あたしは、馬鹿だ
「ぅう……?」
寝返りを打ったあたしは、閉じた瞼の上からでもそうとわかる強烈な光に目が覚めた。いや、実際はそこまで強くない。寝ぼけ眼なうえに突然で、しかも少し近いから、そう感じただけだ。
なんで電気点いてんの? 鬱陶しいな。睡眠を妨げやがって。とか、寝たりない頭でぼんやりとそんなことを思う。
起き上がり、壁にかかった時計を見る。むぅ。よく見えない……。目をこすり再確認。短針と長身が上を向いて重なっている。丁度、日にちが変わったところだった。寝たりないはずだ。ふぁ……ねむ。
それにしても、なんて懐かしい記憶だろう。
眠いはずなのに、あたしはさっきまで見ていた夢のことを思う。
あたしは見た夢は大抵覚えている。そりゃ忘れることもたまにはあるが、稀だ。まぁ、確かに。わざわざ意図して思い出そうとしたりするわけではないから、日々の生活に随時埋もれていくわけなのだが。
なつかしい、夢だ。あたしが幼稚園の……さすがに、そこまでは覚えてないや。
それよりも、だ。兄貴め。小学生くらいまでって、結局あたしはあの後から一度もあのからくり人形、三郎丸君を見てないぞ! どういうことだ。
――なんて、ね。わかってるさ。三郎丸君はもうガタがきていて、あのまま幼いあたしの相手を続けていたら壊れてしまっていたのだろう。しかたないさ。あの頃まで動いたのが不思議なくらいの骨董品だったのだから。状態も、良いとは言えなかったしね。
あたしは三郎丸君のことを忘れていた。最高の友達だと思っていたあの人形のことを。今の今まで。
なんであんな骨董品を気にいったのかはわからない。もっと、女の子らしい人形もあった。けれど、あの頃のあたしはそんなのよりも、三郎丸君が気に入っていた。
動かなくなった時に泣いてしまったほどに。
まぁ、それでも。今まで忘れていて、顔すら思い出せないのは薄情だろうな。幼かったとは言え、友達に対する行いではない。
まだ、家にあるのだろうか?
帰ったら、確認してみよう。兄貴か親父がしってるだろう。
帰れるとしたら夏休み、か。長いぞう。まだまだ先だ。学校始まってすらないし。なのに今から帰ったときの予定を決めるとは。我ながら、すごいフライングだ。
うつろな頭でそんなバカなことを考えながら、再び眠りにつこうと電気を消す。
――と……。
ガタン! と、下から大きな音が聞こえた。
あ、やばっ。
あたしは何で電気をつけっぱなしにしていたのか思い出し、そう思いながら即座に電気をつけ直して、落ちそうになりながら下を覗いた。
「ごめん! カナ――」
先に繋げなかった。あたしはそこで息を飲んだ。
膝を抱えてガタガタと震える少女。嗚咽は聞こえない。それでも、泣いているのだとわかる。
あたしは慌ててベッドから飛び降りると、膝を抱えて泣いているカナエちゃんに手を伸ばし、肩に触れた。びくっ、と大きく震える。触れた指先から、カナエちゃんの体温が伝わってくる。どれくらいの時間をそうしていたのか、冷え切っている。
ゆっくりと、おそるおそる顔を上げたカナエちゃんの顔は涙で濡れており、大きな瞳は真っ赤に充血していた。まぶたも腫れぼったくなっている。
「ずっと、泣いてた、の?」
顔を俯けた。それは肯定だとわかった。
なんで、とは訊かない。
ただ、自分の迂闊さと思慮の浅さに腹が立った。何で忘れてた。寝ぼけて頭がはっきりしてなかったなんて、そんな言い訳通用しないぞ。何で電気が点いていたかよく考えてから行動しろ。いや、違う。それもだが、それ以上に。
何でちゃんと訊かなかった。
心中で自分を罵倒する。責めたてる。
カナエちゃんは、何を、幾つ、持っていた。
