第58節 霧のホラー・ワールド
「まいったなぁ〜」
マストの上。地上高七メートル。頭をかいて途方に暮れる。
「なにか見えますか?」
ルルの甲板からの問いかけに、ツララは無言で首を振る。
あれから。
ジオの術のおかげでスピードをつけた船は舵も利かずにひたすら暴走し、いつしか数メートル先さえ霞む濃霧のまっただなかにいたのだった。
「どこ見ても霧、霧、霧、きりー。なんで夏の日の真っ昼間にこんな霧があるわけなん?」
「ちょっと、ルルにはわかりません。白迷霧という術に近いとは思うんですけど……」
「ふ〜ん。ところで、他のみんなは大丈夫?」
「はい、もうだいぶ良くなったみたいです」
甲板の上にはルルの他に誰の姿も見えない。他の四人は船内にいる。あの猛スピードの際にアイリーンは失神、コリーは船酔いを起こし、比較的症状の軽いシュリーと断然元気なジオが看病に回っている。
ツララは幼児期から漁師と親しく何度となく乗せてもらったことがあったのでもう船酔いは慣れていた。嵐にあったこともある。
デリケートなルルが平気でいるのは信じにくいことであるかも知れないが、育った環境からか揺さぶられることには慣れているのかも知れない。彼の家庭はある意味常に揺れている。
「あ」
と、ツララの声が漏れたのは前方に大きな島影が見えたからだった。
興奮を隠しもせずに叫ぶ。指し示す方角には確かに島があった。
やがてルルの目にもそれは映った。
「あれが、目的地の不思議の島でしょうか?」
不思議の島。湖のどこかにあると言われ数々の『ありえない』がある伝説の島。そこの実在を確かめるのが今回の旅の目的だった。
しかし、それが本当にあって、しかも一日目で見つかってしまうとは。
ツララは喜びと驚きとを抑えられなかった。
船はゆらりゆらりと島に近づく。
果たして、そこになにが待ち受けているのか。
伝説は伝える、不思議の島。
空は絶えず青く晴れ渡り、暖かな陽射しが降り注ぐ、とうに滅びた白いユーリスの花畑。そこを闊歩する白馬ユニコーン。四季が一つに集い、破綻の文字を知らぬ場所。
湖の上にぽっかり浮かぶ忘れられた地。先時代の楽園がここにある。
期待を胸に上陸すれば。
カラスがぎゃーぎゃー、黒猫ニャァ。
枯れ木がずらずら、妖気がドロリ。
地獄もかくやのホラーワールド。まさにここは地獄の(ア)園。
「なんなんですかここはー!?」
みんなの悲鳴が大きく大きく響いたとさ。
「と、ともかく進んでみよう」
と、言ったのは誰だったか。超怖がりのジオでないことだけは確かである。
「え。本気? ほんと本気? 進むの?」
「だってそのために来たんだし。マザーブルーにこんな島があるなんて報告されてないから、この島が目的の島である可能性は結構高いし、未確認のとこでも新発見だよ、新発見! ぜひ調査しなきゃ!」
好奇心全開。意気揚々。瞳をキラキラさせるツララに対してジオは果てしなくどんよりしていた。
「却下だ、却下。つーか拒否ぃ! オレは絶対いかないぞーっ!」
「あ、あたしも……ここはちょっと……」
「あたしも。こんなところあたしらに似合わないしねー。ねぇ、ルルちゃん?」
「え? あ、う〜ん、ルルは……」
次々と文句をたれる連中に、
「なによー! なんのためにここまできたと思ってるの。そりゃあ、ちぃっとだけ想像を裏切られたような印象をしてなくもないけど、そこはもう割り切っちゃってゴーよ! ねぇ、仮面少女?」
「シュリーです。まぁ、色々と興味深い島であることは確かなようですが、長居したくない気持ちもわかりますね。でも、どうやらそうはさせてはくれないようです」
「はぁ? どういうことだよ?」
シュリーがすっと差した人差し指。うす霧残る入江には波一つ立たず、なにもなかった。なに一つ。今降りてきたばかりの船の姿さえ。
ジオのこれでもかって言うほど気合の入った悲鳴が上がる中、アイリーンが卒倒した。