第51節 嫁ぎ遅れ導師達の憂鬱な入浴
第四部です。
それは数日前の事。
「もうすぐですねぇ。花の祝日」
学士院寮の特別棟、主に導師階級が住むこの棟の備え付けの大浴場で、リシュア・クラシエス導師は言ってはいけない話題を振ってしまった。
隣でのんびり湯舟に浸かっていた数人の女導師の表情が凍り付いた。
「花の……祝日……」
「あれ? どうしました、モニカ導師? 花の祝日のこと、まさか知らないとか?」
笑顔が可愛いと評判の、金髪の若い導師が無遠慮に聞いてくる。
知らないわけはない、このモニカ導師はこのエルファームで導師として教鞭をとってもう三年。この国での習慣、風習はだいたい理解している。理解しているからこそ、表情が凍ったのだ。
花の祝日。それは感謝の日。この日には日頃お世話になっている人々に感謝と親愛の情を込めて花束を贈るのが習慣となっている。花の国とも呼ばれるエルファームらしい行事である。
だが、しかし、若い人々、特に未婚の女性などには特別な意味がある。
通称、告白の日。
若い娘さんが意中の男性に花束とともに言葉を贈り、ねんごろになるという、まあ、そういう日なのである。
一年の中で最もラヴラヴ度数の高い日であると言えよう。
既に相手がいる人などは、この日を口実にこぞってラヴラヴするのであるが……生憎モニカ導師は『学士院行き遅れシスターズ三人衆』の一人である。辛い行事だ。
「ま、まぁ、ね。人には色々あるから……。リシュア、急に花の祝日だなんてどうしたのよ?」
リシュアと仲のいい細目の導師がモニカ導師の心情を慮って、内心ヒヤヒヤしながらリシュアに問うた。
「だって〜、恋人に花を贈る日だなんて〜素敵な日じゃない〜? あたしも〜クリスに綺麗な花を贈ろおって思ってて〜、なんの花を贈ろうかなって。先輩方に聞こうと思って。どんな花がいいでしょうかね〜。あ、でもでも♪ お花であたしをくるんで『あたしがプレゼントよ♪』ってのはダメですよ〜、やだ〜、ちょっと大胆すぎ〜、リシュアはずかし〜い〜、もぉ〜先輩ったら〜」
ぶっ殺す。
モニカの脳裏に殺意がほとばしった。
今年導師に昇格したばかりとはいえ、この礼儀を知らないあんまりな小娘に焼き入れてやろうと思ったモニカだったが、細目の導師がそれを感じ取ったか慌てて頭を下げて、リシュアの手をひいていってしまった。
「しかし、あれよねぇ」
モニカの隣で同じく殺意を放っていた、嫁き遅れシスターズナンバー二、ネラン・タリ導師がはぁっと嘆息した。
「あの小憎たらしい後輩ちゃんを、一度全身虫刺されにして、長芋の汁を塗りたくった挙げ句、王城の塔の尖端から宙づりにしてやりたい気持ちは十分わかるわ……でも、それでいちいち頭にきている、あたしたちの隙の多さも問題よ。つまり、なにがいいのかって言うと……」
『どこかにいい男いないかしら』
異口同音にハモっておきながら、モニカは自分がひどく悲しくなった。モニカもネランも容姿としては悪くはないどころか、モニカなどエルファーム国内で美人さんコンテストをしたらまず間違いなくトップテンに入るくらいスタイルも顔も良いのだが、なぜか彼氏ができない。性格も悪くはないと彼女ら自身思っているのだが。
まぁ、所属している学士院という場所があまり男の巡りのよくない職場と言えるのかも知れない。それにしても、他の女導師たちはどこから男を見つけてくるんだろうか?
「だって、同期で残っているのもいよいよ、あたしと、あんたと、あいつしかいないもんねぇ」
ネランがあいつと言ったのは、今この瞬間も風呂にも入らず研究に勤しむ嫁き遅れシスターズナンバー三。
ちょっぴりマッドな本の虫、フィービー・ノーレント導師のことであった。
二人は大きくため息をついた。
「気が滅入るから他の話題にしましょう。インターンには誰が選ばれると思う? あたしは今年こそ落第ジオライト君かなって思うんだけど」
「出た。ネラの根拠なし発言」
「なによ、賭ける? だって、今年こそ進学がかなって欲しいって思うのが人情ってものでしょ。彼、いったい何年ここにいるのよ」
インターンとは学士院本院への短期研修のことである。毎年各地の支部で選ばれた優秀な人材が本院へ送られる。そこで見込みありと認められた者は本院への進学への道が大きく拓ける。
ちなみに、ジオは毎年インターンに選ばれず、かつ、進学の許可も下りていない。
「まぁ、私だってそう思うわよ。でも、彼はグォーライ導師に目の敵にされているし、問題も多いから一番発言力のあるドッパラピッパラ導師が首を縦に振らないでしょうね。多分、ルル・アリアンロッド、ヒューゴ・ウェルヘミニ辺りが順当ね」
「ちっ。賭けにならない」
ネランは度々人を導く者としてあるまじき発言をする。
「秋酔いの祭りが終わったら二ヶ月の研修。認められたら、春から本院で四年の研究過程。懐かしいわ」
モニカら導師たちもかつて通った道。希望にあふれ、不安に揺れていたあの時期。今度は自分の教えた生徒たちが通る。
切ない陶酔が胸を横切る。晩夏の夜が更ける。