第3節 入れ歯の価値
うららかな昼下がり。
アローンは器械のような正確さでりんごの皮をむき、うさぎの形に切って皿に盛り付ける。アゼン宅の台所はこの辺りの一般的な住宅と同じく、居間と一緒の造りだ。中央に大きめのテーブルを置いて椅子が二つ。アゼンは普段自室兼研究室で寝食を行い、アローンは人間と同じような方法で栄養を摂取する必要がないことから、食卓の家具はほとんど使われることなく新品同様であるが、今日は来客があるため珍しく家具としての機能を果たしている。
傷のないテーブルの上に肘を置いて、前かがみに椅子に座る少女。年の頃は十五。リンクスのようにやんちゃな丸みを帯びた、黒の多い瞳は、今は疲れたようにタランと半分まぶたが落ちている。
中性的で、びしっとしていれば凛々しい印象の顔は見るも無残に緩んでいて、引き締まった腰のラインから続く細長い足はぶらんぶらんといすの足の横を行ったり来たり。
体に密着するような余りのない麻の服を身に着けて、長さ八十センチほどの簡素なしつらえの剣をテーブルに立てかけている。
剣の訓練を受けているのだろう、剣の柄には滑り止めに包帯が巻かれ、両手にも同じものが巻かれている。少女の内情を示しているかのように茶色っぽくくたびれている。
そういった彼女の容姿の中で抜群に目を引くのは彼女の髪だった。
真っ白な髪、冬に積もった新雪のような人間の頭髪にあらざる色。
だが、アローンは自分の存在と同じように平然と受け入れている
「疲れているんですね。ツララさん」
顔があれば苦笑しているだろうな、と思える口調でアローンが言った。魔法生命体であるくせして、アローンは人間みたいな感情の表現方法を心得ている。
「今日の稽古はとびきりきつくてさ……午後からもまた打ち合うんだ」
「さすが王宮の指南役の指導ともなると厳しいんですね」
「まぁ、元はといえばこっちがむりやり頼み込んだんだから、文句なんか言える立場じゃないんだけどね」
ツララという少女がうさぎのりんごをつまんでひょいとかじると、しゃりと音が室内に響く。
「じゃあ、やめたいとか思っています?」
「まさか。私は頭も良くないしね。花嫁修業なんてガラでもないし、剣でも振り回しているのが性に合っているんだよ」
りんごを次々と放り込むツララの様子をアローンは満足げに眺めている。もっとも、その筋肉のない骸骨顔に微笑が浮かぶことはないが。
その視線に気づいたのか、沈黙の間に耐えかねたのか、ツララはアローンを見上げるが、
「な、なによ、なにか文句でもあるの?」
「いえ、なんでもありませんよ。ツララさん」
骸骨はいつものように落ち着いた声音でそう言うだけだ。ツララはなんだか気まずくなって声を張り上げた。
「そういえばさ、最近、妙な事件が起きているよね。光り物が家からなくなるって。王宮でも、女王様が王家伝来の品物を失くしたなんてデマが流れているけど」
「ああ、それ、僕もやられてしまいましたよ」
「なにを?」と尋ねるツララに、アローンは大腿骨の部分を指差す。
……あぁ、しゃもじを骨の代わりにしているのはファッションじゃなかったのね。
ツララは狙ってやっているものと思って口に出さなかったが、どうやらそういうことらしい。いっそ、指の骨もスプーンにしてみたら、と言わないでいて良かった。
「でも、アローン君の骨ってそんなに光ってないよね?」
「ええ、そうなんですが、まさかなくすものでもありませんし、どこへいってしまったのやら。そうそう、ハカセの入れ歯もなくなってしまったのですよ」
「入れ歯? それこそ光ってないじゃない」
ツララの言葉に、アローンは首を振って、
「歯がほとんど金か銀かアメジストでできているんです。我が家で唯一、金銭的価値のある財産です」