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LuruGeo  作者: 池田コント
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第89節 亜人差別

 翼が、上がらない。力を入れても、全然上がらない。

 そんなに遠い距離を飛んだのだろうか? それとも、子供の頃聞かされたように、大事な人に悪いことをしたから、翼がちぎれて、自分の代わりに謝ろうと飛んで行ってしまったのだろうか?

「そっか……ルルちゃん、ごめんね」

 目は閉じたまま、シュリーは謝罪を口にする。羽が千切れたなら、きっと自分はもう、地面にぶつかったんだと思った。もう、とっくに死んじゃっていて、地獄の入り口辺りに捨てられている。だから、鎖が両手に絡まって、壁がこんなに冷たくて……。

 鎖? 壁?

「目が覚めたか、亜人」

 だんだんと感覚が戻ってきた。頭がはっきりしてくると、真っ先に混乱が暴れ始める。誰が声をかけてきたのか、ここはどこなのか、それ以前に。

「あ、亜人?」

 冷水が頭の奥の奥に染み透るように、シュリーの背筋を嫌な寒さが撫で上げた。

 今確かに、目の前で亜人種と言われた。誰に?

 シュリーは、静かにまぶたを上げる。ほとんど忘れられていた視覚が、お返しとばかりに目の前のランプをとらえた。目が焼けるかと思うほどの光量に一瞬頭がクラクラする。

「まぶしいか? 亜人」

(また言った! 今度ははっきり聞こえた。早く、早く見えて、あたしの目!)

 シュリーの焦りが加速する。相変わらず背筋には冷たさが居座っていたが、心の奥で煮えたぎる怒りが、その冷たさも溶かし始めていた。

 暗がりと明る過ぎる光源に、ようやく目が慣れ始める。目の前に立っていたのは、痩せこけた骸骨みたいな老人。どことなく異常な風貌。落ち窪んだ目からは、まるで希望がないくせに、ユラユラと妄信の炎が見え隠れし、剥げ落ちた髪と、艶も張りも無い皮膚からは、腐った沼のような狂気が立ち昇っていた。身に付けているのがボロボロの官衣だということまでは、シュリーには判断出来なかっただろうが、今のエルファームに生きている人間とは、まるで正反対のその姿は、前体制を引きずっている亡霊の証に他ならない。

「なんだ? その反抗的な顔は、亜人が人間にたてつくか!?」

 これで三度目。仏の顔は三度までだが、シュリーの顔は、まだ許容量の限界を迎えてはいない。声の主が既に正体と呼べるものを保っていないなら、まだ、我慢の仕方もあると言うものだ。

「……亜人、亜人って。大体、亜人ってなに? あたしに言わせれば、人間らしく見えないってことなら、あんたの方がよっぽど亜人っぽいよ」

 妙に醒めた声が、シュリーの口から零れ落ちた。こういう気持ちは初めてじゃない。さすがにこうして捕まって、真正面から言われるのは初めてだが、小さな頃に悩んだこともあるし、今も……。

「なっ!?」

 老人の口が、あんぐりと開いた。目は今にも顔からはみ出て落ちそうだ。小さな頃のシュリーは、これを見ただけで泣いてしまっただろう。今のシュリーは、それを見ても言葉を止めようとは思わなかった。

「だってあなたおかしいよ。どう見たって、普通の人間には見えない。少し外に出れば、きっとすぐ分かるよ、みんなに指差されて、なにかおかしいやつがいるって、そう言われるのがオチだよ? きっと」

 シュリーは、まだまだ子供だが、色々学んできた。それは勉強とか教養とかではなく、経験というもっとも使い勝手のいい知識の類だ。

 亜人。この言葉は、醜いコンプレックスの塊。それを意識して使う人間は、イコール自分が卑下されていると認識している人間。そうして、自分自身を(おとし)めているのに、なにも感じない人間。それを知ってから、シュリーはこの言葉に、以前のような恐怖は感じなくなった。嫌いな言葉に変わりは無いが、どっちにしても、それを言ってくる相手は、自分が構うほどの相手じゃない。

「だから、早くあたしをここから出して。それで、自分も町に出て確認してみればいいじゃ……ッ!?」

「黙れぇええええええええええええ!!」

 シュリーのつぶやきを無理やり遮って、老人の怒号が響き渡る。あの枯れ果てた体のどこにそれだけの力が残っているのだろう。と、思わせるほど、老人の声には力がこもっていた。

