
気持ち悪い。
誰かの声がする。
気持ち悪い。
自分を含む全てが気持ち悪い。
眠るように、意識が遠のいていく。
あたしは、手綱を躊躇することなく手放した。