第46節 映像録画サービスに父の姿を見た
「はぁ、はぁ、はぁ、もう追って来てないよね……?」
荒い息を吐くルルは疲れ果てた身体で石造りの扉に寄りかかった。ここは迷宮内の一個室。どこにもコリーの姿はない。それもそのはず、ルルはコリーから逃げて来たのだから。
普段は知的でどこか冷めた感のある彼女だが、ルルのこととなるといきなり見境がつかなくなる。完全にルルの無意識の魔力に惑わされているのである。しかも今のルルは女性の姿になることで数段強い香りを放っているではないか。これでは、ルルが衣服によって窮屈そうに押し込められている胸を呼吸と共に上下させ、汗で額に絡み付いた長髪を払い、苦悶の表情をしていたならば、思わずムラムラと欲情してしまっても無理からぬ事である、多分。
「お姉様〜どこにいらっしゃるのですか〜? 私と一緒に〜にゃんにゃんいたしませんこと〜?」
そんな声が遠くから聞こえた気がして、ルルは思わず身震いした。
「いったいなにがどうなっているんだよ〜」
ルルは今とても困惑していた。無理もない。突然こんなところに入れられるわ、年長者は協調性ナッシングだわ、身体は女の人になるわ、同級の女の子はそれ見て襲いかかってくるわ、こんなことが立て続けにあったら取り分けデリケートでなくとも通常の神経であったなら参ってしまっても致し方ない。
まぁ、もっともルルの頭の中ではここからどうやって出ようってことよりも、女の子になっちゃったことをお母さんたちが知ったらどう思うだろう、という不安の方が大部分を占めてはいたが。
ルルがあれこれ考えつつ休息していると、突如として部屋全体が明るくなり、ルルを驚かせた。一瞬コリーに見つかったかと思って戦々恐々としたが、どうやらそうではないらしい。部屋の中央になにやら表面がうねうねと波打っている、星空を貼り付けたような不思議な色合いの球体がいつのまにか浮かんでいた。
「これは……?」
優等生のルルにはこれが極めて魔法的な物質だと理解できた。おそらく、幻術系統。イメージ関連の魔法装置だ。これとよく似たものを前に授業で習ったことがある。それは映像を記録し再現するものだった。
だが、これがそれと同じとは限らない。紋章術の装置だと応用が利くし、特に幻術系はその色が特に強い。さっきも異性にされてしまったことだし、ルルは緊張して身構えた。
球体の表面に波紋が広がり、色が変化していく。それは段々と落ち着いてきて表面に映る像がおぼろげながら形を整えていく。やがて、一人の年老いた男性が球体の中に浮かぶように姿を現した。
『あ〜〜ごほん、テステス。本日は晴天なり。いや、本当は雨じゃがの。まぁ、ともかくただいま音声のテスト中……』
ルルは間の抜けた顔になった。
『む、どうやら調子は良いようじゃの。……あ〜ようこそ。我が『微笑みの思い出箱』へ。ワシが創造主のゲロンゲロス・ワイルダーじゃ。人からはよくゲロゲロ殿などと呼ばれるがワシはカエルではない。どうか、フルネームで呼んで欲しい』
「あ、はい。わかりました」
と、言って気付いた。これは記録された映像だ。このおじいちゃんはこの迷宮を造った人なのだろう。そういえば、色付きの外套に杖を持った術師スタイルをしている。
映像の中の老人はこの空間が一種テーマパークのつもりでつくったものだと告げた。自身が若い頃ダンジョンの中で興奮した思い出を再現したのだという。昨今、時代が進むにつれ子供たちに残される謎はどんどん無くなり、若い頃にしか味わえないあのなにものにも変え難い体験ができない子が増えている。これは、いつしか全ての遺跡が解明され尽くされてしまった時に子供たちへ贈る年寄りからのささやかなプレゼントなのだと、ゲルゲロス老人は語った。
やることははた迷惑だけど、優しい顔をしているな、とルルは思った。
『……この場所まで来たら、もう最終ボスまであとすぐじゃ。迷宮の中は楽しめたかの。ボスを倒せば外に戻れる。まぁ、その前に一つ記念でも残していってくれ。……それじゃ、サラバ、じゃ』
老人の映像は煙のようにかき消えた。なんだかすごく寂しそうな、それていて嬉しそうな、老人の最後の表情はそんな難しいものだった。
事務的な声が聞こえた。
『ピーッ、記録を残したい方はこれまでに記録された全ての映像が流れた後に、十秒以内にメッセージを入れ、♯を二回、押して下さい……』
……確かに近くの床のタイルに「♯」の記号が刻まれている。
映像が流れ始めた。
若い青年術師コンピや司祭風の四人組、一般市民のカップルなど。なぜか血まみれの人も多く、泣きじゃくる人も大勢いたが、これだけたくさんの人たちがここを訪れたのだと思うとルルの心に不思議と感慨が湧いた。
『……し、死ぬ。死んでしまう……。誰かぁ〜、司祭様と棺桶職人を呼んでくれ〜!』
『帰してくれーっ! 俺を元の世界へ帰してくれーッ! 家族にあいたいんだーッ!』
『イヤーッ! 男になるのはイヤーッ! あたしの身体を返してーっ!』
『くそっ! てめえ、このくそじじい! えらいもん造りやがったな! この落としまえ絶対つけさせてやる!』
『ルーテェ! 待ってろ! 今帰る! 子供の名前はちゃんと決めてあるぞ!』
『待て、ウィル……そっちは来た方向だ……』
『ふふふ、おジョー。いっそのこと、愛人でもいいからさーっ!』
色んな人物の映像が流れ、消えて行った。ここが出来てから今までの長い間に、生きてきた人たちの記録。先人たちの姿。あるいは、自分の祖先も中にはいるかも知れない。これまでに積み上げられてきた小さな歴史年譜。懐かしい匂い。
終わりも近づいた一瞬。ルルの瞳が大きく見開かれた。
両頬にネコのヒゲのような傷跡のある筋骨隆々、露出過剰、威風堂々なふんどし一丁の男性。彼はマッスルポージングで一言「アギャア」と鳴いた。
「お父さん!?」
ルルは信じられない、といった様子で身を乗り出して叫んだ。けれども、無情にも映像は消え、ピーッと笛の音が鳴った。
(間違いない。あれはお父さんだ。ルルはあまり覚えていないけど、あの絵に描いたような男らしさ。多くを語らず一言に尽きるあの態度。絶対にお父さんだ!)
「ねぇ、お願い! もう一度だけ、もう一度だけでいいから、見せて! ルルなんだってするから!」
悲壮な顔で膝をつき、無意識にしなをつくって、うるうると瞳を潤ませて哀願するが、球体はそれきり元の波打つ液体に戻ってしまった。
ふっと悲しい吐息が吐かれた。
ルルは気付かなかった。この装置が入り口の扉の開閉に反応して起動することも。うっかり膝で「♯」の床タイルを踏んでいたことも。