第68節 お泊りの夜に
真夜中、時間的にはそのはずだ。
だが、窓からのぞく外の風景はまるで外界から閉ざされているかのように、厚い霧が相も変わらず立ち込めていた。
一時間ほど前にパーティはお開きとなった。アンデッドたちは続けたがったが、人間には限界というものがある。一行はダリルの申し出をありがたく受け、一泊することにした。
ここはルルとジオに割り当てられた一室である。
いかにもアンティークというような見事な調度品が飾られ、時折風もないのにランプの炎が揺らめく。
女性陣の中には男性陣と同室を希望する者もいたが、それは正解だったかも知れない。
こんな妖しい部屋で二人きり、なにをきっかけにことを起こすか知れたものではない。
ジオは部屋に運び込まれて三〇分ほどで目を醒ました。パーティの間も通してずっと倒れっぱなしだったから、アイリーンにも負けない気絶っぷりである。こんなところまで合わせるとは。
それはともかく、ルルはベッドに潜り込んだものの妙に目がさえて眠ることができずにいた。ついさっき、ジオと雑談を終え、もうそろそろ寝ようとランプの明かりを消したのに。
「……ねぇ、ジオさん。起きてますか……?」
「んあ?」
ジオは起きているんだか寝ているんだかわからない返事をした。それをルルは応じたのだと受け取り、
「ルル、今ちょっと悩んでいることがあるんです……」
ルルは自分の言葉を一語一語かみ締めるように語った。
なぜルルがジオに相談などしようと思い立ったのか。それは旅先であるからか、男同士二人きりのシチュエーションであるからか、ともかくなにか要因があったのだろう。
でなければ、ルルの性格か。ともかくそうでなければ相談相手にジオを選ぶのはあまり適当ではないと多くの人は思うんじゃないだろうか。
それは違うと断言なんてすることはできないが、先日のダンジョンの件もある。ハチャメチャっぽいジオは結構頼りになる男なのではないだろうか。あんまり頼りにしてちゃいけないとは思うが。
ジオから返ってくるのは「んあ」とか「ぐあぁ〜」とか「や、やめてくれ〜」とかいう寝言くさい返事ばかりだったが、ルルはいちいち「そうですか」「はい」「わかりました」と丁寧にうなずいていたりしていた。
危ういところで一方向的に成立している人生相談の最中、隣の部屋からのざわめきが気にかかりだした。
隣室にはシュリーとアイリーンが泊まっているはずだ。
行ってみれば、ベッドの上でアイリーンがその元々白い肌をますます白く、病的なほどにして、汗をびっしょりとかき、荒い呼吸をしていて、仮面をしたままのシュリーの慌て様がことの重大さを際立たせていた。
「ど、どうなんだ!? アイちゃんは大丈夫なのか!?」
部屋から女が出てくるなり、ジオはその女に詰め寄った。
「ええ、幸い発見が早かったので今すぐにどうなるとか、そういうことはありません。ただ……」
「ただ、なんだよっ!?」
「彼女の感受性はとても強いものです。これ以上この島にいることは彼女にとって取り返しのつかない状況になってしまうでしょう……最悪の場合は……」
女はそれ以上口にしなかった。
茶色の、古臭い服を着たこの女性は、多少医療の知識があるらしかった。それは学問の統合性が見られるこの世界において、同時に多少の魔術もかじっているようなものである。ルルやジオたちも学んではいるのだが未熟であり、なにより彼らは生物学上男性に分類されているため部屋から閉め出され、この茶色い服の女性の出番と相成ったわけである。
その女の説明によると、アイリーンを襲ったこの病状はアンデッドたちの発する負のオーラが原因だという。
負のオーラというものは怪奇現象に出会ったりするとゾクッとくる、あれを誘発するオーラといったところか。普通の人ならばなんとなく嫌〜な感じがするだけで、大したことにはならないのだが、アイリーンは部族内で長老種として認められるほど触媒や魔力の素養が高い。だから、普通の人より強く、モロに悪影響を受けることになってしまったのだった。
「つまり、なにをすればいいんだ? オレはなにをすればいい!?」
興奮するジオとは対照的に、女は冷たいほどに落ち着き払いわずかに瞳を伏せた。
「……即刻彼女をこの島から遠ざけることです。そして、安静にさせてあげてください。回復が遅いようならシャーマンか専門の神官に頼んで……」
「みなは私のようにオーラを抑えることができないからな。それが一番の方法だろう……」
ダリルがうなずいた。
「じゃ、じゃあ、急いでアイちゃんを船に運んで……」
「待ってください!」
引き止めたのは、保存状態の良いゾンビ青年デミトリだった。背後にはたくさんのアンデッドたちが真剣な面持ちでひしめいていた。
「なんだてめえらは!」
これが初顔合わせになるジオは叫んだが、ルルが上手く制止した。
「もしや、お前たち……」
「はい。ダリルさん。ぼくたちが原因なのは、見当がついていました。それで、これが良い機会なんじゃないかってぼくたち話し合って決めたんです」
「いや、しかしだな……」
「もう、決めたことですから」
なおも食い下がろうとするダリルにデミトリは揺らぐことのない決意をたたえた瞳で言い切った。
「……どういうことですか?」
話が見えずいぶかしむツララに、答えるのは黙り込んでしまったダリルではなくデミトリだった。
「なんのことはありません。アイリーンさんに悪い影響を与えているのがぼくらの発してしまうオーラなら、それを根源から……ぼくたちごと消せばいいんです」
「え……」
「そんな! そんなことまでしなくても!」
「……この島には高濃度の瘴気が立ち込めています。ほんの少しの瘴気でも彼女の障害になる以上、島を一旦浄化してしまうのが良い。でも、そのためにはぼくらが邪魔……。彼女の安全を第一に考えるなら、これが最良の方法なんですよ」
平然としていた。清々しい爽やかな笑顔だった。腐敗したゾンビである男がこんな表情をできるというのは、アンデッドに堕ちたとしても心は変わらぬ形で残っているのだと体現しているようだった。
だが、コリーはどうにも納得がいかなかった。たかだか今日知り合ったばかりの少女にアンデッドの、もう決して死ぬことのない命を投げ捨てるなど、信じられなかった。
コリーの疑いの視線に気付いたわけでもないだろうが、デミトリは言った。
「それにね。ぼくたちは前々からいつかこうしようって考えていたんです。限りない不滅を欲したわけでなく与えられてしまったぼくたちは、限りある人としての生死を願う。そういうものなんですよ」