第79節 夕日色の翼
ジオがえらいことになってしまった翌日。
学士院第二屋上。
二つの尖塔に挟まれるように正方形のエリアが広がっている。広さはそれ程でもない。もともと憩いの場として作られた第一屋上と違って、この第二屋上は少し規模の大きな魔術儀式や、個人的な行事や祭典を執り行う為に作られたものだから、綺麗に敷き詰められた素焼きのタイル以外は、目立ったものはなにも無い。
一つだけ特徴的なものと言えば、屋上からの景観だろうか、基本的に高台に作られた学士院だけに、景観はどこから見ても良いのだが……ちなみにノートンガイドによるお勧めスポットは学士院正門前階段の真ん中から見るエルファーム全景とのこと……その中でも隠れた名所と言われるのが、この第二屋上である。エルファームの町からは反対側だが、街道と草原を見渡す展望に沈む夕日がなんとも青春チックで堪らないのだ。
しかし、ここに滅多に人は来ない。理由は様々だが「青春するにしても寂しすぎる」とか「なんかみじめになりそう」とか「そんなところに行くのは自意識過剰だけ」とか、往々にしていまどきの若者たちには恥ずかしがり屋さんが多いってことらしい。
で、そんな穴場に一組のカップルがいた。
言わずと知れた学士院の青春ど真ん中、ルルとシュリーである。
二人はなんとなく屋上の入り口にもたれかかり、なんとなく空を見上げていた。
ルルは相変わらず肌にピッタリとした袖なし上着に二十個のリングを身に着けているが、下はなんと普通に男っぽいパンツルックである。もちろんベルトからポケットから、じゃらじゃらとリングがぶら下がってはいるが、ここ最近のルルの変化は、ちょっとずつだがその度合いを強めている。無論、外面の変化がすぐに内面の変化に繋がるわけではないとしても……。
これは余談だが、最近のルルの変化は、コリーを含むその他数名が、モニカ・ハーモニー導師に対して相談を持ちかけるほどの、学士院内の小さな事件ともなっているのだ。
対するシュリーは相変わらず、登校してくるときは仮面を付け、冷徹な態度を崩していない。ローブの方も相変わらず色気の無い灰色のものだが、朝着替えるまでは仮面を付けていないのか、はたまた地味なローブもまた仮面の役割を担っているのか、外套の下はそこらの普通の少女と変わらないカジュアルな服装だ。
「……そう言えば、ルル君はインターン生に選ばれたそうですね」
唐突にシュリーが口を開く。もちろん素顔は仮面の下だからその表情は読み取れない。対するルルも、無表情に口を開いた。
「うん。ルルも、その話をしようと思ってたところ」
「その、非常に喜ばしいことだと思う。慶祝である……それに」
シュリーはルルに言葉の続きを語らせること無く、矢継ぎ早に賛辞を並べる。しかし、そのどれにも、嬉しさや喜びの感情は含まれていない。
「シュリーさん。ありがとう。でも、ルルが話したいのは、そういうことじゃないんだ。ルルと、シュリーさんのことを、話したいんだ」
ルルじゃ話を進める為に、未だにしぼんでしまいがちな自分の気持ちを前に押し出すように、屋上の真ん中へと歩き出した。シュリーはその後に従わない。追いたくても、追えない。期限まで後五日。走馬灯とまではいかないが、それでも、この学士院で過ごしてきた日々が、頭を駆け巡る。
このまま部族なんて捨てて、ここに留まってしまおうと、何度となく思った。それでも、それを軽々しく実行に移せるほど、シュリーは無知な子供ではなかったし、無責任な大人模倣者でもなかった。
それはルルにとっても、きっと同じこと。彼らは、全てが自由で、そして、その全てに、自ら鎖を巻きつけている。それ以外の方法を知らないから。
なにかを得れば、なにかを失ってしまう。それを承知していても、それでもまだ折り合いを付けられない。そんな時期に、ぐるぐると回っている彼らに、時間は無理やり決断を迫る。
「ルルは、ルルは自分じゃ絶対決められないと思っていたんだ。だから、時期が来たら、シュリーさんに決めてもおう。なんて、すごく無責任なこと考えてた。それから色んなことがあって、父さんのことを思い出したり、アンデッドさんたちに会ったり、アイリーンさんとも話したよ、それで……ルルは」
ルルは一息に言い切ると、思い切ってシュリーに向き直った。
夕日に伸ばされたルルの影の中で、仮面を捨てたシュリーが、ただ、泣いていた。
何度もしゃくり上げながら、シュリーがほとんど声にならない大きさでつぶやく。
「嫌だよ……ルルちゃん。聞きたくないよ、あたし、そんな、そんな勇気無いよ……インターンの話、ウソだって言って欲しかったよ。でも、でも、そんなのはただのあたしのわがままで……けど、嫌だよぉ」
シュリーは顔を両手で覆って、涙を流す。ルルは、衝動的に叫んでいた。
「違うよ! シュリーさん。ルルは、ルルが言いたいのは」
「じゃあ一緒に来てよっ! あたしと離れないでよっ! もう、あたしダメなんだよ! だって、ルルちゃんと離れたくないよ、あたし……ルルちゃんじゃなきゃやだよ、やだよぉ!」
違う、こんなこと言いたくない! シュリーの中で、二つの意思が叫びあっていた。まるで、頭が二つに割れそうに痛んだ。昨日、ルルに呼び出されたときに心の整理は付けたはずだったのに、どんな答えでも、絶対に受け入れようと思ったのに、これじゃルルの足を無理やり引っ張っているみたいだ。
そんなの嫌だ。
シュリーは逃げるように駆け出していた。もう、仮面を被っても噴きだす想いは止められそうもなかった。
「――ッ!? あ、シュリーさん! 待って! ルルが言いたいのは!」
だが、階下への出入り口のところでシュリーは誰かにぶつかった。
それは、本来こんなところにいるはずのないツララであり、気まぐれのような気持ちで学士院に立ち入っていたのだが、偶然というものはかくもそれが運命であるかのように装い現れるものだ。
背後からルルが追ってくる。目の前には驚いた表情のツララ。シュリーはルルから逃げることしか頭になかった。
弾ける様に横に跳ぶ。その先にはなにもない。切り立った崖のように、わずかな段差の続きは遥か下の地面へと直滑降になっている。
(危ない!)
と、ツララがそう思った瞬間。
バサッ!
夕日に燃える紅い翼が、生えるように出現した。
それは、本来ならば純白に見える翼であるのだが、今は持ち主の激情を表すように夕陽を照り返している。
ルルの手が、シュリーの翼に伸びるより早く。シュリーは空に舞い上がった。
これ以上なにも聞きたくなかった。これ以上なにも考えたくなかった。
だから――。
「もう、誰も……」
ルルの瞳に、ついさっきシュリーが流した涙の揺らぎが垂れ落ちる。
呆気にとられ、動けないでいるツララの前で、ルルは倒れこむように片膝を屈した。




