第97節 未来へのセパレーション
「……どうしたんです? ドッパラピッパラ導師」
講義を終えて休憩に戻ってきたオラデッティオ導師は年上のてっぺんハゲに声をかけた。
なんとなく、いつもと違う気がしたからだ。上手く言い表すことが出来ないが、どうにも笑っているようにも見える。
「どうしたと? いえ、いつもと変わりありませんよ」
そういう風に真顔で言われると、自分の勘違いなのかもしれないと思ってしまう。
もともと、明確な根拠などなく、どことなく違う気がして声をかけただけなのだから。
「いえ、私の思い過ごしでしょう」
と言って、オラデッティオ導師は自分の机に向かう。いや、その前に、コーヒーでも飲みに出ようか。
「そうそう……これ、先程、サーバイン君が持ってきました」
「はぁ」
ドッパラピッパラ導師から渡された一通の書状。
裏には『じおらいと・さーばいん』と、自己主張の激しい字がでかでかと書かれている。
なんの気なしに表を向けるとこれまたでかでかと、『休学届』。
「あの子、こんなもの持ってきたんですか」
「ええ、しかし先生、注目すべきはそこではない。それは休学届です。退学届ではありません」
そう言うドッパラピッパラ導師がわずかに微笑を浮かべたような気がした。でも、オラデッティオ導師には本当にそうかわからない。なにせ、この老導師が笑ったことなどこの学士院に赴任してきてから一度だって見たことがないのだから。
(そういえば)
この導師は随分昔から教鞭をとってきたと聞いている。彼の教え子には意外な人物もいるのかも知れない。
まぁ、そんなことは置いておいて。歳若いオラデッティオ導師は、
(手のかかる子供ほど愛しいってことなのかな?)
そう思って、何事もなかったようにてきぱきと仕事を始める老導師の机を離れた。
門の外には異質の風が吹いていた。
心境のなせる業か、なんでもない牧歌的な風景がまるで別世界のように感じられる。そこかしろに、妙な生き物でも潜んでいそうだ。
見慣れているわけではないとはいえ、見たこともない景色であるわけではないのだが。
そういえば、門の外に出るのも久しぶりだ。昔は興味本位でこっそり街壁を越えたものだが、いつのまにかそんなことをすることもなくなっていた。
初めての一人旅。
なにが起こるかわからない未知への冒険。
しかし、ジオに恐れはない。全然ない。自分が選んだ道に向かって、全速力で進んでいくだけだ。
街壁がどんどん小さくなる。ジオは故郷に別れを告げた。
「よお」
道の真ん中に堂々と座り込み、ジオを見かけると気安く声をかけてきた者がいた。焼けた褐色の肌。ボロボロの胴着。ランケンだ。
ジオはアウトオブ眼中を決め込んで通り過ぎた。
「おいおい、こちとらずっと待ってたってのに、そりゃないだろ」
「そんなことてめえの勝手だ。なんで先回りできてんだよ」
「それは、おまえ。占い師が教えてくれたのよ」
「なんだそれは!」
早足から駆け足に。そしてしまいにゃ全力疾走。舌でも噛みそうな速度で二人は並んで会話する。
「ついてくんなよ! まだ諦めてないのか?」
「ま、諦めたと言ったら嘘になるけどな」
「早々に諦めろって! オレはてめえになんか用はないんだ!」
「……でも、お前さ。道わかんないだろう?」
「……」
「……」
「……良し! オレについて来い!」
かくして、二人は超特急で走り出した。
目的は、彼女に会うため、である。
まだ、紋章術師になる夢を諦めたわけではない。
でも、けじめをつけるまでは。このままではいけないのだ。
会ってどうするのかは考えていないが、無鉄砲に進んでいく、こんな生き方が自分には似合っているような気がした。
昨日の深夜から走り続けて、真っ白になった頭でそう決断を下した。
変えることは、ない。
「……ところで、この先はどっちに曲がれば良いんだ?」
「そんなこと俺に聞くなよ」
「お前も道知らんのかぁ!? なにしについてきたんだよ!」
前途多難な若者の物語はこれからも続いていく。