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LuruGeo  作者: 池田コント
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第90節 罪人はあるべき場所へ

 転瞬。室内のランプが激しく揺れた。天井に固定されている金具ごと引きちぎって、暴れだしたランプが落下する。筋肉バカも、その光景を前にして振り上げた手もそのままに固まっている。明らかに魔力作用を起こした現象だった。

炎指弾(フレイムブリット)!」

 聞き覚えのある声。ひどく懐かしく感じる声と共に、床に落ちかけたランプから小さな炎の塊が、自らを拘束するガラスを弾けさせながらほとばしった。炎の弾は飛び出した勢いそのままに、小さく火の粉をまきちらしながら、筋肉バカの尻に当たって爆ぜた。黒い煙を上げながら、ゴテゴテの装飾に包まれた不愉快極まりない官衣が綺麗に焼け落ちる。

「アウチッ! 私のヒップが火傷したではないかっ! 誰かね!? 私の高尚な趣味の時間を邪魔するのは! 肉野菜炒めに処するぞ!?」

 口の端から泡を飛ばしながら、筋肉バカが激昂しながら振り返る。行き先を変えた手が、背後の人影に伸ばす。ゴツゴツとした手につかみ上げられた影は、小さな呻きを漏らしながらも、自らの襟口を締め上げる手に、果敢につかみかかった。

「子供? ここまで入り込むとは、バテリオもメイビルもなにをしているのだ!」

 激昂する彼はなにも知らない。バテリオが交戦中だということも、メイビルがすでに倒された後だということも。

「シュ、シュリーさんを返してください! 貴方がシュリーさんを誘拐したことは、もうみんな分かってるんです! すぐに王都警察も到着しますよ、こ、これ以上。自分の罪を増やさないほうが良いことぐらい、わかるはずです!」

「あっ、う、そ……だって」

 シュリーはついさっきその声を聞き、今目の前で筋肉バカに立ち向かっている人物を見ても、なにも言えなかった。ただ、涙だけが、目の前が見えなくなるほど、溢れていた。喜びと疑問とが、頭の中を駆け巡る。

 声も出せずに、ただただ泣くシュリーに、飛び込んできた人物は、片腕を上げてニッコリと笑いかける。シャラン、と軽くて優しい音色が、腕に飾られたリングから零れ落ちた。手首に一番近い一番目立つところに、細やかな紋様の細工された見覚えのある金の腕輪が、誇らしげに光っている。

「ごめんね、シュリーさん。ルルが、さっきもっとちゃんと話してあげてれば、こんな目に遭わなくて済んだはずなんだ。絶対。ちゃんと謝るから、だから、少し待っててね」

 ルルは、首を鷲づかみにされながらも、シュリーに対して笑顔を向ける。その笑顔が、急に激痛の表情に転じるのと、筋肉バカの怒声が発せられたのは、ほぼ同時だった。

「なぁ〜に言い腐っているのかね! このガキは! 亜人ごときに敬語など使いおって、同じ人間として、むしず、虫酸が走るよぉ〜〜〜!?」

 ミシッ!

 ルルの細い首を締め上げる手にもう片方の手が添えられる。無駄であっても筋肉は筋肉。ただでさえ線の細いルルの首に太い指が食い込んでいく。徐々に圧力を増す両腕は、もはや気道だけでなく、頚椎自体をも圧迫し始めていて、ルルの顔は、赤を通り越して青ざめてさえいるほどだ。

「カハッ! グッ、アア……」

 苦しげな息を吐いていても、ルルはシュリーから目を離そうとしない。それどころか、自分の首を締め付ける筋肉バカの腕をしっかりとつかみ返すと、なんとか振りほどこうとあがく。

(シュリーさんに向かわせちゃダメだ。ルルが、ルルが時間を稼がないと……)

 意識が朦朧とし始める。息を吸っても、喉元で押し返される。なにかが逆流してくる感じもするが、同じように喉元から押し返されていった。ルルの抵抗が弱まっていく。それを見続けるシュリーは、気が狂いそうなほどもどかしい。今すぐ助けに行きたい。何度も翼をバタつかせ、その度に鎖が翼の肉に食い込む。ついには擦り切れた部分から血が流れ出す。

 それでも……無駄な抵抗をわかっていても、シュリーは動かずにはいられない。

「いいかい、きみぃ? 亜人は人じゃない。やつらは常に下卑たことを考えている愚にもつかないケダモノだ。邪竜の屍骸から生まれた下等な生命体なんだよ? 君はそんなものと交流したりするのかね。君もくそったれだなぁ? ったく、君みたいな人間がいるからこの世の中がちぃぃっとも良くならないんだよぉ。十三柱の神々より天命を授かった我々こそがこの地上を統べるに相応しい! 他はカスだ! 汚濁だ! 汚染物質だ! 我等がどうにかしなければこの世界は腐りきってしまう! クソダメになってしまうのだよ! わかっているかね! わかっているのかね!? 君ぃ!」

