第87節 蒼のスイーパー
「大丈夫ですか! ジオさん!」
術を放ったのはルルであった。見れば、ランケンは既に巨漢の男を打ち倒し、ツララを守るように、布を全身に纏った小男と相対している。
「なんだ、邪魔するな、小娘」
「小娘じゃありません! ルルは男です!」
「黙ってろ! ルル! ってか、お前、なんでここにいるんだ!?」
「え、さっきからいますけど……」
横に並んだルルをジオの大声が圧倒する。怯んであとずさるルル。
「んなことはわかってる! なんでまだここにいるんだって言ってるんだよ、オレは! 声も高らかに!」
話がつかめずにいるルルをジオは問答無用で担ぎ上げる。
「ちょ、ちょっと! ジオさん!?」
「いいから。お前は助けに行けばいいんだよ! さっさと行けぃ!」
ジオによって力任せに投げられたルルは弧を描きバテリオや残りのヒゲ男たちを越えた向こうへ飛んでいった。
「ったく。人のことを心配するのは自分の仕事が終わってからでいいんだよ。小せえんだから」
「お前も結構小さい方だが」
「うるさい!」
気にしていることを言うな。
「……それにしても、簡単に行かせてくれたじゃないか。止めなくていいのか?」
「ふん。あんな小娘になにができる。それに、とぼけた様な事を言ってくれるじゃないか」
バテリオはそう言って、デーモンの手でいつのまにかつかんでいた旋風烈弾を見せ付けるように握りつぶした。
「……さぁ、次はどんな手でくるんだ?」
「さあな」
ジオはにたりと笑った。
彼は日向に身を置いたことがない。
子供の頃からそうだった。彼はそういう家系に生まれ、育てられた。与えられた運命を享受してきた。
彼の仕える本家が政変に敗北し、没落しても彼の生活は変わらなかった。
それ以外の生き方を知らなかったから。彼は生まれながらに不器用であったから。
彼は今でも日陰に潜んでいる。
そして、今。
隠れ家に侵入者が現れた。本家のご当主のいる部屋まで通すわけにはいかない。
ご当主の同志たちは役立たずばかりだ。小娘が一人、警備を抜け出た。
仕方ないが、自分が始末するしかないだろう。その為にも、自分はここにいる。
地下室への階段を下りてきた、大小のリングをじゃらじゃらつけた小娘は気づいていない。この地下の暗がりには玄人でも気付きにくい隠された空間があること。また、そこに、自分という伏兵が潜んでいるということ。
切っ先の鋭く研がれた針のようなナイフ。これを頚椎にでも突き刺せば人は、糸の切れた人形のようにあっさりと死ぬ。
どうやら相手は素人だ。社会の陰を知るやつの動きじゃない。小娘ごとき、ものの数秒もかからないだろう。
すっと、ナイフを構え、隠し戸を静かに押し開く。
すっと、首筋になにかが当たった。
「動かないで下さいね」
静かな声だった。和やかな響きがあった。しかし、それ故に彼は理解した。その手の専門家である自分を越える裏の染まり手が自分の背後にいると。
そうでなければ音もなく気配もなく、自分の背後をとることなどできはしまい。
完全に敗北だ。しかし。
(自分は裏の者だ。ご当主に絶対の忠誠を誓う最後の一人だ。だから、自分だけは、死ぬとわかっていても一矢報いねばならない)
そう覚悟したとき。
「無駄です。僕は蒼ですよ」
(……なっ!?)
その囁きとともに、首を打たれ、彼は意識を失った。
彼の崩れた後、そこには暗闇の中でさえ鮮やかな、地下でありながら蒼穹を髪に宿した青年がいるだけだった。
そしてすぐに、その青年も狭い隠し空間から煙のように姿を消した。