 ヒューヒューと体全体で息をしながら、老人がシュリーを睨みつける。その指先がシュリーに伸びようとした直前。その老人の後ろに、影が差した。

 巨漢だ。身に付けているのは、あくまで質素な、低い位の者が着るデザインの官衣なのだが、アンバランスなほどゴテゴテと付けられたアクセサリー類が、さらに虚しさをかもし出している。実用性ゼロの筋肉は、顔面までも覆い、まるで悪魔ルシファー族のような容貌をさらしていた。

「いかん、いかんなぁ! 君ぃ! たかが亜人にそこまで揺さぶられていては、人間の尊厳そのものが疑われてしまうよぉ!」

 また妙なのが出てきた。シュリーはますます落ち込んでいく自分をなんとか励ましながら、それでもだんだんと抑え付けていた恐怖が首をもたげるのを意識せずにはいられない。大体、目の前にいるのがどこか壊れた人間だというのは、それだけで危険を(はら)んでいるのだ。しかも自分は、その人間に捕らえられている。この状況で泣き叫んだり取り乱したりしないだけでも、シュリーの精神力は立派だと言ってもいい。それでも、限界ラインはいつも目の前に張られている。それは変わらない。

「んん〜、亜人の分際で人間様にそんな目を向けるのか、この亜人は。有り得ん、有り得んなぁ! ここまでこの亜人が付け上がったのは……君! 君の責任〜〜!!」

 ゲシャ! グキッ!

 今にも萎びきってしまいそうだった老人の肢体が、巨漢の腕の一振りで室外へと消えていく。どうにもこうにも、思ったとおりマッドな性格の男のようだ。

 最初なにが起きたかわからなかったシュリーだが、頭より先に体がそれを理解したのだろう。翼が根元から震え、鎖から自由になろうと暴れだす。次の瞬間には、歯の根がガチガチと鳴り始めた。こういうときに限って、助けを呼ぶための声帯は怖気づく。声さえ出せない。

「んん〜、イイッ! ナイス筋肉だ! パワフルだ! ミスターダンディだ! ……なんだ亜人? 人間様の真似をしてガタガタしつつ貞操の危機でも意識しているなら、馬鹿で低能で粗雑で劣悪としか言えんなぁ! ふばっはっは! 亜人! 誰がお前なんかに私の立派なそそりたつものを馳走させねばならんか! お前は私のベリーナイス筋肉になぶり殺される以外に道は無い! 無いのだよぉ!」

 呵呵大笑(かかたいしょう)。耳障りな笑い声がシュリーの耳朶(じだ)を打つ。

「神より選ばれし、高邁なる私の気分転換に使われるのだ。光栄と思い喜びに打ち震えろ! なはっなはっ! 神が与えたもうた我ら高貴なる血筋の前に、貴様ら邪竜の血族はただ屈していればいいのだよ! ごみのよーに! 貴様らは消費物なのだから!」

 人間以外の多くの異形の種族は邪竜エキドナから生まれたとされる。シュリーらハルピュイアとはルーツが違うのだが、そんなことをこの人間至上主義者に言っても無駄だろう。

 シュリーの目に、今度こそ恐怖の涙が浮かび上がった。初めのうちは冗談かと思ったが、今はもう、目の前のものは悪夢そのものだ。他の何者でもない。その恐怖の反面で、なんだかとても冷静な自分がいる。もしかしたら、自分の頭は、もうとっくにおかしくなってしまったんじゃないかと思ってしまうくらい、その冷静な自分はどす黒い感じがした。

(はっ……最期はこんなもんか。あたしたちはどうせ早死にするっていうのに、まさか、そこまで生かせてもらせないなんて。……悲しいな。……バカみたい)

 ……て。

 自分はなにをふざけているのだろうか。なにを諦めているのだろうか。自分は目の前のこの状況に弱気になっている。こんな決定的な危機を前にすれば、諦めるのはなんと簡単なのだろう。諦めるのは……なんでこんなに嫌なんだろう。

(諦めるのは、嫌。人を信じられないで死ぬのも、嫌!)

 シュリーは、諦めという毒手を受けながら、それでも立ち上がる。現実が目の前に傲然と立ちはだかったとしても、もしかしたら、信じれば変えられるかもしれない。

でもなにを? 誰を?

(決まってる)

 スゥーっと、大きく息を吸い込む。

(死ぬときに、悔いを残したら、きっとアローンさんのように、ネクロマンサーに死んでからもこき使われるのがオチだ、そりゃもう馬車馬のよーに)

 だったら――。

「……助けて! ルルちゃ――んっ!!」

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