 筋肉が膨張し、一層の力が込められる。

「だのに! 先頭に立って虫けらどもを駆逐するべき我等が指導者はそのことをわかっていない! 小娘が! なにが平和共存だ! なにが相互理解だ! やはり汚らわしき悪魔なぞの血の入った混じりものは頭がイカレていらっしゃる! あの時、我ら宰相派が勝利さえしていれば! 今頃愚鈍で薄汚い亜人種どもらをこのエルファームから一掃していることだろうに! なぜ我らが敗れたのだ!」

 彼の言っているのは五年前に起きた革命のことだ。先王の死と同時に反旗を翻した宰相派に対し、まだ幼いともいえた王女の一派は多大な犠牲を払いながら正統を貫いた。

「……そ、んなこと。当然……で、しょう」

「な、んだとぉ〜〜!?」

 筋肉男の目玉が、危険なくらいに飛び出ている。

「理由を言ってみろ、小僧。我らが、敗れる道理がどこにあったというのだね!? やはり君もそうか! そうなのか! 君も愚鈍で、低能で、卑しい、きゃつらの味方をするというのだな!? 誇りを忘れた裏切り者め!!」

 完全に、男は狂気に達しているように思えた。もはや、なにを言っても耳を貸さないだろう。こういう輩は、自分のことしか見えてない、一生他人とわかりあうことのない人種なのだ。亜人種と言ったら、彼こそそのうちに適合しそうなものだ。

「さぁ〜、死になさい。愚かなクソ虫よ! この正統にて高貴! 名高きピッチ家の最高神君! アンドロス・ピッチが神罰を与えてくれるわ!」

 ネックハンギングツリーの状態が、もう三分にもなろうか。

 ルルの体も、限界に近づいていた。

 いや、もはや限界は迎えていたのかもしれない。ルルを現実に引き止めているのは、意思の力に他ならない。

「んん〜、力が抜けて弛緩していく肉体というのは、いつ見ても……イイッ! 最高だ!」

 ルルの手が、男の腕から離れる。まるでマネキンのように、それでも、瞳は死なない。

(まだ、負けられない。ルルは、強くなるって決めた。強くなるまでは、負けちゃダメだ。それに、ルルが負けちゃったら、シュリーさんを守れない。ルルは、ルルは……)

「ルルちゃん! 負けちゃやだよっ! 死んじゃやだよー! ルルちゃん! いやぁあああああ!!」

 シュリーの翼が震えた。鎖からは既に血が筋となってしとどに滴っているが、その痛みさえも忘れて、シュリーは叫んだ。大好きな人が死んでしまう。死んでしまったら、なにもかも終わってしまう。始まりが訪れることもない。悲しむことも、喜ぶことも出来なくなってしまう。

「んん〜、このまま絞め殺すと、なんだか私が手を下したようで不愉快なのだよねぇ。だから、投擲っ!」

 筋肉バカは、この期に及んで随分な持論を持ち出すと、ルルの体をオーバースローの体勢で抱え上げた。

「飛んで――ハゴォ!?」

 ルルが今にも投げ飛ばされようとしたその時、筋肉バカの横っ面に、強烈なドロップキックが炸裂した。

「……っの、○△×野郎!」

 出版禁止用語とともに赤い鎧が颯爽(さっそう)と宙を舞う。鎧の肩口に彫られているのは、女王近衛隊の誉れ高き紋章。スカーレッツのナンバー三であるマリア・アリアンロッドその人であった。

 マリアは、筋肉バカの横っ面をそのまま踏み台にして、その肩に担がれたルルをしっかりと抱き留めると、シュリーが縛り付けられている部屋の奥へと跳躍した。

「ルル! それにシュリーちゃん! 二人とも大丈夫!?」

 シュリーは、口で伝えるのももどかしげに、翼をバタつかせた。マリアはその意を理解すると、懐から取り出した短剣で、鎖を一刀の元に断ち切る。王国でも有数の剣士ゆえに可能な、鮮やかな斬鉄であった。

「ルルちゃん!」

 鎖の戒めから解放されたシュリーは、すぐにルルに駆け寄った。それでも、極度の緊張と恐怖に縛られた足は、自由に動いてはくれない。倒れ込むように、シュリーはルルの元へと辿り着く。

「ルルちゃん! しっかりして! ねぇ! 目を開けてよ!」

 シュリーが、真っ赤になった翼でルルの頬を叩く。それに刺激されたのか、一度大きくせきこんで、ルルが目を開いた。少し(もや)のかかったような瞳が、確かにシュリーに向けられる。