恐怖症ってのはどんなのか、あたしは知っていただろ。他者にはそれを理解できないんだ。あたしは暗いのも、先のとがった物も、男も、嫌いであっても怖くは無い。大抵そうだ。その人しかそれを理解できない。その恐怖を。
それは、どれだけ不安だろう。どれだけ寂しいだろう。どれだけみじめだろう。
カナエちゃんはあたしになんて言った。『笑わない?』って、不安そうに訊いてたじゃないか。自分は真剣に悩んでることなのに、それを理解されない。どころか笑われてしまうかもしれない。それは、かなりの不安と恐怖だ。あたしにだって似たようなものがあるんだから、わかってるはずじゃないか。
あたしとカナエちゃんはまだ知り合ったばかりだ。一日と経過していない。あたしは今日いきなり現れた同居人に過ぎない。全くの他人じゃないか。そんな奴に、そんな不安を抱えたまま全てを話せるわけが無かったんだ。だから、あたしが訊いても首を振った。
ちゃんと、覚えておいてあげればよかった。気を配っておくべきだった。
思えば、筆談での口調も、そんな不安や恐怖を隠して馬鹿にされないようにという、カナエちゃんなりの防衛手段なのだろう。
――いまさら、こんな風にいつまでも自分を罵倒していても意味が無い。
「カナエちゃん。もう、泣き止んで。大丈夫だから」
あたしはベッドに入り、いまだ泣き止まないカナエちゃんをそっと抱きしめる。
「ごめんね。ちゃんと気付いてあげればよかった」
カナエちゃんの身体が震えている。ずっと不安で、寂しくてそれでも言い出せなくて、一人でこうしていたのだろう。
身体が、とても冷たい。
「大丈夫だよ。もう、泣かないで。一人ぼっちじゃ、ないから」
ぴくり、とほんの僅かにカナエちゃんが反応した。
おそるおそると上げられた顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。真っ赤になった瞳が不安げに揺れ、問うてくる。
ほんとう? と。
「うん。一人ぼっちじゃないよ。あたしが居るから。一緒に居てあげるから」
そっと頭を撫でてあげると、カナエちゃんはあたしの身体に手を回し、胸に顔を埋めた。
シャツが涙を吸って少しづつ濡れていく。
「落ち着いた?」
カナエちゃんのやわらかな亜麻色の髪を梳くように撫でながら訊くと、あたしの胸に顔を埋めたまま僅かに頷いた。盛大に泣いたから顔を上げるのが恥ずかしいのだろう。本当はすごく臆病なのに強がって見せるほどの性格なのだから尚更。
そんなカナエちゃんがすこし愛らしい。
しばらく、幼子をあやすように背中をぽん、ぽん、とやさしく叩いてあげる。こうされると、意外と落ち着くものなのだ。誰でも。
頷いたけど、カナエちゃんはあたしの胸に顔を埋めてまま、若干しゃくりあげるようにしている。
あたしは、毛布を寄せるとそっとカナエちゃんの肩にかけてやる。今は四月ちょい前。日中ならまだしも夜は冷える。あたしはシャツに短パンで、カナエちゃんはピンクの薄手のパジャマだ。さすがに寒い。
そう言えば、あたしもあのことで泣きまくってた時、兄貴に今と同じようなことしてもらってたな。
そんなことを、あんな夢を見たせいか思い出す。……不覚だ。なんか、いろいろ。
ふと気付けば、カナエちゃんの震えは止まっていた。胸元からは、規則的な息使いが聞こえる。
――泣き疲れて、寝ちゃったか。
あたしは、そっとカナエちゃんを布団に横にすると、その手を握って自分も横になる。
一人用のベッドは二人で寝るには狭いけど、苦ではない。
夜中に起きてしまってもいいように、電気はつけたまま。一人じゃないという言葉の通り、あたしは傍にいる。
頬についたままの涙をそっと拭ってやり、あたしも目を瞑る。
明日は時間どおりに起きれるだろうか? ……多少の寝坊は、いいよね。
「おやすみ――」






