第66節 霧の中で、ぐちゃぐちゃに
同時刻。シュリーもまたジオに自分たちの宿命を伝えていた。
「……ジオさん。私たちのことについてご理解いただけましたか?」
黒い双眸を見透かすような視線が仮面の奥から放たれ、ジオは射すくめられたように身じろぎ一つとらなかった。
「……あ、ああ」
「私たちは亜人族の中でも非常に特殊な部族形態をとっています。その性質上他部族の協力に依存するを余儀なくされているのです。それが欠けただけで私たちは困難に陥る、不安定なバランスの上。よって、もしあなたに強い覚悟がないのなら、あなたを私たちの里に迎えることはできません」
シュリーからはジオを威圧するような重苦しい気迫が感じられた。ジオはなんだか非難を受けているような気分になった。
「オ、オレは……その……なぁ」
「あたしがなんでこんなこと言うかわかりますか?」
急に声が熱を帯びた。それはさながら人形に感情が灯ったかのように。
シュリーは仮面を外していた。
「わからないでしょう!」
(え、なに、いきなり逆ギレ!?)
「わかってるって! つまり、あれなんだろ!? 極道は一度盃を受けたら簡単に足を洗えねぇ。だからリキいれて、指詰める思いで行けって事なんだろ!? 義理とけじめなんだろ!?」
違う。
違うが、大まかなところはしっかりジオは理解しているはずだ。しかし、
「違うの!」
(……じゃ、わかんねえよ)
ジオはげんなりした。
「違うの! そうじゃないの! 本当は……本当はそんなことはどうだっていいの!」
「いいのかよ!」と突っ込む隙を与えない、激情を吐露するシュリーはいつしか冷静な仮面を投げ捨てていた。
「あの子はね、早死にすることなんてないの! あの子は、アイリは、仮面つけなきゃ頭も回んないあたしなんかとは違って長老種になることが許されていたの! なのに、なのに、アイリ、みんなが死んじゃうのに自分だけ残っても寂しすぎるからって……辞退して……」
濃霧の林間に、ただ、嗚咽だけが響いて。
「……アイリは早死になんてしなくていいのに……いっぱいいっぱい長生きしていいのに……」
ジオは動けなかった。どうすればいいのか、わからなかった。こんな風に女の子に一方的に泣かれるのはおそらく初めてで経験がない。経験があったとしてもジオはこういう事態に弱そうな感じだと思う人もいるのかもしれないが。
ジオがこんなに戸惑っちまっているっていうのに相手の話をまともに聞いているというのは、少なくともアイリーンに対して少しは興味があるってことなのだろう。ジオ自身、アイリーンのことをどれだけ想っているのだろうか。
「……オレにどうしてほしいんだ?」
つぶやくように出たその言葉は落ち着いているように思えた。
「……生半可な気持ちなら……アイリに構わないで。まだ、間に合うはずなの。誰もつれて帰ることができなきゃ、アイリは長老種として生き長らえられる……」
涙もやがておさまりはじめ。
「……きっと、あんたは耐えられないわよ。愛すれば、どんなに愛が深くても、あっというまにあたしたちは死んじゃう。なのに、残されたあんたは異郷の山奥で異文化族に囲まれてずーっと生きていかなきゃなんない。……できないでしょ? ……今のうちに別れちゃった方が、二人のためなんだよ……」
シュリーの瞳にひっそりと憐憫が見えた。
二人の恋情は純粋なものであるはずなのに、あまりに難しいもので、親友のことを想うがために、親友への邪魔をするシュリー。
それは裏切りと言うのだろうか。
しかし、そんなことを考える隙間もないほどにシュリーの言葉は悲しみでいっぱいであり、その言葉も真摯でありえた。
「辛いことだって、酷いことだって、わかってる。でも……お願い。あの子のためを思って!」
風が流れた。細やかな水の粒子が体を冷やす。もっとも今の二人は寒暖を表層意識で感じてなどいないかもしれない。
辺りに降りた厚い沈黙の帳をやがてジオが破る。
「オレは……オレは……オレはぁぁ!」
髪をかきむしり、悩める熱血漢然と苦悩する青年十七歳。今朝の朝食ハムエッグ。
辛苦のあまりにポエムを一篇。
霧の中 見晴れ得ぬ中 想う仲
逆風吹く中 かなうかな ジオ臨
(おぐぅ! しまったぁ! 動揺したせいで、五七五調で韻までふんじまったぁぁぁっ!?)
思考回路ハチャメチャ。人間、不安定な時はなにをやっても空回り。
そもそもポエムなんぞ詠もうとしてる場合じゃねぇ、という意見もありそうなものだが、彼はポエマーなんだから仕方ない。アーティストは苦吟の末に良作を生み出すものだからである、多分、おそらく、パーホップス。だから、ポエマー精神の沁みこんでいるジオは今詠むっきゃねぇのだ。
「オレは……オレは……オレはぁぁぁっ!!」
鬱陶しいくらい悶えに悶えて、苦しみ、混乱最高潮。
「フハーッハッハッハ! 我が名はダリル・フォスター! 永遠にして絶大なる黄泉の王にして魔界の貴公子!」
タキシードとマント姿の壮年の男が細木の枝先に立ってなにやら喚き始めたのはその時だった。
「限られた生命を持つものたちよ。親愛と畏敬の情を込めて我をこう呼ぶがいい。愛の菜食主義者ヴァンパイアと!」
「……はぁ?」
白い沈黙の末、シュリーは気の抜けた声を上げると、男は撫で付けた灰色の髪に手をやって格好つけて、
「……呼びにくければ『あまたの血液型を持つ男インサマー』でも構わんぞ」
「いや、呼びにくいし! なぜに『インサマー』をつけるかわかんないし!? つーか、そもそもそんな問題じゃないからー!?」
「じゃあ、いっそ『ダリ』と愛称でいいよ」
「だから、そんな状況じゃないからーっ!?」
二人の会話にジオが割り込む。
「ぎゃぁぁ!? ベジタリアンヴァンパイアーっ!?」
「えぇ!? 反応遅っ!」
「たぶん、毎食トマト食べてるぅぅぅ!?」
「……いや、まぁ、確かにそうかも知んないけどさ」
「赤ピーマンも食べてるぞ」
「そこ、そんな情報要らない!」
「うぅぅん、赤ピーマン……ぐはぁ」
「……で、なんでそこで気絶するのよ……」
唐突過ぎる謎のおじさんの登場と、テンポの違うジオにシュリーはおおわらわ。ジオが倒れるに至って、
(落ち着いて。落ち着くのよ、シュリー。こんな状況ではまず落ち着くのが大事)
シュリーは二度三度大きく深呼吸すると頬をひっぱたいて気合をいれ、泡吹いて倒れこんでしまったジオを指差し、木の上の男に頼んだ。
「……とりあえず、落ち着いて話がしたいから、この人運ぶの手伝ってくんない?」
壮年の男、ダリルは尊大な態度でうなずいた。
「ふむ、オッケェオッケェ。我に任せときー」