「シュリーさん……良かった。大丈夫?」

 シュリーは、なにも言わずに、目を覚ましたルルの胸に飛び込んだ。鼓動を確認するように、自分を安心させるために、その耳をルルの心臓に当てる。ルルは、反射的にその肩に手を置いた。濡れた感覚。さっき暴れてついた傷が、翼の根元辺りを深く(えぐ)っていた。

「……まったく。いつからそんな大人になったの? うちのルルは」

 傷口に負担をかけないように、シュリーの体を支えていたルルだったが、その声でようやく姉の存在に気付いたのか、ハッとして振り返る。それでも、シュリーを支える手はそのままだ。

「ね、姉さん! どうしてここに?」

 ルルの言葉はあまりにも場違いだった。マリアは王都警察とは管轄(かんかつ)が違うのに、飛んできてくれたというのに。マリアは「やっぱ成長しとらんな」と思いながらも、ルルの傍に歩み寄ると、おそらくルルが生まれて以来初めて、本気の平手打ちをお見舞いした。

 パァン!

「ふざけないで! これだけ心配かけておいて、どうしてここに? じゃないわよ! もし私たちの到着が遅れていたら、今頃死んでるのよ!? わかってるの!? ルルだけじゃない、その子もよ!?」

 ルルは、ようやく状況を飲みこめたのか、姉の顔をマジマジと見詰めた。いつも強くて凛々しい姉が、泣いていた。自分は、とんでもない無茶をしていたということに気付き、様々な思いが、胸中に溢れる。

 シュリーを救えて良かった。姉に心配をかけてしまった。少しお父さんに近づけた気がする。もしかしたら、シュリーを救うどころか、もっと悲しませてしまっていたかもしれない……。

 すぐさっきまで、ルルの手に、二人の命がかかっていたのだ。

 溢れる思いを言葉にしようとして、ルルの目から涙が零れる。

 それを見て、マリアはフッと、顔を柔らかくする。

「もうすぐ仲間が上も静かにしてくれる。もっとも、ほとんど片づいていたみたいだけど。そしたら治療もしてあげるから、少し待っててね。ちゃんと――離さないでいなさいよ」

 最後に意地悪っぽく笑って、マリアは部屋の入り口に向き直った。

 筋肉バカが、横にずれた顎を必死になって押し戻そうとしている。それを見たマリアは、苦虫を噛み潰したような表情を一瞬見せると、それをすぐに押し隠して、冷静なプロの顔を取り戻す。

「王国文筆記録員補佐、アンドロス・ピッチ! 貴様には共存種族に対する差別的発言及び、暴行。殺人。事実隠蔽。公金横領。おまけに叛乱(はんらん)の容疑がかかっている! 現行犯だ! 貴様に黙秘権は無い! 王国に身を尽くす者として、私が断罪する!」

 筋肉バカことアンドロスは、その時確かに降伏の意思を示していた。王国文筆記録員補佐とは役場の一職員のようなものであり、文官の中でも下位に属する。まぁ、それはどうでも良いが、前々から王国反逆の疑惑のあった人物だ。こうして尻尾をつかまれてしまった以上、どちらにしろ彼に未来はない。

 もちろん、犯罪に手を染めた時点で、その未来に光はなかったようなものだが……降伏の意思を示したところで、こんな猟奇犯罪者なんぞ、マリアが容赦という言葉を思い出すはずのない相手なのである。

 腰から引き抜かれた長剣は、持ち主の心気に呼応したかのように、荒々しい鍔音(つばおと)を伴ってその身を現した。マリアは、冷徹な視線を向けたまま、剣の切っ先を、アンドロスの頭頂に向け、振り下ろす。

「待って! 姉さん!」

 ルルが叫んだのは、まさに剣が振り下ろされた瞬間だった。それまでマリアの凄絶なまでの気迫に圧倒されて、口が開かなかったのである。

 振り下ろされた剣は、そのままアンドロスの頭蓋(ずがい)を叩き割るかと思われた。しかし、その直前で返された刃は、アンドロスの肩口すれすれを流れるように通り抜け、床に激突する寸前で、マリアの手元に戻された。

「……私が手を下すまでも無い、か。どうせお前は死んだ身だ。冥途(めいど)の渡り賃代わりに覚えておけ、アンドロス。同じ国に……いや、同じ世界に生きる者として、貴様は最低だ。私は、お前を同じ人間とは、認めない」

 アンドロスが、光の無い瞳でマリアを見上げる。下は、失禁していた。マリアは、あくまで冷たくその視線を受け止めていた。が、くるりと振り返ると、ルルとシュリーに向かって笑顔を見せて、小さく「帰りましょう」と言った。

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