第72節 大人たちにもある事情
第五部、最終部です。
学士院エルファーム支部。
薄暗い陰気な雰囲気漂う会議室で、円卓を囲み、数人の導師たちが話し合いをしていた。
怪しいムードをかもし出しているものの、これは別に陰謀の場であるとか、黒ミサだとか、先生に内緒でコックリさんをしているとか、そういうのでなくもっと公的なものである。
学士院支部の中でも重要な地位を占めている導師たちが、今後の学士院の運営、教育方針について話し合う、いわば学校運営理事委員会みたいなものだ、たぶん。
エラの張ったいかつい導師がなに事か言った。どうやら彼が司会進行役らしい。
「さて、次の議題は、インターンに派遣する生徒の選出、ですね」
インターンとは、優秀な生徒を学士院本院への進学を想定して短期間本部で修学させるというものである。これに推挙された生徒は絶対とは言わないが、かなりの確率で本部行きの道が開ける。逆に言えば、これに選ばれなければ高位の紋章術師になるのはかなり厳しいものとなる。宮廷術師や導師を目指す者ならば、是が非でも選ばれたいものなのだ。
「ふむ。最近は、誰かこれといった生徒はいるかね?」
「はい。そうですね、ヒューゴ・ウェルヘミニとルル・アリアンロッド。後は、コリー・A・ゴルビチョフが良いでしょうか」
「フレイム・ファンカスターとオーリエ・ミックもなかなかですよ。筆記成績だけならウェルヘミニやアリアンロッドよりも高い」
「ジオライト・サーバイン君はどうなんだね?」
「ああ、サーバイン導師のご子息ですか……いや、彼はまだ術の制御に不安が残りますね。潜在的には父親譲りの高い素養を持っている気はするのですが……どうでしょう。ドッパラピッパラ導師?」
「……えぇ、そうですね。潜在魔力の高さは認めますが……当分見送るべきでしょう」
ジオと相性の悪い担任導師ドッパラピッパラは冷徹に言った。
それだけだった。
「ふむ、ではその五人を考えていこうか」
学長の一言で話題は段階を進み、更に会議は続いていく。青年の一つの可能性が断ち切られたが、この場の誰も異論を挟むことはない。
武道家は、ランケンと言った。
はるばる東方の国から武者修行。ひたすら修行に明け暮れて、流れに流れてエルファームまで辿り着いたのだった。
ランケンは自身の武術の腕に相当の自信がある。武器など使わずともそんじょそこらの連中には一敗たりともしたりはしない。これは絶対である。
しかし、彼は自分の限界を知ってしまった。ある程度道を究めることで見えてきてしまうものもある。
限界を知ってしまった以上、彼にはやるべきことがあった。
それは、自身の会得した大地森厳流を、自分の認めた後継者へ伝えること。
受け継いできた先達の伝統を絶やすことなく後世へと繋ぐ事であった。
そして、その後継者としてふさわしい者をここ、エルファームで見つけたのだった。
目が合った瞬間思った。こいつが探し求めていたやつなんかじゃないかと。
ランケンはときめきさえ覚えたものだった。
「弟子になってくれんかなー?」
ランケンはもはや習慣となった香花亭での朝食をとりながら、そうつぶやいた。
ハルピュイアの里の長老はちっとも報告のこない水晶球を、退屈そうに、もしくは憂鬱そうに、眺めていた。
「……わしだって、あやつらには幸せになってほしいとは思っておるんじゃがなぁ……」
部族の習慣が、若い世代で嫌悪されていることくらい当然知っている。昔の自分も随分悲観に暮れたものだ。
しかし、仕方ないではないか。我らの生まれついての宿命がハルピュイアの娘たちに自由に生きることを許さない。
部族の先達が築いてきたこの因習が我らのために、部族のために、最善の選択であると信じて歩んできたのだ。
「……娘らよ、早まるでないぞ」
長く部族の娘たちを見守ってきた老婆は、自分の子のように愛しい娘たちに思いを馳せ、そっと目を閉じるのだった。
……連絡してこないのはお婆ちゃんさびしいな、とちょっとすねつつ。