第38節 生徒はいわゆるモルモット
この節から第三部です。
エルファームは今、晩春である。
夏が道行く八八夜。野にも山にも若葉がしげり、ぽかぽかと暖かい陽気になってきている。
太陽は日毎に高く昇り、見ているとのんびりと漂いたくなる澄み切った青空が天井に果てしなく続く。
まったく、バスケットを抱えてピクニックにでも行きたくなる日和である。つまりは洗濯日和である。目一杯、日光にさらした布団はふかふかでとっても寝心地が良いのだ。
仕事でストレスのたまった宮廷付会計士のジェロンさんの一番のストレス解消法は快眠である。
酒もバクチも女もやらない仕事男にとって、安らかな睡眠は積み重なった疲労を一夜にしてリフレッシュしてくれるのだ。
ところが、そのジェロンさんの楽しみに異を唱え、忌避すらする女性がいる。
学士院就任導師、生活備品及び魔法物品管理責任者のフィービー・ノーレント女史である。
酒もバクチも男もやらないフィービーは、光沢の美しい亜麻色の髪を惜しくもぼさぼさにして、積み重なったマジックアイテム及び関連資料を一つずつひたすら確認するという作業に没頭していた。
本当なら常に厳重に管理されていてしかるべきである。
五年前の内乱で一部紛失した資料や破損した物品はあるものの、それらのチェック自体は学士院エルファーム支部が機能を回復するとまもなくエルファームに滞在する導師を総動員して行われた。人員を割いて、即行であったのは学士院の所有する物品に、よほど高位の術師でも持て余す危険物が混じっているからである。使い方を間違えれば、とんでもない事態を引き起こす。それがマジックアイテムというものだ。
それを一手に引き受け、悪用しないからこそ学士院は専門として信頼を得ている。管理をおろそかになどしない。
実質、管理はほぼ完璧だった、はずなのである。
だが、フィービーは突如洗濯物を取り込む主婦のように、慌しく管理室の再チェックを始めた。原因はわからないが、一度始めたら中途半端に投げ出さない。そんな彼女の頑固さも手伝って、ほとんど不眠不休で確認作業は十と三日も続いている。手助けを求めりゃいいものを、それすらせずに一人でやってきたこの仕事ももうすぐおしまいである。
だが、にわかにフィービーの手が止まった。アイテムリストの空欄を発見したのである。
彼女はその端正だが、化粧っ気の全くない地味な顔に眉根を寄せ、小首をかしげた。記入ミスだろうか。どんな魔力を持っているのか、内容に空欄のある問題のマジックアイテムは立派そうな紋章の刻まれた小箱だ。名称は『微笑みの思い出箱』とある。名から魔力を判定するのは微妙だ。
おそらく幻術系統、結構強力な魔力が封じられているとフィービーはみた。
調査用に持ってきていた手持ちの書物を調べても詳細は記載されていない。
(しかし、困った)
と、彼女は思った。彼女は元来、物事を徹底してはっきりさせる主義である。あやふやな事を好まないし、なにしろこれではこれまで風呂にも入らず続けてきたこの仕事が終わらない。それはどうにもしゃくだ。彼女は自分がすることには達成感が得られなければならないと信じている。
どんな魔力であるか知るには発動させてみれば手っ取り早いのだが……、なにが起こるかわからないし、それに自分が危険な目にあいそうなので却下だ。怖いのは嫌いである。
解析するにも頼る手がない。古い知人には既に破損した魔法装置の修理を頼んでいるし。
苛立ち紛れに頭を掻いたその時、彼女の頭に妙案が浮かんだ。
(あ、そうだ、生徒に試させよう)
ぽん、と手をうち早速彼女は餌食となる生徒……ではなく、協力者に声をかけに行った。
他の導師の人に知られると色々厄介なことになるだろうから放課後にこっそり来てもらおう。
(だいぶ古い物だから壊れているかもしれないけど……まっ、知ったこっちゃないし♪)
爽やかにほくそ笑むフィービーは、結構いい性格をしていた。