第57節 彼氏も水着に着替えたら
「ジオくんて、本当に泳ぐの好きなんだね〜、しかも服着たまま」
食糧品の詰まった木箱に腰掛けて、ツララが呆れたように言った。
「好き好んで飛び込んだわけじゃない! ……ないんです、はい」
アイリーンにタオルで拭いてもらいながらジオは抗議しようとしたが、相手がツララだと気付いて言い直した。ポエム内緒の呪縛はまだまだ続くらしい。
「じゃあ、なんで飛び込んだりしたの?」
「そ、それは……え〜だな、その……」
ちらり、とアイリーンに視線を送り、目の合った彼女ともども真っ赤になってうつむいてしまった。
「……その、え〜と、ほら、つまりアクエリオンがだな……」
「? だからなんなの……? ……!」
これでは特別恋愛感情に鋭いというわけでもないツララといえどなにやら勘付くというものである。さては、と思い立ちにんまりと意地の悪い笑みを浮かべたツララが口を開きかけたその時、船内へと続く扉が内側から開かれた。
そちらを見れば、立っていたのは三人の少女……ではなく。
ルルとシュリーとコリーだ。しかし、
「ねぇ、見て見て〜。ルルちゃん最高に可愛いでしょ!?」
「……なんなんだ、そりゃあ……?」
「なにって。ジオさん知らないの? 今、これが流行の最先端なの」
と言ってコリーが指差したのは薄手の水色の布切れ、下着のような代物だった。かっこうがかっこうなのに色気を全く感じさせないのはコリーのすごいところである。
体の要所要所をわずかに覆い、布地からにょきっと伸びた手足に肌はとても健康的な香りを漂わせる。吸水性を抑え、水中でも動きを阻害しないこの衣服、要するに水着、英語で言うと スイムスーツと呼ばれるやつである。
皆さんはなんだ水着か、と思われるかもしれないが、この世界のこの時代、水着は作られ出回り始めたばかりであり、裕福な家庭の者のみが着用できる貴重品なのであった。
「へぇ〜、そうなんだ。私も知らないや。……でも、そんなの着て、よく恥ずかしくなんないね?」
「世の先行くものは常に好奇の目にさらされるもの。それに、水浴びするにはどうせ下着姿にならなきゃいけないんだから、あまり変わらないじゃないですか?」
「理屈ではな」
間髪入れずに水を差すシュリー。彼女も紺色の一体型の水着を着ている。
「だが、透けないとはいえこんな下着同然の姿で人前に出て恥ずかしくないわけがない」
「……のわりには恥ずかしそうでもないじゃない。だいたい、そんなに文句があるなら無理して着なくてもあたしは一向に構わないのよ?」
険悪なムードが漂ってきた。コリーの棘のある言葉を、しかし、仮面のシュリーは受け流し、
「いや、これでも十二分に恥ずかしい。赤面する思いだ。しかし、ルルちゃんだけにこのような思いを抱かせるわけにもいかず、思い切ってみたのだ」
シュリーの視線を追ってルルを見れば、顔を赤くしてやたらにもじもじしている。
まぁ、それもそのはずで、他二人の水着はワンピース風なのに対してルルのはセパレーツタイプ、つまりへその出ているやつで、ラインはきわどく、色はオレンジ。
「……ねぇ、これ、女の子用のじゃないの?」
ルルの懸念は的を射ていた。だって、胸とか隠しているし。人間隠さなくてもいいところを隠したりすると変に意識してしまうことがあるのだ。
「ううん。ちゃーんと男の子用よ」
だが、コリーは嘘つきだった。ルルはその素直さゆえんか、しぶしぶ納得してしまった。
「まぁ、なんていうか。とても似合ってるから、あまり恥ずかしがることもないんじゃないかな。可愛いよ、ねぇ、みんな?」
ツララの呼びかけにその場にいたルル以外の全員がうなずいた。
ツララはこの時、ルルが男の子だということを本質的に忘れかけていたし、若干二名ルルのことを危険な目で狙っていた。ルルの魔力じみた魅力のなせる業である。
(ルルは可愛くなりたいわけじゃないのに〜、視線が怖いよ〜)
ルルの心の叫びを聞き届けるものはいなかった。それにしても、あの母親から逃げてきてこの友人たちとは、ルルには安息の地というのはないのかもしれない。
ルルに熱い視線を送るもう一人いる。言っておくが、獲物を前にした獣のような視線ではない。
(……は……恥ずかしそうだけど……、かわいいなあれ……あたしが着たら、ジオさん、かわいいって言ってくれるかな……?)
