第82節 魔女の人助け
シュリーが第二屋上から飛び去ってしまってから数時間後。フィービー・ノーレントは、徹夜明けの睡眠を貪っていた。
ドバチンッ!!
そんな彼女の顔面を、まったく唐突に、すごい勢いで蝿叩きが直撃した。
(デンッ……ジャ〜! やばすぎます! 女が拉致! 拉致です!)
蝿叩きの直撃で編み編み模様になった顔面をさすりながら、フィービーは目を覚まし、布団代わりにのしかかっていた幾つもの書物を退ける。道理で東方の珍獣カビゴンにフライングニーアタックされる夢を見ていたのか、とか思いつつ、
「……拉致って、誰が誰に?」
フィービーはものすごく胡乱気な声で、宙を漂う蝿叩きに問いかけた。寝起きが悪いのか、酷く辛そうな顔をしている。
(こいつぁいけねぇ! ご主人のマークしていた、アンドロス・ピッチの一党だ! あいつはアホだ! 前歴は……)
忙しなく宙を彷徨っていた蝿叩きは、さらわれた少女の名前の次に犯人の名前を出したところで固まった。カリカリとか、フュイーンと言う音が聞こえる。
こちらの蝿叩きは、実は超古代の遺産なのである。検索機能付き危険警報装置キルシュバッサー……別に名前がかっこういいだけではない。このキルシュバッサーは、高度な魔力感知回路と、読思考能力、更には広域連携解析能力まで備えた代物なのである。
元々の用途は大型儀式系攻撃魔法の精密誘導装置、いわばレーダーだったと推測されるのだが、殆どの機能がクラッシュしてしまっている今の状態では、生徒の素行調査とか浮気調査がせいぜいであるが。
そうこう説明している間にキルシュバッサーの検索は済んだ。だが、音声出力の方に魔力を回す余裕はなかったらしく、机の上を散々暴れ回った後、羊皮紙を見つけ出すと、ペンを巻き込んでなにやら書き殴り始める。フィービーは、なに事かと思い近寄る。どうやらキルシュバッサーが書き殴っているのは地図のようだ。随分と細かい。王国の地図は既に取り込んであるから、その辺はお手のものなのだ。
(ココにウ〜ゥォンチュ!)
最後に矢印を書き込んで、キルシュバッサーは床に落ちた。どうやらこれは、酷使しすぎてフリーズしてしまったのだろう。フィービーは、キルシュバッサーの一人舞踏をひとしきり観賞し終わると、床に落ちたキルシュバッサーを足で退かし、地図に見入った。
「……第三倉庫外の西の外れね、だいぶ前にヘルハウンドを逃がした……。う〜ん。別に放っておいて構わないし、なにより面倒なんだけど。ま、ここはこのあいだのお礼ってことで、ちょっくらサービスしよっか」
フィービーはキルシュバッサーの書いた地図にさらさらとペンを走らせる。
『前略――悩める少年へ。貴方の愛しのプリンセスが誘拐、監禁されています。場所は地図の通り。早く行ってあげなさい』
フィービーはそこまで書き上げると、その地図を綺麗に折り、紙飛行機にした。探知魔法をその上に構築して、窓を開け放つ。
「……」
そして投げようとして、一度引き戻し、再び手紙の文面に付け足す。
『追伸。君が、古い鎖を断ち切れる事を願って……』
今度こそ紙飛行機を空へ飛ばすと、それが見えなくなるまで目で追って、フィービーは窓枠に手を付いた。自分としてはかなり意外性のある行動だと、小さく笑ってため息を付く。少しボーっと窓の外を見ていたフィービーだが、再び書物の山に戻ると、床に落ちたキルシュバッサーを再起動して、同じ地図を描かせ始める。
「一応、二通目も書いておくか……」
「それは誰あてなんです?」
「少なくともあんたじゃないわよー」
不意に。
背後に現れ、何気なくたたずむ青年に、しかし、フィービーは驚きもせずに対応する。
青年の髪は青。海よりも深く、蒼穹よりも鮮やかな、青の髪。陽光を浴びれば昼間といえどそこに宵闇を作り出す不思議な色。
常人ならありえない髪の色は彼がイレギュラーであることを表している。
世間一般では亜人と血の混じった呪い子と忌み嫌われるイレギュラーであるが、些細なことなど気にしないおおらかなこのエルファームでは、彼は温かく受け入れられている。
「あんたを呼んだのは探しものをしてもらうためだけど、丁度いいとこにきたわ、さすが便利屋さん」
「褒めて貰うのは結構なんですが、僕になにをさせる気なんです?」
また割に合わない仕事だろうなと観念したように苦笑いする便利屋に、フィービーという名の魔女はにんまりと笑いかける。
「なぁに、ちょっとした人助けよ」