第52節 ある夏の日の風景
そんなこんなで二、三日が過ぎ。学士院内でフィービー導師の突然の失踪にやれ駆け落ちだ、やれ神隠しだ、と無責任な噂が飛び交っている頃。広場ではのどかな時間が流れていた。
「こんにちはー。ツララおねえちゃん」
「こんにちはー。イーツ君」
ばたばたと急ぎ走り過ぎていく男の子を見送り、雪色の髪の少女は黒のローブをまとった男に向き直った。
「ツララさん。お知り合いですか?」
「ほら、イーツ君だよ。このあいだアローン君とぶつかってばらばらにしちゃった黒い髪の子」
「ああ、あの子ですか〜」と自律式魔法白骨ゴーレム、アローンはぽんと腕を叩く仕草をして「あの時は大変でした」とのんびり言う。
少女ことツララは苦笑して、
「で、なんの話してたっけ?」
「手紙ですよ。昨日の夜直接届いたんでしょう?」
ああ、そうそう、とツララは思い出し、装飾のついた赤い革袋から手紙を取り出してアローンに渡した。
「この時期になるとマザーブルーのどこかに突如として出現する謎の島。霧に包まれたその島には珍しい動植物や、幻獣や、隠された財宝なんかもあるんだって」
「おやおや、眉唾っぽいですね〜」
「ん〜、あたしもちょっとそう思ったんだけどね。実際に目撃者は結構いるらしいよ。本当は本人が行きたいって言っていたんだけど、まだ旧宰相派の残党も騒がしいし、革命後の政治も今が大事なんだろうね。公式に誰か行かせるわけにもいかないし。フリーなあたしに代わりに確かめて来て欲しいんだって」
確かにそういった内容の事が手紙には書かれていた。上品な文字と元気な文体によって。高級な便箋を丁寧にしまうと、アローンはツララに訊ねた。
「で、ツララさんは行くつもりなんですか? その島を探しに」
「うん。まぁ、友だちの頼みだしね。あたし自身も行ってみたいなって思うし……アローン君もいく?」
「いえ、僕は……。ちょっと用事がありまして」
「ん。そっかぁ、残念。じゃあ誰誘おうかな? そういう現象とか伝説に詳しい人がいると心強いんだけど……」
ツララの頭にジオとルルの顔が浮かんだ。彼らなら学士院の紋章学部に通っているし、なにか知っていそうだ。今日の帰りにでも寄って誘ってみる事にしよう。
「あ、そうでした。お使いを頼まれていたことを忘れていました。ツララさん、それじゃ失礼しますね。くれぐれも無理しないように頑張って来て下さい」
「ありがとう。じゃあね」
ツララと別れて通りを歩いて行くアローンは不意に思い付いた。
(……そういえば、島探しの船旅なんてよくあのフブキさんが許したなぁ)
勿論、許可などとっているわけなかった。
エルファーム王国の中心にそびえる王城に、絢爛豪華に彩られた白亜の宮殿がある。
宮殿には、四季の花の絶えない庭園があり、それを囲む大理石の渡殿は一部の文官が勤める第二官舎と女王親衛隊スカーレッツの隊員が控える詰め所、王族のプライベートスペースへと続く。
一年でもっとも暑い時節だけあって、さんさんと降り注ぐ陽射しが気をめいらせる。庭園に咲く黄色い太陽の花は、気温の高い日ほど美しい。出勤したスカーレッツ隊員マリアは、書類を運ぶ道すがら視覚で花を楽しんでいると、渡殿の隅に二人の男を見た。
片方は、文官のアレックス・サーバインだった。若いながら何事にも優秀であると評判である。
もう一人は、文官らしい袖の長い官衣を着ているのがひどく不似合いな、大柄な男だ。立派な体格をしていて、貴族がつける悪趣味なアクセサリーをいくつも身につけている。サーカスの芸人のようにアンバランスだとマリアは思った。
男はマリアに気づくと、礼もせずに立ち去った。マリアは、家が近いこともあってささやかなりとも親交のあるアレックスに話しかけた。
「お疲れ様。今日も暑いわね」
「ああ、アリアンロッド殿。宮廷精霊士の見立てでは、この暑気は三日続くそうですよ」
「マリアでいいわよ。小さい頃は一緒にお祭りに行ったりしたじゃない」
「いえ、公務中ですので」
書記官であるアレックスより女王親衛隊の隊員のマリアは名目上階級が上である。王城であるとはいえ、直接の同僚でない者同士世間話くらい対等に話したいという気がしないでもないが、アレックスが頑なまでに職務に忠実なのは有名なことである。
ましてや、アレックスの境遇をよく理解できるマリアなれば、不快になれるわけもない。
「今の文官は?」
「彼ですか。彼は、文筆記録員補佐アンドロス・ピッチです」
「旧宰相派の?」
アレックスはうなずいた。旧宰相派とは、先王崩御から始まる一連の反乱の主謀者たちのことで、反乱失敗と見るや降伏した貴族を多く含む。現女王ラヴィアンは、反対意見を遮って彼らに罪を問わない英断を下した。
アンドロス・ピッチはその典型で、権威が失墜したあとは、下級文官として宮廷にしがみついている。
「言い争っているように見えたけど、なにかあったの?」
「それは……いえ、なにもありません。暑いので多少苛立っていたのかも知れませんね」
納得することはなかったが、マリアはアレックスが軽はずみな発言をもらしたりはしないだろうと思ったので追及するのはやめにした。
「そういえば、近頃は弟が、そちらの弟さんに……」
「弟がなにかご迷惑をっ!?」
アレックスは急に取り乱し、
「湖に突き落としたとか、放り投げたとか、まさか土中に埋めたとか! ああ、なんてことをあの愚弟。今度なにか問題起こしたらお前を家具にしてやると言っておいたのに。あ、あ、胃が、胃が痛い……」
「いや、決してそんなことはないから、落ち着いて欲しいんだけど」
「で、ではなんで」
「うちの弟、最近よく弟さんの話をするから、良くしてもらっているんだなあと思ったんですけど」
まるでなにかトラウマでもあるかのように慌てるアレックスをなだめ、
「本当にご迷惑をおかけしていませんよねぇ?」
それでも、猜疑を捨てられないでいるアレックスの様子がおかしくて、マリアはつい笑ってしまう。
「え? どうしました。アリアンロッド殿」
「いえ、なんでもないの」
「そうですか……。では、私は仕事があるのでこれで失礼します」
「あ、時間とらせてごめんなさい」
「いえいえ。今度は職務外の時にでも」
そう言ってアレックスは去っていった。昔からきっちりした性格だったが、あの時期からそれに輪をかけて厳しくなったように感じる。でも、変わっていない部分もあると知ってマリアはなんだか安堵にも似た感慨を覚えた。
書類を持って女王の執務室に向かうと、扉をノックしようとした時、中から叫びと泣き声が聞こえてきた。
女王がごねているのだろう。最近仕事がたまって、城下に抜け出すのもままならないようだ。
年頃の子の扱いは大変だとマリアはお目付け役に同情した。そこでなぜか自分の母親の顔が浮かんで、マリアは頭が痛くなった。
(思春期なんて、とっくに過ぎたくせに)
ともかく、今は自分も公務中だ。マリアは意を決し、執務室の扉を叩いた。