アイリーンはそんなことを考えていた。
水着をまとったアイリーンを情熱的に見つめるジオ。美化三割り増し。「とても、似合ってるよ、アイちゃん」そう語りかけたジオは優しくアイリーンを抱き寄せ、耳元で「愛してるよ」とささやき、そして……。
「……はぅ」
自身の想像にドキドキ最高潮に達したアイリーンは失神した。いまだこの失神症は健在である。
「どわぁぁぁ、アイちゃん!」
「ありゃりゃ、もしかして、この娘いつもこうなの?」
「はい、昔から」
「すぐ慣れると思います。珍しいことじゃないんで」
こともなげにコリーが言う。アイリーンたちが転入してきて三ヶ月ちょっと。学士院内と寮生活を共にしていればいちいち気にならなくなるのも自然だろう。
ツララはまだ「ふ〜ん?」と不思議そうな顔をしていたが、すぐに気にしなくなった。結構アバウトな性格なのである。父親の影響だろう。
「ところで、ツララさんもこれ着ます? ちょっと大きめのサイズも用意してありますけど」
コリーの言った「ちょっと大きい」という表現。ツララは十五歳、コリーは十三歳であり年齢差によるサイズの差は否めないが、ツララは格別プロポーションが良いわけではなく、コリーも年相応の体型に準拠しているので「ちょっと大きいサイズ」の許容範囲だと考えたのだろう。
身長もツララの方が十八センチほど高いがこの水着はあまり身長差を問題にしない。よってコリーの見解は正しいように思えるが、しかし、実は胸部においてそれなりに埋まらない距離を開けられていることに気付いてはいなかった。
ちなみに、ツララの身長は一六六センチでルルは一五〇センチ、ジオは一五八センチである。シュリーもコリーもルルと同じくらいの背だが、ジオの背の低さはこの一行の中で十七歳と最年長者であることを思わず忘れさせる一因であった。
「ん〜、そうだね」
水着を着てみないかという誘いにツララは視線と一緒に考えも巡らせた。
湖に浮かんだ船の上、ポカポカ陽気、少し開放的になるのも良いかもしれない。
気になる周囲の目と言えばジオくらいのものだが、彼はアイリーンがしきりに卒倒するのにつきっきりだから大丈夫だろう。この時点でもルルは異性であることを忘れられていた。
「じゃあ、ちょっと着させてもらおうかな」
そう言ってツララが立ち上がった時、
「着〜さ〜せ〜る〜か〜!」
水と空気を震わせる重い響きをもったうめき声がどこからか聞こえてきた。
「この声はっ!?」
「まさか! あんにゃろう!」
即座になにかを勘付いたのはやはりこの二人だった。シュリーやルルが「誰でしょう?」「舟幽霊さんかな?」などと騒ぎ合う中、ツララとジオは害敵の接近を確かに感じ取っていた。
「そぉんなハレンチ学園な服。着ることは〜断じて許さ〜ん!!」
「どこだっ!?」
腐りかけの樽を蹴り飛ばす。破片が散って水面に水柱が立つ。
緊迫した空気に皆が呑まれていた。
(どこだ……どこにいる……?)
油断なく視線を巡らす。波は低く、風は微風、見える限りに船影なく、また船上にもジオら六人以外に姿はない。
(一体、どこに……?)
