朝のひとこま
ちゅんちゅん――。
「うるさいわ……」
不機嫌絶好調な声があたしの口から漏れ出た。微妙に声にドスが利いてる感じがするのが我ながら素晴らしい。……なにがだろう。
どうやら朝であるらしい。目覚まし時計なんて安眠妨害装置はかけていないから、もっとぐっすり眠れると思ったのに。
鳥め……。
訪れた朝の喜びに囀る鳥たちに、そんな呪詛めいた思いを勝手に抱きながら起き上が――
「う?」
ろうとして、右手に圧迫感。それと温かさと柔らかさ。
見ると、あたしの右手、というか右腕はカナエちゃんに抱え込まれていた。そりゃもうしっかりと。
カナエちゃんは微笑ましくなるほどの安らかな寝顔で丸くなって寝ている。寝相まで小動物めいていることにたまらない愛らしさを感じるのは、気のせいではないはずだ。
泣いた跡はもう目立たくなっていた。まだ、ちょっと瞼がはれてるかな。けど、顔を洗えば大丈夫でしょ。
時計の針は七時を差している。早くも無いし遅くも無いと言ったところだろうか。欲を言えばもう少し寝ていたい。けど、これで二度寝――いや、三度寝をすると起きるのは絶対に午後になるな。
横を見る。何処までも平和そうな寝顔が至近距離にある。嗚呼、こんな妹欲しいかも。着せ替えとかすごいやりたい。家族が男ばっかりで、しかもあたしは末っ子だから。本気でそう思う。
カナエちゃんのやわらかすべすべほっぺを、自らの欲望に従いぷにぷにといたずらしてみる。
何度かやると口をうにゅうにゅと動かして眉をしかめた。そんな顔も可愛いぞカナエちゃん。アレだな。こういうのは不公平とかじゃなく適材適所なのだろう。……あたしとかだと――。
思わず失笑してしまう。柄じゃない。
昨日のことでわかったが、カナエちゃんは一度寝るとなかなか起きない。だから、いたずらし放題なのだ。もう、ホントかわいい。
ぷにぷに。
眉をしかめる。
こちょこちょ。
身をよじる。
――嗚呼、おもしろいな。かわいいな。もっとやりたい。いたずらって楽しい。
けど。休憩。
あたしはさっきの起き上がろうとしたときの、中途半端な姿勢のままなのだ。右手はカナエちゃんに抱かれて、左手は上体を微妙に起こしたのを支えてる。左手が、ちょいと痺れてきた。カナエちゃんはまだ起きる気配が無い。
ばふっ、とあたしは再び横になる。
どうしようかな。もう一回寝ようかな。
息がかかるほどの至近にある、カナエちゃんの安らかで犯罪的にかわいい寝顔を見ながら思う。このまま寝ると確実にお昼までは起きれないよね。けど、この寝顔を見ていると今日はこのまま寝てよう日にするのも魅力的に思える。あ、カナエちゃんが起きるまでこの寝顔を見ているのも良いかもしれない。
そういえば消灯時間は聞いたけど、起床時間は聞いてないなぁ。何時なんだろうか。後で聞いとかなきゃなぁ。
そんなことを考えているうちに、あたしは目を閉じてしまった。まぁ、いいや。素晴らしきかな寝てよう日。こんな日もいいさ。
ああ、電気まだ点けたまんまだ。
ゆさゆさと身体を揺らされる。その揺らし加減がどうにも絶妙で気持ちがいい。どんどん深い眠りに……ぐぅ。
揺れが止まった。今度は頬をぺちぺちと叩かれる。力は全くこもっていない。勢い良く触ってるみたいな感じ。
おろおろと困っている風な様子が伝わってくる。本当はもう起きているのだけれど、このままもう少し寝ているふりをしていよう。いろいろと楽しそうだ。
再びゆさゆさと揺らしてくる。ふっふっふ。カナエちゃん、きみは全くわかっていないね。そうして揺らすのは逆効果さ。揺らし加減が絶妙すぎる。すんごくいい気持ち。
カナエちゃんは起きてからあたしが横に居ることに驚き、一通りおろおろした後にこうしてあたしを起こそうと色々とやっているが、成果は出ていない。実際あたしは起きているのだが、最終的にカナエちゃんがどういう手段に出るのか気になるので、こうして寝たふりを続けている。
あれだね。男子が好きな女子をいじめるのと同じような感覚。男子の心理がどうなっているのかなんて知らないが、きっとこんな感じだと思われ。
と、そんなことを思っているとカナエちゃんがベッドから降りた。どうする気だ? と思っていると扉の開く音がして……、閉まる音がした。おおう!? 見捨てられた? とか思って身体を起こす。からかいが過ぎたか?
とか反省しようとしたらまた扉の開く音。あたしはとりあえず急いで寝たふりを再開する。
「ホントだ。十一時なのにまだ寝てる……」
呆れと苦笑を混ぜたような声が聞こえた。モミジちゃんだ。
カナエちゃんは自分で起こすことは不可能と考え、隣室のモミジちゃんを呼びに行ったらしい。
「この時間まで寝てるソノ先輩もだけど、カナも今まで寝てたんでしょ。いつも言うけど、ダメだよ。もう少し早く起きないと」
たしなめるようにモミジちゃんはそう言う。
むむ。いつまでも寝てると――いや、寝たふりを続けていると、いざ起きた時あたしまでモミジちゃんにお説教されちゃいそうだな。この流れだと。そろそろ起きますか。
そう思い、起きようと――、
「ところで、なんでソノ先輩はカナのベッドで寝てるの?」
そんな台詞が聞こえた。気のせいだろうか。若干、モミジちゃんの声に怒り、とまではいかないまでも、不快げなものが含まれている。
あたしは思わず寝たふりを続ける。
「うん。わかってるよ、カナのことは。けど、何で言ってくれなかったの?……迷惑かもって? そんなことあるわけないよ。前にも言ったよ。わたしはカナのことが好き。迷惑なことなんてあるわけない」
おおう!? なにやら怪しげな展開になってきましたですよ? どうしよう。起きるに起きられないんですけど……。
ああ、けど好きってのは友達としてかも。そうそうそうだよ。なにも女子校だからって皆が皆オオカミさん系な訳じゃない。偏見はいけないね。しっかりと落ち着けあたし。
あたしがそんな風に軽く混乱している間にもモミジチャンの責めるような言葉は続く。
「うん。わかってる。だから、カナの答えは期待してない。けど、わたしはカナのこと好きなんだから、遠慮とかしないで欲しい。もっと、今までのように頼って欲しい」
そこで、モミジちゃんは言葉を切る。カナエちゃんの言葉を聞いているのだろう。
カナエちゃんは喋れないから、モミジちゃんの言葉から推測するしかないけど、どうやらカナエちゃんは自分のことを好いてくれているモミジちゃんに、いろいろ遠慮しているらしい。
「そうだね。部屋はお互いに別だし、ソノ先輩にはちょっと迷惑かもしれない。けどさ、ならわたしの部屋に来れば良かったんだ。わたしと同室の子は、まだ帰省中なのカナも知ってるでしょ? …………。わかった。わたしもカナを困らせたいわけじゃないから、もうやめる。だから、そんな顔しないで。――けどね。忘れないで。わたしは、カナのためならなんでもしてあげるから」
最後のほうはカナエちゃんの耳元で言ったのか、とても小さな声だったのであたしには聞こえなかった。
あたしは、どうやら誤ったらしい。
何をって? そもそも最初の選択肢かな。今さらそんなこと思っても、遅いんだけどね。
気まずい思いをしながら寝たふりを続け、そう思う。