第54節 ルルの動機
『はふぅ』
物憂げなため息が二吐息、空気中に混じって溶けた。
自宅の居間でルルはほおづえついて、
「姉さん。今年もまたこの時期がきちゃったねぇ」
「……そうねぇ、呼んでもないのにねぇ……で、あたしは予定通り旅行に出るけど、ルル、あんた本当にいいの?」
気遣わしげな表情のルルの姉、マリアの横にはちょっとした旅行用か、小型の皮製バッグが置いてある。
「うん……。ルルはいいよ。旅行には姉さんのお友だちもいくんでしょ? せっかくだから楽しんできなよ。ルルは……どこかに隠れるからさ」
「そう……。がんばるのよ」
互いを心から慈しみ気遣う視線を交わし、二人の口からまたもため息がこぼれ出た。
二人の憂鬱の原因。それは『花の祝日』であり、母親である。
花の祝日には日頃の感謝の気持ちを込めて知人に花を贈ったり、花とともに愛の言葉を贈ったり、言葉だけでは飽き足らず自分自身を贈ったりなんていう慣習があるのはご存知の通りだが、その慣習に人一倍どころか人十倍ご執心なのがルルとマリアの母親なのである。
彼女は今も祝日に向けての準備のために家を出ている。
別に新しい男ができたわけではないわけである。というか、それはありえないけど。
「おとなりの花屋さん。昨日、お菓子もってきてくれたよ」
「……お得意さんだからね。それどころか、シレネ王国の花屋さんから礼状が届いたこともあるのよ。……まったく、誰がその料金稼いでいると思っているの!?」
「でも……姉さん。母さんを止められる?」
「無理。あの日ばかりは」
アリアンロッド家一年のうち家計最大消費日、花の祝日。この日、知る人ぞ知る、というか事実上誰もが知る名物がある。俗に『歩くお花畑』と呼ばれる災難のような現象。その正体は、誰彼構わず愛と花とをたたきつけ歩くルルの母親である。
『花の祝日』エルファームは美しい花びらと芳しい甘い香りと、恋人たちの蕩けるような熱いジュテームに溢れる。そのうちジュテーム以外の大半をばら撒いているのはルルの母親だというもっぱらの噂である。
今でもそんなドキドキわくわくのイベントには張り切る気持ちを忘れない、少女のように可愛らしい一面があると、かなりの拡大解釈をすれば、いえなくもないが、そんなこと家族にはたまったもんじゃなく。
「みなさんに〜愛を〜♪ わたしにも〜愛を〜♪」
と、脳味噌とろけてエキサイトしすぎる母親のため、アリアンロッド家の財政は毎年危機に陥るし、やつの暴走に巻き込まれれば花と一緒に他人に贈られてしまう。事実、花飾りだらけのきらびやかなドレスを着せられたルル当時五歳は養子にされかけたことがあった。
「ルルちゃん! あなたはみんなの花なのよ! 花、花! 美しき花になるのよっ! そして、花なら配らねばっ!?」
ギリギリのところでマリアのドロップキックが延髄に決まらなければ、今頃ルルの名前はルル・カスティヨン・サンダースとか、とにかくそういう他の名前になっていたかも知れなかった。
まったく。父親が出て行った原因はここにあるのかも知れない。
マリアとルルの間ではこの日をタイフーンの日だとでも思って諦めるというのは暗黙の了解となっていた。
……止めようったって無駄だってことはもう身に染みてわかって知っているからだ。
(……それにしても、どこに隠れよう? 下手なところだと歩き回る母さんに見つかっちゃうし……)
もう何回目かのため息が漏れた時、ドアが唐突にノックされた。
(……母さんが帰ってきたのかな)
軽い倦怠感とともにドアを開くとそこには雪髪の少女、ツララが立っていた。
「ねぇ、マザーブルーにクルージングにいかない?」
その瞬間、ルルの逃げ先が決まった。