どこに潜んでいるのか、ツララは体を緊張させて甲板の中央に寄った。人の隠れそうな物陰に距離を置く。日差しが強く肌を焼いた。
……やがて、ピチャピチャと音がして、ぬらりと白い手が船縁をつかんだ。
「父さんっ!?」
濡れた髪から水を滴らせ、顔をのぞかせる、その顔はそう。
ツララの父親にしてジオのライバル、三十代後半のプータローにしてご近所一のトラブルメーカー、フブキ・ビクトレガーであった。
「そんな……今日は果樹園で奉仕活動しているはずなのに……」
「お前が怪しい行動をとるからな、さぼってきた!」
「……だからいつまでたってもプータローなんだよ……」
ジオのぼやきはさておいて、
「こらっ! ツララ! 私の許しも得ずに船旅とは。そんなことしていいと思っているのか! てやんでぃ!」
「それは……だって、父さん、言ったら許してくれた?」
「もちろん! んなわけないだろう。てやんでぃ! お前は家にいて私のメシを三食おやつ付で作ってりゃあいいんじゃい!」
父親の、人権団体にバッシングされてしまいそうな、あんまりな発言にツララは激昂したが、フブキはそれを無視して、
「おい、そこのクソガキッ!」
「なんだよ。広域指定要注意人物」
「貴様、私の娘をたぶらかし、しかも、かどわかし、その上ガールフレンド四人とウハウハクルージングとは全く人間の風上にも風下にも置けんやつだ! 恥を知れ!」
密かにまた女の子として勘定されているルル。
「なんだと! オレはだなぁ……」
(てめえの娘に脅されて参加させられたんだよ!)とツララを刺激しないようあくまで心の中だけで叫び、
「色々事情があんだよ! とにかく、てめえこそ恥を知れ、ブッシュ!」
「私のどこが恥だって!? ああん?」
「……全部だと思うけど」
「んな嘘八百並べる生意気さんはぁ、このナイフでもくら……え?」
ベキャ。
ボジャァン。
ナイフを取り出しかけたフブキは、これ以上の負荷に耐えられずに崩れた木片とともに青い水面に消えていった。
「……なんだかなぁ〜」
「ふ、正義は必ず勝つ。お昼はたいていカツ。悪は必ず滅びるものだ!」
「さすがジオさんです……ふぅ」
「……一応、あれでも私の父なんですけど……」
あの程度でどうにかなるフブキではないような気もしたが、それでも万が一のことがあって夢マクラに立たれても迷惑なので、湖の番人に知らせる緊急用浮き付きフラッグを海に放り、船は先へと進んでいった。
「それにしても、あのおじさん結局どこにいたんでしょう?」
「船底にでも貼りついてたんだろ」
「そんなコビャンザメじゃあるまいし……」
ルルは苦笑い。
「あのフラッグ、煙まで出るんですね。あれなんの意味なんですか?」
「あの狼煙を目指してハゲがくるのよ……」
ルルの問いかけにツララは遠い目をして答えた。
「……あ、遠くの方からなにかが近づいてくる」
「……ちっ、速度上げよっか。ジオくんお願い」
「応! いくぜ、必殺!」
「いえ、誰か殺されてはかなわないのですが」
シュリーのみみっちい指摘などまるで無視。熱血漢は細かいことなど気にしないものなのだ。ジオは必要以上の気合を込めて印を描き、術を放った。
「エアリアルバレットォォーッ! マックス!」
「って、マックスってなにさーっ!?」
ゴアアッ。
バフュー。
「キャーッ!」
「やりすぎです〜!」
「シメサバー」
ジオの術によって発生した強烈な突風を帆いっぱいに受けて、六人を乗せたボロ船は帰宅を急ぐカジキマグロ顔負けのスピードで、さんさんと照らす太陽の下、クリアブルーに輝く水面を突き進んでいった。