第93節 浴衣姿の君
金色の月が、天空に開いた扉のように輝く夜。
エルファームの夜は、不思議な熱気に包まれていた。町の大通りには、様々な色の布を屋根にした屋台が並び。端から端までずっと続いている。
実は今日は、マザーブルーの夏の恵みに感謝する祝日、秋酔いと呼ばれるお祭りなのだ。もともとはマザーブルーを中心とした地母神の祭典だったのだが、王国が誕生し、後にディオネ教が信仰されるようになると、だんだんと同化、融和していって、現在は季節祭の一つとして扱われている。まあ、ようは祭りだ。祭りなのだ。
「ルルちゃ〜ん。本当に、ママを置いて行っちゃうの〜!?」
ママさんが泣いている。いつにもまして装飾過多な、ビビットカラーのどピンクのドレスを着て泣き崩れている。アリアンロッド家の床は、既に涙の泉ができており、このまま放っておいてはその内魚が湧いてくるのではあるまいか。
「……お祭りにね」
泣き崩れるママさんの横で、腕を組んだマリアが心底呆れてつぶやいた。そのマリアも、いつもの正装である赤の鎧に身を包み、出支度を整えていた。なんだか残念そうに下がった肩が、少しもの悲しい渋さで語りかけている。
「あ、あはは、母さん。そんなに泣かないで、ルルも一緒に行きたいけど、どうしても外せない用事が入っちゃっているから……それに、姉さんも、ごめんね、ルルのせいで……」
ようするに、ママさんはルルと一緒に祭りに行きかったわけで……それでも最初は「それならマリアちゃんと行くもん」などと年甲斐もなくすねていたのだが、頼りの綱のマリアも、前回の事件のせいで強化された治安維持に駆り出されることとなってしまい、今年の祭りは、三者三様、アリアンロッド家始まって以来初の単独行動で迎えることになったのである。
「いーのいーの、あたしはもともと仕事の虫だし、それで年に数回の出会いのチャンスを逃したところで、全然気にしないわ」
なんだか遠い目をしてマリアが言う。
「外せない逢瀬でも〜、ママ一緒に行きた〜い! ねぇ! ルルちゃん! そうしましょ! ママがしっかり見届けてあげるから〜! 不純異性交友にお目付け役は必要不可欠なのよぉ! ――グヘァ!」
半分ヤバイ目をしたマリアが、急にアクセル全開になったママさんの首に、見事な角度で逆水平チョップを叩き込んだ。ママさんは放送禁止っぽい悲鳴を上げて、悶絶する。
「カヒュー、カヒュー……マ、マリアちゃん。今日はマジっぽいわぁ」
常人なら間違いなく頚椎を外されていたであろう衝撃を受けてなお、ママさんは立ち上がる。今日は負けられない。負けられない理由が、ママさんに不退転の力を与えていた。
それはマリアも同じ事。今日こいつを阻止できなければ、ルルの未来は無いも同じなのだ。その為には、自分の母親であっても、生かしておいてはいけない。
「ルルちゃんが百合百合になれないなんて嫌なのよぉ!」
「あんたの時代は終わったの、黙って息絶えなさいッ!」
ママさんは、悲しげな叫びと共に、ルルをほっぽりだして、祭りの喧騒に沸き立つ町へと走り去る。それを追って、もはや一匹のハンターと化したマリアも、家を後にする。残されたルルは、そんな二人の変化を見て、今夜は自分の人生を、いや、周りの全てを変える夜なのだと、一人意識していた。
「ルルちゃん? 準備できてる?」
一人感傷に浸るルルの背後で、少しはにかみ気味の声をかけるものがいた。ルルは、静かに現実に戻ると、その相手に振り返る。その行為が、数日前の夕暮れにリンクして、なんだか不思議な感じがした。
ルルの後ろに立っていたのは、もちろんシュリーである。いつもは地味な服装の多い彼女も、祭りとなれば少し背伸びしたくなるのだろう。そんな彼女の意思を反映してか、今夜のシュリーは、いつもより大人びて見えた。
いつもはリボンで二つにくくっている髪も、手間のかかる東方系の結い方で纏め、これまた最近流行の東方系の前あわせの衣装……つまり浴衣をしっかりと着こなしている。もっとも、最近になって流行りだした衣装なので、細やかな刺繍などが施されているわけではない。それでも家々に飾られた篝火に照らし出される薄青の衣装は、見事だ。
そして、なにより彼女の顔に仮面はない。
「あ、うん。大丈夫」
対するルルもまた、いい感じで浴衣を着こなしている。こちらは薄い茶色。ルルにしては、随分と渋い選択だが、これもまた、柄のラインナップが充実してないが故の嬉しい誤算の一つだ。
「……とりあえず、行こっか」
シュリーは、なんだか熱い自分の頬を意識しながらも、ルルをうながして、町へ向かう。
ルルも、なんとなく働かない頭で、それに従った。なにかを忘れていると思いながらも……。