第5節 ジオ
運命の歯車がもしあるとするならば、それはいつも噛み合っているわけではなく、きりきりと回っていることだろう。きりきり、きりきりと、なにもない空間を、やがて組み合う瞬間を心待ちにして。
オレゴン山脈の山頂近く、空気は澄んで、吹き飛ばされそうな風が吹く。丈の短い緑が一面に生えて、風が吹くたび波のようにサァとさざめく。
ここは空が近い。
澄んだ空の、早駆けの白雲を眺めながら、少女は風に舞う髪をおさえている。
風鳴りが試練の到来を耳打ちしていく。巣立ちの時期はもうすぐ。無闇に不安で心がざわめくのを止められない。
大人になどなれなくて良いのに。ずっとヒナのままでいれればいいのに。成長も発展もいらないのに。
その先に終末が待ち受けていると知っているから。
けれど、歯車は回る。きりきり、きりきり。決して止まることはなく、誰が止められるわけでもなく、やがてかかる呼び声に少女は振り向く。
友が呼んでいる。行こう。
いくら望んでいても、風を思い通りにすることはできないのだから。
ツララが追われる騒動から、時間は少しさかのぼる。
ようやくこの話の主軸になる二人の登場である。
一人はジオ。ジオライト・サーバインという青年。
赤銅色のボサボサ髪は耳まで伸びて、うなじを隠し、瞳は黒。肌はまだ冬だというのに日焼け気味の小麦色。一五八センチという低めの身長のせいで年齢も低めに見られるが、十七歳というエルファームでは十分自立を認められる歳である。
そのことはジオ自身も理解していて、
「うるせぇっ! 今年こそ本院に進学してみせてやるよ!」
なんて、四歳上の兄相手にたんかを切ることもしばしば。今だって、日常茶飯事の兄弟げんかをやらかして、袖のないベストに余裕のある長ズボンという上半身が寒そうな格好で家を飛び出してきた。どこに行くというわけではない。なにかむしゃくしゃする気分の時にはとにかく街中を走り回るのがジオのストレス発散の方法なのだ。おかげで、頭はともかく体だけは鍛えられた。鍛えるべきは頭の方なのだが。
ジオは智の総本山、学士院に籍を置く学生である。エルファームには支部が置かれ、一般常識を教える初等学部、紋章術を含めた幅広い知識を学ぶ紋章学部、政治経済を中心に学ぶ文士学部に分かれていて、ジオは紋章学部に所属している。本院とは学士院自治領にある本部のことで、各支部の紋章学部で真に優秀だと認められた者だけが進学を許される。
ジオはもう長いこと紋章学部にいるが、いまだに許可は下りていない。
「ちくしょー。クソ兄貴め、兄貴だからって兄貴風吹かしやがって。あんなやつはいっそオレの弟だ」
理屈の通らない文句を吐き散らしながらジョギングをする。足の裏に伝わる石畳の感触がいつもより硬い気がして、なんとなくいらつく。太陽は一番高い位置からやや斜めに傾き、白光を降らしている。冬でも昼からマラソンなんてすれば汗をかくってもので、眉間を通るこそばゆさをうるさく思ってジオは乱暴に額をすった。
ボキャ。
なんという偶然か、ジオの振りぬいた腕はちょうど右の通りから出てきた男の横っ面を見事にとらえる。予想だにしていなかっただろう出会い頭の裏拳に、男は派手にふっとんでガラガラと路傍に詰まれた木箱を崩した。
(やばい!)
ジオがそう思ったのは、ただ通行人をぶっ飛ばしてしまったという点ではない。言ってしまえば、それならば逃げればどうにでもなる。問題は、ぶっ飛ばしてしまった人物にあった。